前回の記事でもちょっと触れましたが、この非常事態のGW(に加えて若干の臨時休業期間)に
12~21年前に作ったまま、ほぼ放置状態にあった
全国に5E・6Eを求めてを全面的にリニューアルする作業を行っていました。掲載していた129の事業者のうち、本日までに終わったのは87社局。残りの中には、大物事業者(=車種数が多い)もあるので、気長にやって行こうと思います。
今回のリニューアルでは、サイト容量の都合上、掲載を見送った細かなバリエーション違いや、右側面側・リア側から撮影した画像についても積極的に載せています。また今後は、編集の都合上(・・・ようはやる気が無かったともいう)掲載していない事業者・まとめて掲載していた事業者についても個別のページを設けたいと考えています。

たとえば、こことか・・・。
それにしても、富士5Eが作られたのは、既に38~30年前、6EのU-LRを入れても25年前になります。私が追いかけていた20年年前は、大都市圏では当時は各事業者とも10~12年使用がデフォルトだったので、終焉間際の事業者もいろいろありました。この点で、実は富士5E・6Eを追うには既に時遅し‥という面があったのは否めません。最もそのちょっと前には7年程度で廃車にしていた頃もあるので、土台無理はあったのですが。
一方で、それ以外の場所では自社発注車・移籍車ともにまだまだ現役で、バリエーションが多い事業者もあれば、数両しかない事業者もありました。つまり、捕まえるのはいろいろ難しい車両も多く、その分、北は北見・釧路から南は那覇に至るまで、追いかけがいはありました(そして人生を踏み外した)。今なお、全国で数両が稼働状態にあるということは、かつてのバスの寿命を考えると、奇跡的にすら感じます。
新7Eの最終製造からでさえ17年を迎えた令和2年。はたして富士5Eの記録にどの程度の需要があるのかはわかりませんが、改めてご覧いただければ幸いです。