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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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地下鉄っぽい電車
移動自粛要請が解除されましたが、こんな電車が完成しました。
地下鉄っぽい電車_e0030537_18542250.jpg
ことの発端は今年の2月。とある鉄道模型店で鉄コレの事業者限定品である北大阪急行電鉄2000形の先頭車2両を発見しました。これを使えば、なにか面白い電車ができそうだなあ、ということで買って帰ることに。
地下鉄っぽい電車_e0030537_18542279.jpg
屋上のモニタは外して普通の屋根に、また車体幅が2800mm超では広すぎるので、実物換算2700mmになるように唐竹割りにして狭めています。なお、前面は側板と切り離して両側を削ってから再度貼り付けています。前面窓は左右とも同じ大きさに変更し、ジャンク箱から拾った窓ガラスパーツ(何かの戸袋窓)をはめ込むようにしました。貫通扉もくり抜いて、プラ板から新製しています。
地下鉄っぽい電車_e0030537_18542252.jpg
車体はステンレスカーなので、当然ながら銀色で塗装。タミヤのリーフシルバーを使っています。帯はクレオスのスカイブルーです。屋上の冷房はGMのJR西日本用を3機づつ搭載しています。
下回りは鉄コレの19m級を使用。台車はGMのKDタイプで、動力車は台車枠の側面だけ切り出して貼り付けています。
地下鉄っぽい電車_e0030537_18542254.jpg
大阪の地下鉄独特の19m級4扉車ですが、出来上がってみると、前面の雰囲気は営団東西線5000、台車などは都営三田線6000、さらに分散冷房が載っているあたりは名古屋市営鶴舞線3000で、あちこちの地下鉄電車をごちゃまぜにしたような車両となりました。
# by hiro_hrkz | 2020-06-28 21:15 | 模型・神奈電・架空の鉄道 | Comments(0)
それぞれの理
それぞれの理_e0030537_00441515.jpg
・1990年6月 国分寺~一橋学園

 SNSを追っていて、ふと西武最後の吊り掛け電車 351系が引退してから30年であることに気が付かされた。1954年に登場した戦後初の西武の新車である。それよりも後に製造された車両が続々と廃車になる中で残されたのは、多摩湖線国分寺駅の有効長の関係で、例外的に17m級車の3連を残さざるを得なかったからである。しかし、それが駅を移転させることで20m級4連の運転が可能になり、1990年6月23日をもって運用を外れた。これにより、西武鉄道は冷房化率100%を達成したが、この車両の存在で冷房化率が99.9%で足踏みしているうちに、小田急に冷房化率100%追い越された曰くがある。当時の私は、向ヶ丘遊園のモノレールも含めて計算しろと思ったとか思わなかったとか。

 さて、西武351系の写真を見ながら、少々思ったことがあるので、ここに書き連ねてみたい。
今は故人であるが、特撮で有名な監督氏が、その晩年に電車に関する読み物を著した。関東地方の様々な私鉄の車両もとりあげらていたが、中身を一瞥して「西武はやはり蚊帳の外か」とガッカリしたことを覚えている。

 だいぶ前に、このブログで「国鉄中心史観」をヤリ玉にあげたことがあるが、一方で「私鉄高性能車・特急車史観」というものも見え隠れすることがあるように思う。

 各社の1950~60年代の名車といえば、東武はDRC、小田急はロマンスカー、京王帝都は5000系と3000系、東急はアオガエル、京浜急行は600、京成は初代開運号、営団は丸ノ内線300、相鉄は5000系・・・でも西武は???

 私鉄電車といえば、華やかな特急車、あるいは国鉄に先んじて各社に登場した高性能車が注目し称賛される存在であり、これらが実質的に昭和44年の西武秩父線開業まで存在しなかった西武は無視される・・という展開は、鉄道関係の著作でもいくつか見られた。そういえば、何かにつけて西武にはケチをつけたがる某鉄道趣味誌に連載を持っていたかたもおられた・・・そういう反応には、西武の社主であった堤一族のダークな面も影響しているようにも思うが・・・・、。
 
