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創作鉄道資料館 特別企画 台北近代建築 高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集 ※現在、コメントとトラックバックは管理者の承認後の掲載となっています。従って、書き込み後暫く時間がかかることを、ご承知ください。 ※当ブログに対するご意見、ご要望などは こちらから、お願いいたします。 なお、リンクフリーです。 ※当サイト内の画像、文章等の無断転載を禁止します。 カテゴリ
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高松琴平電気鉄道琴平線 1070形・1080形
2022年 02月 06日
![]() 高松琴平電気鉄道琴平線の車両は現在、もと京浜急行の車両が多くを占めます。 ローカル電鉄では珍しい標準軌ということもあり、同じ標準軌の同社の電車を戦後混乱期から断続的に導入しています。しかしその多くは小型車で長尾・志度線に導入されるケースが大半でした。琴平線の大型車としての導入は、2扉クロスシートの600形を譲り受けた1070形以降になります。 ![]() 1070形導入の頃のコトデン琴平線を概観すると、琴平線の主力車両はもと名鉄3700形の1020形8編成16両で、最新の導入はもと三岐鉄道の1013・1063形6両(1983年竣工)でした。そのひとつ前の1981年12月に阪神ジェットカーの車体に新製の電装品を取り付けた1053形1053-1054を導入しています。この1053形の増備をコトデンでは考えていましたが、種車が尽きた(京福福井に先に確保されてしまった)ため取りやめとなったようです。※1 京浜急行600の導入にあたっては、1956~58年製で車齢が高いということがネックだったようです。※1 車齢30年超の車両の移籍が当たり前の現在から見れば少々驚きますが、上記の1013(1959~1963年製)、1053(1962年製造)など直近に導入した車両よりも車齢が高いのでは、その感覚も納得します。 ともあれ、コトデンはまず1957年製のデハ605・608を1071+1072として導入します。1984年12月のことでした。 京浜急行600形は車体・台車と電装品の組み合わせ複数あり、基本は東急車輛+東洋電機と川崎車輛+三菱電機でした。両者は大きく異なる点がいくつかあり、駆動方式は前者が中空軸平行カルダンで後者がWNドライブ、台車も軸箱保持が円筒ゴム+コイルばね式の東急TS-310に対し軸梁式の川車OK-18でした。コトデンは前者を導入しています。1053形は三菱の電装品でWNドライブを採用したので後者のほうがよかったようにも感じます。これは巷間、軸梁式台車を嫌ったためと噂されるところですが真相はいかに。 ![]() サボが入線当初の引っ掛け式の頃 主制御器も種車の電動カム軸・自動加速式の東洋ES560-Aを使ってます。コトデンでは1970年頃より車両運用に弾力性を持たせるため手動加速・単位スイッチ式のいわゆるHL制御車に統一してきました。しかし、1053形ではHL用のマスコンを用いて自動加速と手動加速の車両を一括で制御する方式を採用し、以降はマスコンの交換のみとなっています。制動もHSC-DからSME-Dに変更され、在来車との併結を可能にしました。 また600形は、1971~1972年に冷房化改造が実施されていたため、コトデン初の冷房車となりました。大手私鉄から冷房付きの車両を譲り受けて冷房化を向上させる手法は、1990年代にはメジャーなものになりますが、これが全国でも最初に行われた事例になります(動態保存を目的とした小田急3000形→大井川鉄道は除く)。 ![]() 1070のヘッドライトの位置は、もと阪神ジェットカーの各車に準じていることがわかる。 前面は2枚窓から貫通路つきに作りかえられ、種車の面影はありません。これは車両間を移動するのが目的ではなく、前面のサボ交換を行いやすくするため・・・と言われてます。コトデンでは同様に2枚窓であった1010形や62も1980年前後に貫通路つきに作りかえているので、それに倣ったのでしょう。新しい前面は京浜急行1500形に似ているといわれますが、同車は1985年3月の竣工なので1070形のほうが早く登場したことになります。 以降、1986年12月と1987年4月に1編成づつ導入し合計3編成が揃います。いずれも東急+東洋です。 ![]() 一時期、1071は側面に広告枠を取り付けていた。 コトデンは、更に京浜急行から車両を導入することになります。 メジャーな3扉車であった初代1000形が1080形として入線するのは1988年12月のことでした。 京浜急行1000形は長期の増備が行われましたが、1080形になったのはいちばん最初の量産車である1959~1960年に製造されたグループです。4両固定編成ですが、機器構成が編成の中央で背中合わせのため、単純に中間車を抜いて2両編成にすることはできません。そこで琴平側先頭車である奇数車は中間車に先頭車の運転台付近を切り継ぎました。 電装品や台車が大きく異なる2種類があった点は600形に同じで、コトデンが導入したのはやはり東洋製の電装品を搭載する車両でした。制御・制動面での改造も同じです。車体も東急車輛製が殆どですが、もとデハ1019+デハ1020の1083+1084のみ川崎車輛製です。冷房改造は1979~1984年に実施されており、1070形偶数車と同じ集約分散式(東芝RPU-2209)を搭載しています。 ![]() 瓦町再開発工事に着工した頃の写真。また旧駅舎が残っていた。 さて、京浜急行600形は地方鉄道車両定規に収まる車体幅2700mmですが、1000形は都営地下鉄1号線直通規格であるため2780mmあります。