国鉄の液体式変速のディーゼルカーとして初めて量産されたキハ45000系→キハ10系は、1953~56年に合計728両が製造されました。このうち、私鉄に譲渡されたのは25両(車体を新造した関東鉄道キハ310を含むと33両)で、案外少なく感じます。これは昭和50年代には内燃動力の私鉄が減っており、存続しているところは北海道の炭鉱鉄道をはじめ廃線になった私鉄から車両が既に供給されていたという事情があげられると思います。加えてキハ10系は私鉄に譲渡後も比較的短命に終わったものが多く、印象の薄い存在でした。
今回とりあげる茨城交通のキハ11は私鉄への譲渡車の中では、比較的記録が残っているほうだと思います。
・茨城交通湊鉄道線 キハ112ほか 1989年4月 那珂湊
茨城交通は1980年に国鉄からキハ11を3両譲り受け、8月16日付で入籍しています。内訳は、キハ11 19、25、26でいずれも1956年7~8月 東急車輛製。最後は真岡線で使用されていたものです。これにより自社発注で総括制御不可能だったケハ402と、もと国鉄キハ41000でエンジンを下して客車にしたハフ46が代替されました。
当時の湊鉄道線は、羽幌炭鉱鉄道から購入した車両に合わせたマルーンに白帯の塗装でしたが、この車両は白に青帯の新塗装となりました(入線当初は国鉄時代のままで使用されたとの記述もあるが確認していない)。さらに、その後、メインバンクの常陽銀行に合わせた?、アイボリーに青と赤の帯が入るものに変更。上にあげた画像は切り替えの時期にあたり、1両目は新塗装、2両目は前塗装となっています。
なお、乗務員室と客用扉の間にあった便所は閉鎖されていましたが、この時点ではまだ窓は残っています。
・茨城交通湊鉄道線 キハ112ほか 1994年8月 中根~那珂湊
それから5年後に撮影したのがこの写真。阿字ヶ浦の海水浴客輸送で日中でも3連が運転されていたときのものです。
前面の車番が大きく目立つものになっていますね。まあ便所跡の窓は埋められています。
その後、1995年10月にキハ113が廃車になる際に国鉄で登場の青と褐色に戻されたのを皮切りに、1996年にはキハ111も青と褐色、キハ112はその次の標準塗装であった朱色とクリームに戻されたことは御周知のとおり。キハ111は1997年、キハ112は2005年に廃車になりましたが、キハ113は佐久間レールパークを経てリニア・鉄道館に、キハ112は鉄道博物館にあることも知られている話ですね。
・茨城交通湊鉄道線 キハ111 1997年9月 那珂湊
・茨城交通湊鉄道線 キハ112 1997年9月 中根~那珂湊
・参考文献
特集「キハ10系」 鉄道ピクトリアル 637号(1997年5月) 電気車研究会