今年1月より作成してきた「
日立電鉄バス追想録」。3月になり新規登録が4両増えるなどしましたが、茨城交通との合併前日までになんとか現在在籍する一般路線車の大半を収めることができました。ただ、1両(水戸200か1217)だけ何度行っても現れませんでした。なんてことのない3桁規制のエルガミオなんですが、こういう相性の悪い車両というのは、どうも存在するもので・・・。

私がローカル私鉄や路面電車というものに自らの意思で乗りに行くようになるのは、高校生になったばかりの平成元年の春のこと。その最初の一歩が、日立電鉄と茨城交通湊鉄道線でした。以降、茨城県北には何度となく足を運び、やがて興味の対象は鉄道からバスが主体に変わってゆきました。
東野交通のときにも記しましたが、車両が多彩な茨城・栃木の各社は興味深く、その中でも日立電鉄は特にのめり込んだ事業者のひとつです。
最初の訪問から30年。茨城交通は湊鉄道線が第3セクターのひたちなか海浜鉄道になり、残ったバス部門他は倒産しみちのり傘下で更生、日立電鉄は電車線が廃線になり分社されたバスだけが残ったものの遂に日製傘下を離れこちらもみちのり傘下に入るという大きな変化がありました。それでも茨交と電鉄という枠組みだけは変わらないと思っていました。かつて日製の存在ゆえに久慈川を境に茨交と電鉄になった歴史を思うと、今回の合併はいろいろと思うところではあります。
電鉄バスを見るようになって二十余年。その前から見てこられた諸先輩を思うと烏滸がましいのですが、わたくしの記録を整理する意味もあって、今回このようにまとめた次第です。

・合併を前に、既に社名が変わっていた日立南営業所