今でこそ、もと京王電車に統一され、整然とした感のある伊予鉄道の鉄道線。
しかし、それらが入線する前は、自社発注車はともかくとして、譲渡車に関しては
コトデンもびっくりのバラエティー豊かな陣容でした。
西武所沢工場から次から次へと送り込まれた各車は、
その多くが関東型窓配置で、似たような外観に改造されたため、
一見すると気がつきにくいのが、罠なのですが。
関東窓配置の車両を記すと、
もと京浜急行電鉄400形(三井造船玉野製)のモハ121~123、クハ421 (1968年入線)
もと東急サハ3350形→上田交通(未入籍)の サハ501、502 (1971年入線)
もと相模鉄道モハ2015、2016の モハ131、132 (1972年入線)
もと京王帝都電鉄デハ1402、1403の モハ133、134 (1975年入線)
クハ1203、1204の モハ135、136 (1974年入線)
デハ1802、1803の サハ511、512 (1974~1975年入線)
もと南武鉄道クハ252→国鉄クハ6011→伊豆箱根鉄道クハ27のモハ210 (1977年入線)
もと小田急電鉄デハ1902、1901の モハ124、125 (1978年入線)
と、このような状態。
車種統一を進めようとしてうまく行かなかった感のあるコトデンに対し、
こちらは、いずれも2~5両づつの少量多種と、架空鉄道作者にありがちな妄想を地で行っている感すらあります。
ちなみに、これらの多くは出元各社で下回りを別の車両に流用したため、西武所沢で機器を調達して取り付けています(モハ210、124、125は古町工場で施行)。ただし、モハ121~125はHL制御なのに対し、モハ131~134は国鉄CS-1A制御装置を搭載しているのが大きな差です。またモハ210は火災消失した自社オリジナルのモハ202の代替として急遽入線したものです。

伊予鉄道 モハ131 1990年8月 古町
画像は、これらの車両のうち、私が唯一見ることができた、もと相鉄の車両です。
車体は1955年東急車輛製で、台枠は戦災消失した東急井の頭線(帝都電鉄)モハ1400のものを流用しています。中間車は、もと青梅電鉄モハ506の相鉄モハ2013を改造したクハ431(サハ531)で、モハより大きく窓配置も異なっていました。
なおモハ133・134は、もとを正せば戦災を逃れた帝都電鉄の車両です。
だからまあ、脈絡なく京王の電車を選んだということもなさそうです。
こちらの編成は、より新しく車体の長い1800型が中間サハになったのですが、これも、もと相鉄車に極力合わせようとしたものと推測されます。
さて、伊予鉄は最晩年、これらの車両に小田急FM車のWNドライブ+アルストム式の台車を取り付け、アンバランスな外観となっていました。この車両もFS316を取り付けています。
これらは、後に、もと京王5000の700形に再度流用されています。
※2014.6.26 画像を交換しました。