
・福井鉄道 クハ122+モハ122 2006年2月 市役所前~公園口
何年か前に、
福井鉄道のモハ120について書きましたが、今回はその相手だったクハ120形について記したいと思います。
福鉄福武線の旧型電車は、
140形など出自が全く異なる車両が固定編成を組む事例が幾つか見られましたが、これもその一つ。モハ120が1950年日車製の自社発注車なのに対し、こちらは当時の親会社、名古屋鉄道からの譲渡車です。
もとは名鉄三河線の前身である三河鉄道が1929年1月に日本車輌で製造したデ300形301~302で、HL制御で三菱製の主電動機を搭載。平妻・2段窓なのは、同じ頃に日車で製造された愛電や伊勢電などの車両との共通性がありますが、これは3扉で乗務員扉が無い点が特徴でした。
名鉄に合併後はモ3000形3001~3002に改番され引き続き三河線などで使用されました。このうちモ3001は1963年に運転台を高運転台に改造され、前面はノーシル・ノーヘッダーになってています。その後、3700系列への機器流用で1966年に廃車。こうした「抜け殻」の鋼製車体は、その多くが名鉄系列の事業者に譲渡されましたが、この2両は福井鉄道に譲渡され南越線に配置されました。
モ3001がモハ151、モ3002がクハ151となり台車は国鉄のDT10もしくはTR11を履きました。ただし、モハの制御器(HL)、主電動機(三菱MB-98A)の出所はわからず・・・名鉄で流用したのは台車だけだったのでしょうか。

・福井鉄道 モハ122-2 1993年3月 武生新
南越線は1971年9月1日に五分市~戸ノ口が部分廃止となり、余剰となったモハ151、クハ152は福武線に転属。クハ151→クハ121、モハ151→クハ122となり、それぞれモハ121、122と固定編成を組むようになります。このとき、連結面側を切り落として全長を詰めています。諸元では、もともとの全長は17594mでしたが、改造後は17195mmとなっています。

・福井鉄道 クハ122 2006年2月 家久~上鯖江

・福井鉄道 クハ122 2006年2月 神明

・福井鉄道 クハ122 車内 2006年2月
真横から撮影した画像を見ると、台車~連結面間が短くなっていることがわかります。車内から見ると、このようにドアと妻面が隣り合っている状況でした。
また、前面窓はHゴム支持になり、乗務員扉が新設されています。このときにモハ151→クハ122は低運転台に戻されています。その後、クハ121は1978年、クハ122は1982年に再電装され、モハ121-2、モハ122-2に改番されました。台車は 日車D-16に履き替え、制御器は東洋ES-517、主電動機は三菱MB-98A(60kw)を2台搭載。編成内の主電動機は6機となりました。

・福井鉄道 クハ122+モハ122 2006年2月 ハーモニーホール~浅水

・福井鉄道 クハ122+モハ122 2006年2月 神明
モハ121-2は1987年に廃車、残るモハ122編成は予備車で稼働率が低い状態が続いていました。そんな中、1997年頃に連節車のモハ200形の台車履き替えで発生したND-108をモハ122-1に履かせた際に電装解除され、クハ122に戻りました。その後も稼働率は低い状態のまま、名鉄岐阜600V線から車両を導入する2006年まで在籍していました。
さて、この車両に関しては、従来、名鉄モ3002→福鉄クハ151→クハ122(以下略)としている文献が多くみられますが、車体の特徴から言えば、今回ここに記したように名鉄モ3001→福鉄モハ151→クハ122となると思います。このあたりは、書類上の話と実際の車体の変遷が異なっているのかもしれません。
・参考文献
酒井 英夫「私鉄車両めぐり90 福井鉄道[下]」 鉄道ピクトリアル257号(1971年11月) 電気車研究会
清水 武『RM LIBRARY 187 名鉄木造車鋼体化の系譜』 ネコ・パブリッシング 2015年
清水 武『RM LIBRARY 207 福井鉄道(下)』 ネコ・パブリッシング 2016年