この寸法だと入線できないローカル私鉄も多かったのですが、コトデンの場合は戦後初の新車である10000形(1952年3月 日立製)で2800mm幅の車体を採用したため制限はありませんでした(余談ながら、もと国鉄オハ31の950形や、もと阪神ジェットカーが入線できたのもこのため)。 また、1080形は3扉のままで入線しました。これは、阪神ジェットカーや1063形が中扉を埋めて入線したのとは異なる点です。 当時琴平線上り電車が発着する瓦町駅1番線は半径200mのカーブ上にあり、18m級以上の車両で中扉を設けるとホームと車両の間の空隙が広くなってしまうのがその理由でした。しかし、ボギーセンター間が13000mm台の阪神ジェットカーに対し1080形は12000mmと約1m短く、空隙がそれほど大きくないことから中扉が存置されました。最も、1063形も12000mmだったので、あとから思えば無駄な改造をしてしまったことになりますが。いずれにせよ、3扉車が就役できたことは瓦町や片原町での乗降時間短縮に繋がったのではないかと思います。 ![]() 高松築港駅への路線延長で発生した急曲線上にホームがあり、ホーム端を斜めに削るなどの対応をしていた。 1080形はコトデンで初の前面・側面に電動式の行き先表示器を備えた車両でもあります。当初は、前面のサボを併用していましたが、1991年にサボの更新(引っ掛け式から差し込み式へ変更)が行われた際にとりやめになっています。 ![]() 1991年までは方向幕とサボを併用していた。列車は当時設定されていた準急。 1080形はその後毎年1~2編成が導入され、1991年に6編成が出そろいます。1070形と合わせて琴平線の冷房車は9編成となりました。これにより1020形は、WNドライブ化された2編成を除いた6編成が廃車になり(他に10000形1001+1002と5000形520が廃車)、主力が入れ代わりました。 また、同線は1991年3月に陶駅に交換設備の新設を行ってスピードアップしており、日中の運用数は7から6に減りました。したがって、琴平線は日中の運用を冷房車ですべてを賄えるようになったわけです。これは当時、冷房車はゼロ、あっても数両のローカル私鉄も珍しくない中では進んでいたといえます(当時、冷房化率が高かったのは、たとえば静鉄、遠鉄、伊豆箱根、福井鉄道、豊鉄渥美線、伊予鉄、富山地鉄といったあたりで、富士急や上信は1編成だけ、長電は特急だけ・・・という状況)。 関東大手で冷房化率100%を真っ先に達成した京浜急行を車両供給源としたこと、さらに同社内で冷房器の他車への流用が行われなかったことが幸いしました。 ![]() 京浜急行1000形の廃車はこのあともコンスタントに続きますが、コトデンでは暫くの間増備がありませんでした。それは「次は長尾線・志度線の冷房化」を考えていたことに他なりません。21世紀まで戦前製の旧型車が残っていたことが、旧体制コトデンの悪しき象徴のように考えられていますが、当局も放置していたわけではなく、たとえば山陽電鉄300形の導入などを考えていたようです※1。しかし、全長約17m以下、全幅2744mm以下、自重30t以下という制限は厳しく入線可能な車両は無かったのでした。 それでも、この時期には京王重機から某電鉄の車両の全長を短縮して入れるという提案※2がありました。しかしこの案も結局は某電鉄の廃車計画が変わったため実現しませんでした。一方で、路線側の改良は進められ、重軌条化率の向上(実は1990年頃は架線柱の更新もあいまって、JR四国よりもコトデンのほうが立派に感じるほどであった)、志度線の橋梁架け替えや八栗変電所の新設、交換設備の復活による運転間隔短縮など様々な投資が行われていたことは記しておきたいと思います。もっと早い時期に・・・という考えもあるかと思いますが、志度線が1966年、長尾線が1976年に昇圧するなど脈々と改良を行っていたことを考えれば、それも無理というものでしょう。 話がそれてしまいましたが、琴電入線後はあまり大きな変化はありませんでした。外観上ではすでに記したサボの変更のほかは、アンテナの変更(いわゆる破れ傘から1本物に交換)くらいでしょうか。いちばん大きな変更は、2001年12月の事実上の倒産後の更生の過程で琴電はラインカラー制を採用し、車体外装もそれに準じたものとなります。琴平線は黄色と定められ2003年に入線した1200形(もと京浜急行700形)から採用されますが、1070・1080形も同年から2006年にかけて新塗装になりました。2010年代に入ると、1080形には全面広告車になるものも出ています。 ![]() 琴平線ではラッシュ時にしか走らない非冷房の各車のほうが注目されていて、1070や1080は特に見向きもされなかったように感じます。その状況が変わるのは、京浜急行に残る1000が少なくなった2010年頃だと思います。主に京浜急行ファンからの視線を集めるようになっていきます。1070・1080ともに1編成づつ廃車が出ただけですが、今は最大派閥の1200形に押されて、1080形でも日中は走らない日もあるようです。 すでに車齢60年を超過しておりかつての長尾・志度線の旧型車なみとなりましたが、ことでんのバリアフリー対応計画によれば後継車種の導入は2024年なので、今しばらくは見ることができそうです。 ※1 小笠原裕一「琴電1013・1063形デビュー」鉄道ファン270号(1983年10月)による。 ※2 鶴通考・沖勝則「地方で対面 車両譲渡の舞台裏」鉄道ジャーナル409号(2000年11月)による。 ・参考文献 高嶋修一「他社に行った京急の車両」鉄道ピクトリアル656号(1998年7月) 園田淳・新澤仁志・萬谷彰「私鉄車両めぐり 京浜急行電鉄」同上 片野正巳・赤井哲朗『私鉄電車プロファイル』機芸出版社 1970年
by hiro_hrkz
| 2022-02-06 20:51
| 鉄道(近代形電車)
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