1990年代の長電バスから、今回は大型車のRCについて幾つか。
1990年代中頃の長電バスは、長野市内の主力車種は自社発注の中型車(日野RJ)が殆どで、移籍車の大型が主力の川中島バスとは対照的な存在でした。逆に大型車は冬季のスキー客輸送などに備えたのか、湯田中や木島といった郡部で見ることができました。


・長電バス 日野K-RC301 +日野車体 1997年2月 湯田中駅
画像は湯田中地区に配置されていた車両。長電バスの車両は前後折戸・2段窓が標準でしたが、このあたりの日野RCだけはトップドア・メトロ窓という観光地仕様で登場しました。ただし、同じ頃につくられた他の長野県内のバスも同様ではありますが、冷房はありません。

・長電バス 日野K-RC301 +日野車体 1993年5月 長野駅
この頃、長電バスにも移籍車は入っていましたが、規模は小さいものでした。
うち、長野市内の数少ない大型車になったのが、もと京阪バスのK-RC301で、前後扉が標準という長電の仕様を考えると妥当な選択だったのでしょう。京阪らしく左前方にセイフティウィンドウが取り付けられています。
その後、長野オリンピックを控えた頃だったと思いますが、長野市内でも今でいうバリアフリー対策として、リフト付きのバスを導入することになりました。しかし、長野の場合は新車ではなく在来車の改造で賄うことに。
このうち、川中島バスはもと都営バスのブルーリボンをタネ車にしたので、比較的無理のない外観にまとまりました。が、長電には先の京阪RC程度しか車両がないためか、それをタネ車に・・・かの有名?なモノコックボディにリフトを取り付けた空前絶後の改造車が誕生しました。


・長電バス 日野K-RC301 +日野車体 2002年12月 長野市内
後扉を埋めて、新たにリフト対応の扉を取り付けたわけですが、この部分だけモノコックに合わせることができなかったのか、スケルトンボディのような構造になっています。改造には相当な苦労があったことが偲ばれます。また、後ろ扉はなくなっても、その戸袋窓だけは残ってしまうのが、改造車らいしいところではあります。

大改造となった左側面に対し、右側面はなんの手も加えてないので至ってノーマルな状態でした。このような大改造を受けた為か、長電のモノコックとしては例外的に遅くまで残っていたと記憶しています。