除雪車の試運転~出動のシーズンとなりましたね。
ということで本日のお題は雪国の電鉄から

・弘南鉄道弘南線 ED333 1994年2月 黒石
弘南鉄道弘南線の除雪用に残る電気機関車、ED333です。
その外観からわかるように、米国のウェスティングハウス(電機)+ボールドウィン(車体)製の凸型電機で1923年製造。もとは武蔵野鉄道デキカ10形13→西武鉄道10形13で、弘南鉄道は1951年10月に入線しています。

・弘南鉄道弘南線 ED333 1995年8月 平賀
日本国内の鉄道事業者がWHから購入した凸型電機は合計14両(秩父=5、武蔵野=3、
信濃=3、愛電=2、宮城=1).
その中でも、武蔵野鉄道が右側運転台を採用していたため、他の輸入車とはボンネットの位置が左右逆になっているのが特徴です。最も、米国のインタアーバンは右側運転台なので、これが正統派のスタイルということになります。
自重は、信濃・愛電等あるいは日車でコピーした車両が24~28t級なのに対して、こちらは少々重めの33t。一方で最大長はそれらが9100mm台なのに対して逆に若干短い8800mmとなっています。
主電動機も愛電や宮城が端子電圧750V・出力48.5kwのWH-550-JF6なのに対して、こちらは端子電圧600V・出力74.6kwで出力が高めです。
弘南鉄道には架線電圧の昇圧に伴い入線。大きな改造もなく貨物輸送用として使用されていましたが、1984年の貨物廃止後は除雪が主な用途となっています。それ以外でも上記の写真のように、平賀の車庫で入替に使用されることもあります。撮影時は、丁度
3600形の廃車と、
1521形の入線に伴う作業がいろいろと行われていました。
さて、武蔵野デキカ10形→西武10形は合計3両(11~13)ありましたが、弘南鉄道に譲渡された他の2両はE11、12になります。その後、E11は1969年に越後交通に譲渡されED261になるものの1971年に廃車、残りのE12は1973年に廃車になったあと保谷車両管理所の乗務員養成施設に保存されました。
西武池袋線の電車から見ると検車庫の反対側、さらに敷地の外を回っても塀の外からは見ることもできず、長らく幻の車両でした。しかし、車両管理所の廃止により建屋がなくなりカバーはかけられているものの姿を確認できる状態に。そして補修の上で武蔵野鉄道100周年を記念して2012年に公開されました。

・西武鉄道 E12(保存) 2012年5月 保谷
今年で製造から95年。
ふたたびその姿を見てみたいものです。
・参考文献
澤内 一晃「凸型電気機関車の系譜」 鉄道ピクトリアル859号(2012年2月)
後藤 文男『西武の赤い電機』 交友社 2001年