Yahooにはニュースにコメントを付ける機能がある。
Mixiにはニュースに対して日記を書くことが出来る。
イザ!のようにブログにトラックバックできるニュースサイトもある。
しかし、それらのニュースに付いてくるのは、なにか有用な考察よりも
各々が骨髄反射で綴った感嘆が目に付く。
まあ、読者の総数に対し専門的な知識がある者は少ないから、こうなるのは当然のようにも感じる。
なにより、そのようなコメント欄というのは、より専門的な見方を求めるためのものではなく、一種のコミュニケーションツール・・・すなわち、自分の考えは「他人と同じ」であることを確認する為のものと考えれば、納得できる話ではある。
いよいよ情報が一過性の消費物になったと思う。
テレビと新聞の時代、ニュースの消費期限は長くて2週間だった。
今は、一日である。いや半日かもしれない。
逆に、情報を蓄えて分析できるかという能力が試されているようにも感じる。
ノウハウというものも、研究結果というものも、戦略というものも、全てはこの上に成り立っているのだから。
だが、どうも近年の状況はこれが疎かになっている。瞬時の判断というものが重要視される昨今ではあるが、そのためには、膨大な情報の蓄積とその分析が必要なはずであるなのに。
一般論はさておき、こと鉄道・バスに関してはどうなのだろうか。
最近、10年ほど前の車両で知りたくなったものがあったのでネットを漁ってみたのだが、その頃に見ていたサイトは閉鎖されていたり、コンテンツが削除されていたりと、全く引っかからないのである。
記録する人は爆発的に増えた。
しかし、1ヶ月前の出来事は山ほどひかっかるが、10年前のものはない。
それがネットの実情なんだと思った。
10年たてば、人は変わる。学生が社会人になり結婚・あるいは昇進、転居。
そういう事情を考えれば、むしろこれは当然なのかもしれない。
今日、最後に観たニュースは、いったい何時まで人々に記憶されているのだろうか。
そして、私も、覚えていられるのだろうか。