・野上電気鉄道 モハ25 1993年8月 北山~野上中
野上電気鉄道の元阪神車の中から、今回はもとは阪神901→701形のモハ25~27をとり上げたいと思います。
阪神901形は木造車の291形の車体を載せ替えたもので、1932年に大阪鉄工所と藤永田造船所で10両(901~910)が製造されました。阪神の小型車といえば
広い窓幅(に明かり窓付)の車両が思い出されますが、これらはそれより前に登場したもので、幅の狭い一段窓が並んでいます。1940年には701形701~710に改番されています。
本線用の車両の中でもとりわけ小型で性能も低かったことが祟ったのか、戦時中は他の車両に機器を譲るなどして軒並み休車となっていた模様。このうち、戦後も復活できず1954年に廃車になった3両のうち、704(大阪鉄工所製)と710(藤永田製)が野上に譲渡され、まず前者が1955年12月にデハ25として、続いて後者が1957年1月ににデハ26として竣工します。つづいて、1959年に廃車になった707が1960年5月にデハ27として竣工し、3両が揃いました。
・野上電気鉄道 モハ26 1993年3月 日方
・野上電気鉄道 モハ27 1993年3月 紀伊野上~動木
・野上電気鉄道 モハ25 1989年7月 日方
主制御器はGEの電磁接触器式「Mコントロール」の一つである手動加速式のMKで、これはもと阪神。
一方、主電動機については南海から譲り受けたGE-218-B(52kw=70PS)を2機備えています。
そして台車も南海から譲り受けたものですが、25・26はブリル27E-1 1/2を直接取り付けたのに対し、27は一旦2代目モハ31(もと八日市鉄道カハニ101であるデハ23の車体を再利用して1958年に竣工したもの)が履いた加藤ボールドウィンでした。
なお、27は晩年はブリル27MCB系に交換されました。
野上電鉄では1964年にデハからモハに改称。また集電装置もポールからZパンタに変更されています。
細かなところでは3両それぞれテールランプの形状と個数がことなっていました。
上から3枚目、モハ27は俯瞰気味に撮影したものですが、野上の電車のベンチレーターはこのような棒状の特徴ある形状となっていました。パンタグラフから延びる母管がパンタと反対側から車体に潜り込んでいるのも、普段の視線では気がつきにくいところですね。
そして、最晩年・・・昭和60年代に入ってからだと思いますが、31・32と共に雨どいが作り替えられていました。
これにより不格好となってしまった感があり現地訪問時に少々がっかりしたのを思い出します。
そんなことが理由だったのか、野上は車両単体で撮った写真が少なく、下手な風景写真ばかりで、アルバムを見返すと少々後悔している点であったりもします。
・参考文献
藤井信夫 「命脈せまる南紀の電車 -野上電気鉄道-」 鉄道ファン132号(1972年4月) 交友社
高橋修 『RMライブラリ(24) 関西大手私鉄の譲渡者たち(下)』 ネコ・パブリッシング 2001年