バスコレのRC、RVが発売になりましたね。バリエーション豊かな時代の車両ですから、改造ネタも多い反面、工作も高度なものが要求されそうに思います。
変わった車両であれば、長野電鉄のリフト車や、京王のワンロマ、あるいは千葉海浜の3扉なんてのが思い浮かびますが、やはり究極の改造・・という意味でチャレンジしたくなるのがこの車両ではないかと思います。


近畿日本鉄道が日野と共同開発した、近距離路線での使用を想定した2階建てバスです。この頃は、未だ「2階建電車」といえば近鉄の代名詞でしたから、おりしもブームとなっていた2階建てバスでも新しい試みを起こしたかったのでしょう。しかし、当時は輸入の貸切車ばかりという情勢ゆえなのか、それとも構造上の問題なのか、認可が下りず、結局、1982年3月に貸切車として登録されたのでした。
その後、どのような変遷をたどったのかは知りませんが、末期は香川県の瀬戸大橋タワーの無料送迎車(自家用)として使用されていました。
発見は偶然でした。コトデンの旧型車目当てに頻繁に高松通いをしていた頃のことです。帰京時に乗った岡山行きマリンライナーの車窓を何気なく見ていると、瀬戸大橋に差し掛かる直前に、紅いバスが留まっているのが目に飛び込んできました。それが試作2階建て車であることはすぐにわかったので、次の高松訪問時の課題としておきました。
世はミレニアムに浮かれる2000年の正月7日。そのときがやってきました。
しかし、いちぢるしいバス路線崩壊が起きている香川県。大橋の真下へ行くのは、僅かな本数のコミバスがあるだけという予想しながらも愕然とするお寒い状況でした。観光案内所のアドバイスに従い、駅前の自転車屋でママチャリを貸してもらい、片道7kmの道のりを進むことにしました。
ストロー効果と郊外化で寂れた中心部を越え、巨大なコンクリの橋脚が林立する中を進むこと30分、漸くにしてたどり着いた瀬戸大橋タワーは、ブームが終焉した観光地にふさわしく、雑然と不用品が置かれるなど、いささか淋しい場所でした。それら粗大ゴミと同様、駐車場の片隅に、このバスも置かれていたのでした。つまりは既に使ってはいなかった模様。


この車両、低床車のRE161をベースとしていることから、この型式で説明されることがあります。しかし、日野自動車のネームプレートには、型式も製番もなく、その真ん中あたりに「HD-01」なる文字列が打刻されているのみ。以前教えていただいた情報では、型式のない完全な試作車だったそうです(日野車体の方には通常の製番が打刻)。
そしてフロントの上には近鉄時代の車番「2751」が書かれていたままでした。


前から見ると、普通のバスに2階部分を後付で増築したようにも見えます。一方、側面は一部の窓の構造が特殊ですが、その部分の床形状に合わせたもの。運転席側側面の窓が黒塗りの部分は階段で、前後2箇所にある構造でした。2階の窓は1階のものより随分天地寸法が小さいことがわかります。

車内をフロントガラスから覗き込んでみます。時代が時代だけに、床構造は相当無理しているようです。外見から察するに、2階は相当窮屈だったでしょう。
ロンドンや香港、あるいはベルリンなどと異なり、高さに著しい制限のある日本では、この点で設計が苦しく、路線用としては、やはり無理があったようです。
この車両、今はとある業者に引き取られて保存されているとのこと。
ところで、今回記事を書くにあたり検索すると、こんなものが引っかかりました。
http://www.tabi-navi.net/kagawa/setooota/index.shtml
一体、いつの情報だよ! これ・・・・。
そして「ロンドンタイプ」の宣伝文句。だから赤かったのですね。
なんともはや。
※2016.07.29 画像を交換しました。