わたしが、はじめて宿泊を伴う一人旅を許されたのは、19年前の夏のことでした。
そのときに選んだ目的地は、関西地方のローカル私鉄。その中でも、とりわけ期待していたのが野上電気鉄道でした。
紀勢本線の海南駅の裏手から連絡口のホームへ。
当時、本では取り上げられていた日方との間取りを理解し、待つこと数分。
やってきたのはもと、富山地方鉄道笹津線のデ10型でした。
何にいちばんビックリしたのかといえば、その車内放送でした。
マイクなど使わず、車掌による肉声の案内。おおよそ近代化への縁から取り残された鉄道という点では、当時でも飛びぬけていたと思います。終点登山口まで乗ると、初老の車掌さんから、記念に切符を頂きました。
・野上電気鉄道 デ11 1989年7月 日方
帰りがけに日方の事務所で思い切って話をしたら、車庫構内への立ち入りを許され、留置中の電車を撮影することができました。生まれてはじめての構内立ち入りに感激しながら、夢中でシャッターを切った、そのときの一枚がこの画像です。
側面の広告にある「これが淡路か ニースじゃないか」は、なかなかインパクトが強いようで、同世代の旧型私鉄電車ファンでは、結構知られているようです。
このようにして、私のローカル私鉄の2歩目は、非常によい思い出でした。
が、野上というと一般的には廃止間際に発生した様々なゴタゴタのほうが、多くの方にとって今に至るまで強い印象となっているのは、たいへんに残念な話だと思います。
このとき同時に訪問した有田鉄道は廃線、南海貴志川線は和歌山電鉄に再独立、水間鉄道は車両の全面変更・そして倒産を経て再生・・・約20年のときの流れを感じます。
※2014.6.26 画像を交換しました。