この電車も、地方私鉄が好きな人にはウケのいい車輌だったと思います。
その改造に次ぐ改造で生き延びた点が。

・福井鉄道 モハ81 1994年9月 市役所前

・福井鉄道 クハ81 1998年9月 浅水~ハーモニーホール

・福井鉄道 モハ82 1999年10月 家久~上鯖江

・福井鉄道 クハ82 1998年9月 浅水~ハーモニーホール
もとは南海の木造車で1948年に4両が入線。
1956年には日本車輌でノーシル・ノーヘッダーの車体を新造と、ここまではよくある展開。
両運転台車で、120型との併結もあったそうです。
その後、1977年にモハ81とモハ82、モハ83とモハ84の組み合わせで固定編成化し、偶数車は電装解除されMT編成になります。乗務員扉の新設や尾灯の変更を実施。車番は、モハ81-クハ81、モハ82(2代目)-クハ82となり、晩年まで続くスタイルが出来上がります。
そして、1987年にモハ81-クハ81は、車内の固定クロスシート化、モハは更に国鉄DT21台車に履き替えて中空軸並行ドライブ化を実施します。続いて1988年に実施されたモハ82-クハ82は、これに加えて新品の冷房機(東芝RPU2204AJ 8000kcal/h)を屋上に3台載せて再登場。同じ頃に登場した豊橋鉄道1900を思わせる改造っぷりでした。
のちに81のほうも1992年に冷房化されました。
この2編成、同じメニューを実施されていますが、81のクロスシートがJR発生品なのに対し、82は西武生工場製だった点などが微妙に異なっています。クハの台車もバラバラで、82のほうは富山地鉄中古の日車プレス鋼板台車(NA-4P)なんぞを履いていました。
そうそう。この時代、地方私鉄でも何社かで既存の車輌に対する冷房化が行われました。
豊橋鉄道や伊予鉄道、お隣の京福福井でも実施されていますが、これらはみな路面電車用の軽量クーラー(三菱CU127系)を載せていますが、ここは300形、200形ともに普通の鉄道線タイプの集約分散型(東芝RPU)を搭載。果たして車体は大丈夫だったのか?と今更ながら思うのです。
※2015.1.16 画像を交換・追加しました。