(その2)から続く
最初の予定では11:00の便は撮らずに新營を離脱する予定だったのですが、もうちょっとここにいることに変更。
延平路の踏切を、今度はもっと離れて急水渓橋のスロープから望遠で撮ってみました。比較的手軽に台湾らしい街中をゆく風景が撮れるとは思いますが、踏切待ちでどういうクルマが並ぶのかは少々ギャンブルですね・・・今回はちょっと背の高い車が止まってしまいました。

その後も追いかけるつもりだったのですが、ここで道を間違えて(正確には道が途切れていた)万事休す。飲み物も切れてしまったので、ここは大人しく市街地へ戻ってから急水渓の鉄橋へ・・・。この橋梁、しっかりとした作りで意外と新しいもののようです。


潜水橋と築堤のどちらか撮るか迷いましたが、結局のところ後者に。柵が高いので、ちょっと処理に工夫が必要です。



その後は自転車を飛ばして先回り。築堤を降りてくるところ、そして中興駅へ入るところを撮影しました。
この築堤北側の自転車道となっているところも、かつての糖鐵の廃線跡です。2本の線路が並行していますが、北側のニブロクは鹽水を経て海岸沿いの街、布袋へ向かっていた布袋線。一方、南側のデュアルゲージは新岸三線で、鹽水まで布袋線に完全に平行するものの幾つかの支線を分岐していました。新營糖廠の西側からは3本の路線が乗り入れていたわけで、線路を跨いで大きな信号取り扱い施設がつくられた理由がわかります。



これで勝利號の撮影は終了・・・ということで中興駅周辺を散策していたのですが、駅東側の中興路の踏切が騒がしいではありませんか。この日は、11:40発の新營駅ゆきもドイツ製ディーゼル機ではなく、勝利號が充当されました。思わぬボーナストラック。跨線橋の上から撮影してみました。

ようやくここで一息。砂糖工場ですからやっぱり甘いもの・・・アイスクリームに紅豆(小豆)をトッピングしたものを調達しました・・・台糖の文化園区ではここ以外でも甘いものが美味しいことが多いです。これで生き返りました。

最後に中興駅に戻ってきた勝利號を撮影。Youbikeで台鉄新營駅に向かい、自強號の客となったのでした。
ここで、少々歴史的な話を。現在は運行区間は一括で八翁線と称しています。しかし、歴史的には布袋線が鹽水港製糖により1909年に新營~鹽水を開業したのが最も古く、一方で火売店を経てさらにその先へ行く路線は1942年に開業しています。こちらは、後に學甲まで延伸し學甲線となりました。従って、新營駅から延平路の踏切(廠前駅)までが布袋線、そしてその先が學甲線・・・と言いたいのですが、これがどうも一筋縄では行かないようなのです。
八翁線の給水渓のあたりの航空写真を見ていると、現役の路線と前回紹介した2つの廃線跡の他にも、なにやら怪しいカーブが幾つかあることに気がつきます。それはいずれも現在の八翁線もしくは廃線跡の2線に合流していることがわかります。
実は、この区間。かつてはこのように線路が敷かれていました。果毅後線と台糖新營副產加工廠の専用線は果毅後線分岐点からスイッチバックして進行するようになっていましたが、60年前は急水渓の鉄橋はいまよりも東にあり、果毅後線と台糖新營副產加工廠の線路が次々に分岐していました。そして、廠前駅とこの2線の分岐点までは柳營線というのが正しいようです。果毅後線分岐点の建屋や急水渓の鉄橋が思いのほか新しめなのは、このあたりが理由だと思われます。おそらくは急水渓を改修した際の移設ではないかと思われます。
台南市の学校教育?用のサイトによれば、民國79年・・・つまり1990年に橋を架け替えたとあります。
なお、この記事を書くにあたっては、以下の論文およびサイトを参照しました。
辻原 万規彦、今村 仁美「台湾における空中写真と旧版地図を用いた製糖工場と社宅街に関する調査」 日本建築学会九州支部研究報告 第 53 号 2014 年 3 月
「1978年臺糖鐵道平面、分佈圖」(中文)
また、その1でも紹介した洪致文氏のブログ「飛行場の測候所」では
かつての中興駅(新営糖廠)のヤードが掲載されています。