 閑話休題。そんな華やかな面だけが正義ではない、ということが平成の30年で漸く浸透したように感じる。
351系は車体は新造であるが、電気機器類は国鉄の払い下げ品を使ったもので、そうした姿勢は1960年代後半の411系まで続いた。そして、戦後混乱期には国鉄から戦災車などを大量に譲り受けた事実がある。主たる観光地もなく特急車とは無縁の存在・・・当時の同業他社のような華やかさや革新的なことは車両面では何一つなかったと言ってもいいだろう。
 しかし、西武が新技術の導入には目もくれず、こうした車両を増備したのは、急増した旅客に応えるのが理由の一つである。幹線である池袋線の複線区間はは戦前の段階で池袋~保谷のみであり、それが所沢まで達したのは1960年のことである。施設の面でも輸送量が急増したことが窺える。その一方で、私鉄初の10連運転が始まったのは1963年で、国鉄山手線よりも早かった。また、戦災国電を導入したことから車体幅・長さの制限が緩くなったことを活用し、国鉄と同じ幅2800mm・長さ20mの車両をいち早く揃えて行った(最も、その過程で20m級3扉を標準としたことや、ライバルの東急系企業が前身だった故に地下鉄乗り入れから距離を置いていたなどのポイントもあるが)。もちろん堤氏の節約精神も考慮されるべきだが、西武はまず絶対的な輸送力を確保することを目指していたことが読みとれる。
 似たような面があるのは東武で、特急車はともかく、普通電車に対して著しく低い評価しか与えられていなかった。こちらは63形導入後それに範をとった78系を1960年代初頭まで導入していたためである。こちらも輸送力の確保を第一に考えていたのであろう。実はCS1形制御器やMT15形主電動機といった大正〜昭和初期の技術で走らせる西武の吊り掛け車とは異なり、主電動機(HS267/TDK544)・制御器(MMC)などは最新のものを採用していたのだが、見た目重視の鉄道マニアからの評価は宜しくなかった。そもそも気が付いていなかったのだと思う。余談だが、その後継の8000系も車両数があまりに多いために私鉄の103系と揶揄されるなど、バーニヤ制御にエアサスかつミンデン式の台車、奥行きのあるロングシートの採用などの点がきちんと見られてこなかったと思う。

 これは華やかな特急車と新技術の導入に積極的だった小田急とは対照的な点である。小田急は戦中に国鉄型車両の入線が可能であることが実証されたにもかかわらず、それは63形の割り当てと特急車の一部くらいにしか活用されなかった。それどころか、通勤車は2700mm幅の中型車に逆戻りしてしまう。これが克服されるのは1964年の2600形導入まで待たねばならず、10連運転の開始も1977年と遅かった。小田急は新技術で客を捌けると思っていたフシがある。
 また、初期高性能車そのものの評価も考えてみたい。外面的には横浜の比較的規模の小さな事業者であった相鉄が、大手私鉄ばりに高性能車の5000形を1955年に導入し、以降5年で20両を揃えたことは快挙ではあると思う。が、ボディーマウント構造が保守の面で嫌われたことや、車体そのものの劣化、また18m級では輸送量に耐えられなくなったために、新造後20年持たずに車体を載せ替えかえた点からは、別の査定があって当然であろう。これは京成750形にも共通している面があるし、名車と言われる東急5000系も台車の補強など各部に手を入れて延命させていたことに触れる必要があろう。

 こんな点を考えた場合、たとえば京王帝都の名車は何になるのだろうか。それに対して初代5000形を思い出す人は多いだろう。1963年の京王線の昇圧に際して登場し、それまでの車両と一線を画すアイボリーに赤帯の外装を採用したこの車両は、特急運転の開始やロングシートの冷房車を全国でも戦後初採用した点が評価され、そしてその外見から未だに根強いファンが多い。しかし機構的な面からは、その前に登場した2010形を踏襲したもので目新しいものは少なかった。京王の戦後約15年にわたる改良の集大成として、主に運用面で評価された車両であるといえよう。しからば、その改良の端緒に登場した2600形も同様にエポックメイキングとしてもっと評価されてよいのではないかと思う。

さて、冒頭に戻ろう。
昭和20年代後半から30年代に登場した大手私鉄の華やかな電車の中に、西武からは351系若しくはその次に登場した20m級の501系を代表として並べたい。
華やかさも新技術もないが、輸送という一番の使命に応える電車として、何も遜色に思うことはないであろう。
それぞれの理_e0030537_00442129.jpg
・1990年6月 国分寺


