昇圧前の豊橋鉄道渥美線の電車は各地から様々な車両を集めていました。
その中で、東京急行からやってきたのがモ1731・ク2731の2両編成で1975年に入線しました。

・豊橋鉄道渥美線 モ1731 1994年4月 高師

・豊橋鉄道渥美線 モ1731(廃車後) 1997年9月 高師

・豊橋鉄道渥美線 ク2731 1990年8月 高師

・豊橋鉄道渥美線 ク2731(廃車後) 1997年9月 高師
もとは東急3550形のデハ3553・3554です。この3550形というのは寄せ集めで、デハ3551と3552は川造型のデハ3203・3152の戦災復旧車 クハ3221・3223を1953・54年に東急車輛で車体新造した際に電装したもの。車体は当時製造中のクハ3850に準じたものでした。
それに対しデハ3553・3554は大東急時代の1947年11月に帝都線から転属したデハ1401(もと帝都電鉄モハ101)とデハ1366(もと小田原急行鉄道モハ251で1943年5月に帝都線に転属したもの)を、それぞれ1959年と1964年に東横車両で車体新造した際に改番したもの。従って、両者は車体も台車・主電動機も全てことなっており、凡そ共通性はありませんでした。
3553・3554は、
3600形に代表される全金属製の車体となりました。ただしデハ3553は、連結面の屋根部分が丸くなっていて、前照灯が独立タイプになっています。これに対しデハ3554は切妻で前照灯が埋め込み式になりました。両者はベンチレータの位置も異なっていました。

・1994年4月 高師
余談ですが、東横車両製の全金属車体は1958年のサハ3364にはじまり、以降デハ3500形1両(3508)、デハ3450形1両(3472=事故復旧車)、デハ3550形2両、デハ3600形4両・クハ3760形5両・クハ3770形4両、サハ3660形3両(3364~3366)が車体を載せ替えました。このうち、デハ3508の車体は写真等を見る限り丸妻で更新前の3500形に準じた寸法のようなので例外ですが、他は同一のようです。連結面が切妻なのは1959年までに車体新造された3664、3665、3553の3両のみなので、1960年にはじまる3600・3760・3770の全金属化の際に若干のモデルチェンジがあったことが伺えます。
3000番台車の中でもとくに新しい車体になったものの、台車・主電動機は帝都電鉄時代のままで川崎車両製の鋳鋼製台車枠に芝浦SE-139B(端子電圧750V・定格出力105kW)でした。これが仇になったのかはわかりませんが、1975年に早めの廃車になり、豊橋鉄道に譲渡されました。この頃の東急の動きを見ると目蒲・東横オリジナルの日立HS267を搭載した車両を残し、他を廃車にしていたように見えます。また、豊鉄への譲渡には、親会社の名鉄が東急3700形を譲り受けていたことが関連しているのかは、少々気になるところです。

・ク2731の川車製台車 1990年8月 高師
豊橋鉄道入線時にデハ3554を方向転換・電装解除して2両固定編成化、前照灯は豊鉄標準の独立式2灯シールドビームに交換しました。その後、他の渥美線の電車と同様、モ1731は台車・主電動機を旧型国電の廃車発生品のDT12・MT30に交換、また2両とも前面の行先表示は板から貫通扉埋め込みの幕式?になりましたがこのあたりの期日は残念ながらわかりませんでした。
また、モ1731は豊鉄渥美線の電車でははじめて日立の電動カム軸式制御器・MMC-H10系を搭載した車両になると思います。その後、もと長野電鉄の
モ1811、名鉄HL車の
モ3751、そして名鉄5200のモ1900でも採用されましたが、国鉄CS5を搭載した1700、1800などと分け隔てなく連結していました。
1997年の渥美線の昇圧で廃車になりました。
・参考文献
慶応義塾大学鉄道研究会『私鉄電車のアルバム 1』 交友社 1981年
今井琢磨「豊橋鉄道」 鉄道ピクトリアル461号(1986年3月増)