戦前は国有鉄道よりも率先して車両の開発が進められていた民鉄の内燃動車ですが、戦後になると一転して国有鉄道の車両に範をとった車両が一般的となります。各地に国鉄キハ10あるいはキハ20の亜流と呼ぶべき車輌が存在しました。
津軽鉄道キハ2400形もそんな事例の一つで、1962年にキハ24021~24022、1966年にキハ24023、1967年にキハ24024の4両が新潟鉄工所で製造されました。
・津軽鉄道 キハ24022 1994年2月 津軽五所川原
・津軽鉄道 キハ24023 1997年8月 津軽五所川原
・津軽鉄道 キハ24024(廃車) 2002年6月 金木
窓割は便所がない点を除けば国鉄キハ20に準じていますが、1段上昇式の窓を採用していることが特徴です。ただし、国鉄キハ22のような2重窓ではなくその天地寸法もそれよりは大きめです。
また、床下排気となっているため、キハ20のように排気管を通すために窓柱が太くなっている場所がありません。結果として客用扉間の窓が等間隔となっており、これは同じく新潟鉄工所で製造された
雄別鉄道の気動車と共通しています。
機関は当然ながら国鉄DMH17系のDMH17C、台車も国鉄DT22系ですが型式は新潟独自のものでNP1A・NP2A(24021~24022)もしくはNP1B・NP2B(24023~24024)となっています。
さて、津軽鉄道の戦後の気動車は、国鉄キハ22を22027・22028として導入するまで、全てキハ2400形としていました。
すなわち
キハ2401 もとキハ2(1933年 日車製)
キハ2402~2403 1950年 新潟製。前面は国鉄キハ41000タイプ
キハ2404~2406 もと三岐鉄道 荷台付き
キハ24021~24024
キハ24025・24026 もと国鉄キハ11
となります。これは仙台鉄道管理局式※の番号体系を採用したためで、24は鋼製ボギー車を示します。他にも宮城県の仙北鉄道の気動車がキハ2400となっています。
キハ24021~24024は1992年4月1日よりはじまったワンマン化に対応しなかったため、走行の機会が減少。
加えて、NDCシリーズの津軽21形の増備に伴い、1997年2月にキハ24021、24022が、2000年3月にキハ24023、24024が廃車になっています。
・参考文献
湯口 徹『レイル 14 私鉄紀行 奥の細道(上)』 プレスアイゼンバーン 1985年
服部 朗宏・藤岡 雄一「私鉄のキハ20系」 鉄道ピクトリアル605号(1995年5月)
岸 由一郎「津軽鉄道」 鉄道ピクトリアル636号(1997年4月増)
※ 2019.4.13 修正しました。