# by hiro_hrkz | 2020-06-20 02:33 | 鉄道(その他) | Comments(0)
私鉄な貨電と貨車
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012564.jpg
 このようなご時世なので、引きこもって神奈電バスを作るぞ!と邁進していたわけですが、いくらおうちで模型工作はできると言っても、補給路が絶たれたら元も子もありません・・・ということで、塗料が確保できず行き詰まることに。
 その代わりに、自宅の中をかき回してみると、25年ほど前・・・たぶん大学生の頃・・・に作った貨物電車が出てきました。塗料も黒なら手持ちがある。そこで、これをレストアしてみよう、ということにしました。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012447.jpg
ベースとなったのはTOMIX(河合商会)の香港貨車、ワフ28000。切り継いで車掌室に窓開けたら福井鉄道デワ11や福島交通ニモ1のような雰囲気の車両になる・・・という発想をされた方は他にもいらっしゃると思います。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012423.jpg
 今回は、前面の窓をきっちと開けなおし、窓枠を新設。また車体裾には台枠の表現を追加しています。ヘッドライトは鉄コレ初期の旧型電車についていたものを加工。中をくり抜いてWAVEのレンズをはめています。
下回りも、これまた漁ったらBトレインショーティー用の旧動力が出てきた(ただしモーターのカバーなし)ので、これを整備の上で組み込みました。台車枠は、軸距が若干長いものの、鉄コレの軸距12mmの動力に付録のブリル27Eを、もとのモールドを削った上で貼り付けています。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012527.jpg
 車体色は少々迷いましたが、結局黒一色としました。ウェイトに釣り用の鉛板を積んで、走行性は上々。こんなふうに化成品タンク車を引っ張ると良さそうな感じです。

そして、この車両以外にもいろいろと貨車が出てきたので、一部はレストアしてみました。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012577.jpg
ワフ28000の車掌室扉の前後を短縮・妻面には手ブレーキカバーを取り付けて私鉄のワフふうにした1両。車体は斜めの補強を削り縦方向に新設していますが、もとのものを削るのは難儀。結局削りきれず、艶消しの黒で塗装することでごまかしています。 床下はPECOの小型貨車用ですが、車輪をKATO用に変えて幅を詰めています。これで床下に嵌るようになりました。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012508.jpg
このワは、上で紹介した木造デワを作った余りを組み合わせて作ったもの。下回りはやはりPECOの小型貨車用ですが、こちらは幅は詰めていません。長さの割に背が高いのがアンバランスな感じですが、作ったころはこれでも私鉄の貨車っぽい・・と思ったものです。この分野でも鉄コレ貨車が存在していますが、あれは走らせるようにした人が少ないかな?と思っています。かくいう自分も途中棄権。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012500.jpg
香港貨車の改造は、無ガイ車もありました。このトムフは車体だけが転がり込んできたものを改造したのだと思います。端面に床下固定用の角穴が開いているので、相当旧い製品であることは確かでしょう。無蓋部分を短縮して私鉄らしい長さにしました。床下は恐らくKATOのヨ6000用ではないかと思います。ヨの車体だけをジオラマか何かで使いたかったのだと思いますが、これで貨車なのに長い板バネがアンバランスなことに。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_00544245.jpg
トラ50000も出てきました。下回りが無かったのか、GMの床下から切り出したボルスタ部を張り付けて、ブリル台車なんぞを履かせています。ナローゲージの貨車を想定していたのかどうか・・・。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012562.jpg
そんなわけで、意外とこんな感じでデワやワと編成を組ませてもよい感じです・・・ワの大きさが目立つので、デワの次に連結しないほうがよさそうです。
私鉄な貨電と貨車_e0030537_18012514.jpg
最後にもう2両。
これは香港貨車ではなく、KATOのトキ15000がベース。いつの頃だか忘れましたが、TMSにトキ15000を2分割して名鉄のトを作るという記事がありました。それに倣ったものです。真ん中で切って、プラ板から作った妻板をそれぞれに取り付けています・・・記事のほうはレジンで複製だったと記憶していますが。
下回りは、片方がTOMIXの香港貨車で、片方はKATOのポケットライン チビ貨車用と異なってました。いずれも全長を単色しています。

黒貨車の製品もいろいろ出てきていますが、自作や改造の習作にはよいのではないかと思います。窓開けも無いですし、艶消し黒で塗ればよいわけですし。最も、プロトタイプが減ってしまってなじみがないというのはあるかもしれませんが。
# by hiro_hrkz | 2020-05-24 00:43 | 模型・神奈電・架空の鉄道 | Comments(0)
全国に5E・6Eをもとめていた頃
前回の記事でもちょっと触れましたが、この非常事態のGW(に加えて若干の臨時休業期間)に
12~21年前に作ったまま、ほぼ放置状態にあった全国に5E・6Eを求めてを全面的にリニューアルする作業を行っていました。掲載していた129の事業者のうち、本日までに終わったのは87社局。残りの中には、大物事業者(=車種数が多い)もあるので、気長にやって行こうと思います。
 今回のリニューアルでは、サイト容量の都合上、掲載を見送った細かなバリエーション違いや、右側面側・リア側から撮影した画像についても積極的に載せています。また今後は、編集の都合上(・・・ようはやる気が無かったともいう)掲載していない事業者・まとめて掲載していた事業者についても個別のページを設けたいと考えています。
全国に5E・6Eをもとめていた頃_e0030537_22183657.jpg
たとえば、こことか・・・。

