今月頭にスキャナーが壊れた。
自分がサイトをはじめるにあたり購入したものだから、7年10ヶ月ほど
使ったことになる。この間、2*00枚の画像をとり込んだ事を思えば、
充分にモトをとったといえよう。
同時に、自分がサイトを構築し、公開してから、それだけの月日が流れている
ことを思った。
1999年といえば、インターネット利用者が爆発的に増える時期にあたる。
私がネットを使い始めたのは1997年。たまたまコンピュータ関連の会社に入ったからである。
未だネットの世界は人口が少なく、掲示板の数は限られていた。
その分、コミュニケーションも取りやすく、OFF会に行くことに対する抵抗も薄かった。
サイトを作ろうと思ったのも、掲示板でのコミュニケーションの結果である。
しかし、そんな時代は長く続かなかった。
利用者が増えれば、いわゆる「困ったチャン」も増える。
一方で、ネットは、人と人との距離感覚を狂わせやすい。
結果、コミュニケーションの場は管理が難しくなる。
私も一度、このあたりが原因で喧嘩したこともあるのだが、そうなれば、警戒心は強くなる。
結局、掲示板上に書かれる名前は、本名よりHNそして匿名と変化してゆく。
その一方で、本当に大切な情報は、既に知り合った人と直接メールでやりとりするようになる。
(もしくは、情報伝達手段を失う)。
これが、極々一般的な流れだったようだが、当然の結果だったと思う。
この流れは、後にブログ、そして現在はMIXIとネットの新しい表現・意志疎通手段ができるたびに繰り返されている。今のMIXIなんて、全員コテハンの2chとしか思えない時も多い。
ネットの旬は早い者勝ち、そして非常に短く、また再生産されていることを感じる。
そういえば、情報の発信も変わった。
1999年頃は、雨後のタケノコの如く、たくさんのバス系サイトが出来た時期である。
しかし、自分のサイトも実質的に放置状態にあるように、今も元気なところは数えるほどしかないだろう。
サイトの維持が心理的苦痛になったなどという話はよく聞く。
その変わり、ブログが増えた。
が、サイト主体の頃よりも更に速報性を競うようなキライがある。
勢い、情報が刹那的なものとして扱われ体系的な整理もしくは考察というものが、疎かになっていると感じる。
(ブログを1年4ヶ月行って感じたのは、タグだカテゴリだと工夫しても、エッセイ、コラム、連載小説にしか向かないということ)。
また、気軽に発信できることが、多くのトラブルを起こしていることは、もはや常識であるが、
これは情報を発信することの利点ばかりを強調するあまり、弊害を隠蔽したツケでもある。
かくして、web2.0なぞ共同幻想に過ぎないと、冷めているのが最近の自分である。
はて、サイト共々、今後の処遇をどうするか・・・。