銚子電鉄は電化以降、2軸車のみで営業を行っていましたが、1939年に初のボギー式の電車を導入します。
これがホデハ101形で日本鉄道自動車で製造されました。下野電気鉄道(のちの東武鉄道鬼怒川線ほか)が762mmゲージだったときに導入したデハ103(雨宮製作所製、1932年廃車)の改造という名目で製造されましたが、流用したのは改軌済だった台車だけです。そもそもナローの電車の車体をサブロクの鉄道線に転用するのは無理がありますが、台車の転用だけでも珍しい事例であると思います。

・上毛電気鉄道で保存されているデハ101の雨宮製の台車 2010年4月
車体は側面窓下だけ木造という変わった仕様。日鉄自の車両で切妻は珍しく、他車の台枠流用という線を疑いたくなります。が、竣工図上はボギーセンター間が5200mm、車体長が10200mmとキリのよい数値なので、そのう可能性も低いのかもしれません。この後、銚子電鉄はデハ1~3、ハフ1~2を似た仕様の車体に載せ替えています。
戦後、1950年にホデハからデハに記号を変更。そして1952年に製造元の日鉄自で車体を新製しています。側面窓間の木製増部分だけ鋼体化すれば・・・と考えてしまいますが、それだけ荒廃が激しかったのでしょう。新しい車体は全長こそ同じですが、ボギーセンター間は5600mmに拡大しています。車体も妻面がR付きになっているので、旧台枠の流用は無かったのかもしれません。個人的には、この時期の日鉄自製電車としては窓が小さめに感じます。
以降、他の車両と共に使用されましたが、いかんせん一番小さな電車ということもあり使用頻度は漸減。晩年は朝ラッシュ時の3連の中間に挟まって使われる程度となりましたが、それも伊予鉄からデハ801を購入して終焉します。しかし廃車にはならず、仲ノ町の車庫で隠居の身となります。

・銚子電気鉄道 デハ101 1990年8月 仲ノ町
1990年に銚子電鉄は、千葉交通から内野工務店に経営権が移り、駅の改装など観光鉄道化に向けて舵を切ります。車両の塗装変更もその一環で、デハ801に続いて失業状態だった当車が
デハ501と共に塗り替えられました。画像はそのときのもので、腰板の金色の飾り帯や車体中央のロゴは入れられていません。

・銚子電気鉄道 デハ101 1994年8月 仲ノ町
しかし、色が変わっても、仲ノ町で昼寝の毎日であることは変わらず。
というか、塗装変更を行ってから旅客営業が行われたことはあったのでしょうか。


・銚子電気鉄道 デハ101 1998年3月 笠上黒生
その後、笠上黒生駅の側線に移動し、そこでそのまま朽ち果てました。
撮影の時点では未だ車籍はありましたが、テールライトは失われ、ドアも壊れていました。
除籍は1999年。前面の外板が剥がれ落ちるなどして2009年には解体されました。
・参考文献
白土 貞夫『RM LIBRARY 143 銚子電気鉄道(下)』 ネコ・パブリッシング 2011年