それにしても、富士5Eが作られたのは、既に38~30年前、6EのU-LRを入れても25年前になります。私が追いかけていた20年年前は、大都市圏では当時は各事業者とも10~12年使用がデフォルトだったので、終焉間際の事業者もいろいろありました。この点で、実は富士5E・6Eを追うには既に時遅し‥という面があったのは否めません。最もそのちょっと前には7年程度で廃車にしていた頃もあるので、土台無理はあったのですが。
 一方で、それ以外の場所では自社発注車・移籍車ともにまだまだ現役で、バリエーションが多い事業者もあれば、数両しかない事業者もありました。つまり、捕まえるのはいろいろ難しい車両も多く、その分、北は北見・釧路から南は那覇に至るまで、追いかけがいはありました(そして人生を踏み外した)。今なお、全国で数両が稼働状態にあるということは、かつてのバスの寿命を考えると、奇跡的にすら感じます。
 新7Eの最終製造からでさえ17年を迎えた令和2年。はたして富士5Eの記録にどの程度の需要があるのかはわかりませんが、改めてご覧いただければ幸いです。
# by hiro_hrkz | 2020-05-06 22:42 | バス(富士重工) | Comments(0)
神奈電をもう一度 番外編 2020年4月
ただいま、こんなものを製作中です。
神奈電をもう一度 番外編 2020年4月_e0030537_01011135.jpg
 ほんとうなら、どこに出かけるにも(花粉を除けば)いちばんいい季節・・・ですが、昨今の世界情勢では引きこもる以外にはありません。撮影したいものも乗ってみたいものもいろいろあるのに残念な限りですが、そうするとやることがない・・・ではなく、次から次へと出てくるのがマニアという人間の性であります。
 まずは、サイト再構築に着手。1月から進めてきた神奈川電鉄の車両紹介を完成させたほか、12~21年間ほったらかしだった全国の富士5E・6E架装車の紹介ページの画像全面入替・追加、画面再構築に着手しました。最も、後者は大物事業者を後回しにしているので時間がまだまだかかりそうですが。

 そして模型は、かつてやたらと買いまくったバスコレから神奈電バスを作ることにしました。こんな状態では模型屋に買い物に行けない=動力もパーツも買いに行けませんが、バスコレなら手許にあるものだけでどうにかなるので・・・・実に11年ぶりのバスコレ弄りです。
 さて、神奈川電鉄のバスについては旧設定では、よくわからん車種構成になっていますが、新版では事業規模は小さくなるし、車種についても整理して・・・ということで、各メーカーとも大型車は全部軸距5.0~5.2m級に統一することにしました。しかし、バスコレは首都圏の事業者をラインナップに入れる都合なのか軸距4.67~4.8m級が多く切り継ぎが必要になります。
神奈電をもう一度 番外編 2020年4月_e0030537_01011127.jpg
まず着手したのは日野P-HT235BA+日野車体。日野ブルーリボンHT・HU5台セットをバラそうかとも考えましたが、在庫整理の名目で、第2弾の仙台市営を2両切り継いでいます。第2弾は塗料が落ちないことで有名ですが・・・。窓のパーツに合わせているので、1mm程度ホイルベースが長くなっています。また、製品はU-HTがプロトタイプなので、方向幕部分の構体を前方にすぼまる形状からストレートに成形し、フロントガラス下の通気口の天地を縮めました。
 屋上は前だけマーカーランプつき、換気扇を前後2個(1980年度以降)、リアはバス協テールつき。また給油口は左側面を神奈電バスの標準仕様としました。換気扇はおゆまるによる型取り・光硬化パテによる複製です。
神奈電をもう一度 番外編 2020年4月_e0030537_01011159.jpg
つづいて着手したのはいすゞBU10K+川重。第5弾の名古屋市営BUの方向幕部分を改造したまま、ほったらかしになっていた車体が2つあったので、それを切り継いでいます。製品のBU04に比べ、フロントオーバーハングが長いので、前輪のホイールアーチを若干後ろにずらしましたが、それでもホイールベースが若干長め・・・BU12とでも言いたくなる状態ではあります。
 右側面は軸間の車体裾を延長し、冷房車としました。近隣事業者の動向等を考えると、1979年度から冷房車投入で、機関直結式を採用したためにBU10Dではなく高出力エンジンを搭載したBU10Kになった・・・という設定になると考えています。
神奈電をもう一度 番外編 2020年4月_e0030537_01011193.jpg
そして、キュービックバスも。いすゞP-LV314L+IKです。第11弾の国際興業をベースに、以前、東京ベイシティ交通のP-LV314Qを作った際の余りを使って延長しています。これも窓パーツに合わせているので、若干WBが長めに・・・。
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最後に、日デはP-U32L+富士5E。これはバスコレ5E5台セットAの横浜市交通局を使いました。第6弾とは出来が全く違うので改めて驚くばかりです。製品の仕様そのままでもよいのですが、「給油口は左側面」という仕様に従いこの部分のパネルを左右で入れ替えています。
 そして広島バスのP-UA32L+5Eも色を落としてしまいました。これは特別仕様の貸切兼用車とします。他のクルマが前中引戸であることを考えると、この車両もせいぜい前中折戸がいいのですが、窓パーツの都合上、そうも言ってられず。4枚折戸の試験車も兼ねていたことにしましょう。

