架線検測車というと、JRか大手私鉄の専売特許と思われがちですが、
かつてはこんな事例がありました。


・富山地方鉄道 モテ10001 1993年3月(上)・1994年9月 稲荷町
富山地方鉄道が保有したモテ10001です。最も、1980年に廃車になったものを改造しているので、この時点では無車籍でした。したがって、この姿になってからは鉄道誌では取り上げらたことは殆どありませんし、いつどんな改造が行われ、そしていつ廃棄されたのかは正確には不明です。
もとは、地鉄の前身、富山電気鉄道のモハ500形501~503で1936年日本車両製。2扉で車内はクロスシートでした。18m級車で、乗務員扉が引戸である点(これは地鉄の電車には数多くみられましたが)や前面の上半分が長手方向にも傾斜しており流線形に近い形をしていたことが特徴です。最大寸法は18440×2700×4160または4176mm(長・幅・高 1968年当時)。
1945年にモハ503が衝突事故を起こした際にモハ521に改番。その後、主電動機出力が基準の形式に改番した際に、芝浦の56kw主電動機(SE-119?)を搭載したモハ501と502がモハ7540形7541~7542に、芝浦の75kw主電動機(SE-132?)を搭載したモハ521がモハ10040形10043になりました。台車は日車TR25と書かれているものもありますが、詳細は不明。国鉄TR23 系ということだけは確かです。
先述したように1980年8月に廃車になり、7542と10043は太閤山ランドに富山電鉄モハ500に復元されて保存されました(1990年代前半に解体済み)。しかし、7541は屋上にドーム2つと投光器を取り付けて架線検測車に改造されました。この時点では富山地鉄一般車塗装(当時)のクリームと朱色だったのですが、その後片方の側面中央に大型の両開き扉を設け塗装は茶色一色になりました。モテ10001になったのもこの頃だと記憶しています。テは「電気検測車」の意味でしょうね。その後、前面に大型扉を設置。これで国鉄の救援電車(クエ28002等)のようなスタイルになりました。
上の画像はその時のもの。前面の開き戸が斜めになっていることから、前面上部が傾斜している独特の形状であることがわかると思います。なお、大型扉がある反対側の側面(稲荷町基準で北側)は見ることができませんでした。
この車両に関する疑問といえば、車番が10001ということ。この車番は100PS=75kwの主電動機を装備していたことになりますが、台車は旅客車当時と変わっていません。つまりは、1980年の廃車時にモハ10043と既に振り替えていたと考えるのが妥当なのではないかと思うのですが、真相は??
このあと、1996年9月にも富山地鉄の稲荷町を通っていますが、その時には見かけませんでした。
・参考文献
飯島巌・西脇恵・諸河久 『私鉄の車両10 富山地方鉄道』 保育社 1985年
秋山隆・杉山武史 「私鉄車両めぐり76 富山地方鉄道[終]」 鉄道ピクトリアル214号(1968年9月) 電気車研究会