坂東太郎こと関東の大河、利根川に架かる橋の中で、その坂東の名を冠するのが埼玉県本庄市と群馬県伊勢崎市の間に架かる坂東大橋です。現在の橋は2004年に開通した新橋で、それまでは1929年2月着工・1931年6月開通の旧橋梁が架かっていました。

これがその旧橋梁で、中央部に6連のワーレントラス、伊勢崎側に6連、本庄側に15連のプレートガーダーを配する全長約917mの堂々としたものでした。
さて、旧橋は鉄道と関わりがあることをご存知の方も多いかと思います。現在、中央前橋と西桐生の間を運行している上毛電気鉄道には多数の計画線がありましたが、そのうち唯一免許取得・着工したのが大胡から伊勢崎を経て本庄へ至る路線でした。利根川の橋梁は、群馬県・埼玉県が計画していた道路橋と共用することになり、坂東大橋は完成します。しかし、他の区間では一部路線用地を確保した程度にとどまり、結局1934年11月に免許が失効しています。
・・・ということは、保育社のカラーブックス「日本の私鉄 北関東 東北 北海道」で知ったのだと思います。その後、1963年の鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり第4分冊」に当時の写真があるのを発見※しましたが、それ以外の情報は皆無。ということで、現地に見に行ったのが1998年のゴールデンウィークのことでした。

これが本庄側の橋詰。とくに変哲もない普通の橋にしか見えません。しかし、橋の全景を見ようと側面に回ると他では見られない特徴が目に入りました。


それは、この奇妙な形をしたプレートガーダー部分の橋脚。本来は、画面右側(下流側)の太い橋脚の部分が上毛電鉄のスペースでした。つまり、道路併用橋といっても名鉄の犬山橋のような併用軌道ではなく、長野電鉄の村山橋や、やはり未成線に終わった養老電鉄の長良大橋・揖斐大橋と同様に橋の片側に専用軌道がある構造でした。
当初は鉄道用の橋桁がかかっていたが、戦前に売却されたという話があります。その後は何もかかっていない状態でしたが、1965年に道路の拡幅が行われ下流側にも橋桁が乗りました。上流側の橋桁はリベットの多さなどからわかるように、開通時のものです。
一方、トラス部のほうも下から見上げると鉄道の痕跡がありました。

橋脚の写真と上流・下流が逆転していてややこしいですが、画面左側(下流側)の縦方向の骨が太くなっていることがわかります。おそらくは、1067mm軌間に合わせた位置になっているとおもいます。参考までに、長野電鉄村山橋のトラス部下面の画像をあげます。

長野電鉄村山橋 ・2005年8月 撮影

このトラス部は銘板も撮影していました。
1930年、横河橋梁製作所製でした。
新橋の開通に伴い旧橋梁は壊され、トラス部の一部が伊勢崎側にモニュメントとして残されているに過ぎません。その近くには1931年の開通に際して建てられた碑がありますが、その中にも上毛電気鉄道の名を確認することができます。

・・・この内容をまとめたところ、ネコパブリッシング発行のRailMagazine 1998年11月増刊号「トワイライトゾーンマニュアル 7」において、「東西の「新線跡」を歩く」というタイトルで採用されたのも思い出です。
・いずれも1998年5月 撮影。
・参考サイト
大島登志彦・石関正典 「上毛電気鉄道の設立と創業期の鉄道計画に関する研究」高崎経済大学論集 2007年土木学会付属図書館に記載の情報
http://library.jsce.or.jp/jscelib/h_bridge/22423.htm・参考文献
園田 正雄「上毛電気鉄道」 鉄道ピクトリアル 145号(1963年5月増)
※ただし、本記事を再集録した『アーカイブセレクション33 私鉄車両めぐり 関東(II)』 2016年 には掲載されていない。