
戦前の私鉄の発注車というと、高速電車についてはだいぶ減ったものの各地で保存車を見ることができます。
しかし、一方で気動車となると、その寿命が電車に比べて短いこともあり非常に少なくなります。
客車化・電車化されたものを含めても、全国に15両程度ではないでしょうか。
その中で、戦前の姿に復した事例が長野県佐久市の中込学校に保存されている、佐久鉄道(現在のJR小海線小諸~小海)のキホハニ56です。


佐久鉄道が1930年に日本車輌本店で製造したガソリンカーがキホハニ51~56で、手荷物合造車でした。翌年には手荷物室のないキハ57、58を増備しています。日車本店が手掛けたサブロク向けの気動車としては、初期のボギー車になります。同系車が丸子鉄道、飯山鉄道、秋田鉄道(いずれも日車支店製)に存在しました。
単体で見るとあまり感じませんが、車体幅は2200mm、車体長も11290mmという小ささ。路面電車の中でも特に小柄であることで知られる北陸鉄道モハ2300→豊橋鉄道モ3300あたりと、あまり変わらないということですね。
佐久鉄道の買収後は、キホハニ51~56がキハニ40600~40605→キハニ40701~40706に、キハ57~58がキハ40500~40501→キハ40305~40306に改番。一部は紀勢中線(新宮~紀伊勝浦 旧・新宮鉄道)に転じたようです。いずれも燃料統制が厳しくなった1940年代に廃車になり、各地の私鉄へと払い下げられました。
このキホハニ56→国鉄キハニ40605→キハ40706は1942年に廃車、1943年に三岐鉄道に入線しキハニ6→キハ6となります。三岐在籍中に前後に荷台が取り付けられました。1954年には別府鉄道に譲渡され、キハ3となり1984年の廃線まで在籍します。
そこで終焉となるのが通常なのですが、別府の車両は保存されたものが多く、この車両も佐久平に戻ることになりました。マイナーな中小私鉄に地元の車両が残っていることを、いかなる縁で知ったのか気になるところではあります。そういえば、相鉄には客車(ハ24)が里帰りして復元されていますね。
前後の荷台を撤去し、佐久鉄道の時代に近い雰囲気となって国鉄形蒸機とともに保存されています。
戦後混乱期に端を発する細かいガラス割りがそのままだったり、窓の周囲に保護の枠が取り付けられてはいますが、戦前の私鉄気動車が残っていることだけで、ありがたいですね。屋根付き保存であるのも状態が比較的よい理由なのだと思います。

・カタカナの「サ」が9つで、「サク」となる佐久鉄道の社章
・1枚目:2016年1月
・2~4枚目:1996年3月 いずれも旧・中込学校(長野県佐久市)にて撮影
・参考文献
湯口 徹『
内燃動車発達史〈上巻〉戦前私鉄編』ネコ・パブリッシング 2004年
湯口 徹『
内燃動車発達史〈下巻〉戦前メーカー編 』ネコ・パブリッシング 2005年