 このほか、第13弾の京王帝都電鉄 日野K-RC301+日野車体は、屋上に換気扇を取り付けた程度。これにより、神奈電バスの方向幕の大型化は前面がK-から、側面はP-からということになりました。また第6弾の阿寒バス 日野P-RJ172BA+日野車体も、屋上の換気扇とマーカーランプ取付だけの加工です。

 ほかにも富士3E架装車は欲しいところですが、第20弾が発売された頃にはすっかりバスコレ熱が冷めていて、手許に改造に回せるほどの頭数がないので、現在のところはペンディング。そしてふそうについては、第1弾のブルドック車体が「ご懐妊」。エアロスターKは切り継ぎ方法が思いつかず、結局設定しないことにしました。南関東の各社局でも4メーカー全てを導入しているところとなると、それなりの事業規模があるところになるので、3社くらいが妥当かなあ・・・と。


# by hiro_hrkz | 2020-04-30 02:12 | 模型・神奈電・架空の鉄道 | Comments(0)
伊予鉄道 610系
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1980年代以降、新造車を導入できる中小私鉄はごく限られた存在になっていました。
そんな中で伊予鉄道が1950年代以来の新車を導入することになったのは1994年のこと。1回のみ4両で終わりましたが、意外性を持って受け止められたと思います。
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・伊予鉄道 モハ611 2003年8月 梅津寺
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・伊予鉄道 モハ612 2003年8月 古町
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・伊予鉄道 クハ661 2013年4月 山西~西衣山

 メーカーはアルナ工機。MT2連、軽量ステンレス車体の18m級3扉車で、前面の方向幕がバス並みに巨大なのが特徴。形式は、1958年に製造された600形に続く、610形になりました。
 主要機器は他者の中古品で、台車(住友FS340)と主電動機(東洋TDK-824A 端子電圧375V・出力75kw)は東武鉄道2000系、主制御器(日立MMC-HTB-20)は京王帝都電鉄5000系の発生品です。制動は発電制動付電磁直通(HSC-D)、冷房機は路面電車用の三菱CU-127(能力10500kcal/h)を1両に3器搭載。これらは、当時主力であったもと京王5000系の700形と共通で、併結運転を考慮していたとも言われます。が、結局のところ610形同士の4連(横河原~松山市~古町 限定)か、単独の2連で運用されています。
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・伊予鉄道 クハ662ほか 2003年8月 大手町

さて、この車両についてまことしやかに囁かれるのが、東武鉄道の20000系電車と同一設計というもの。最近では注文流れだの見込み生産だの、そんな無責任な話も流れているようです。
たしかに、両者は同じアルナ工機製。側面の窓配置は同じで、行先表示、側灯、車外スピーカーの位置まで同じとなれば、そのような推論をしたくなる気持ちもわかります。しかし、その一方で、両者を見比べると屋根の肩、雨樋の位置・構造、そして車体裾が内側に折れているかストレートかという造りの違いがあるのもわかります。
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・東武鉄道 クハ21810 2015年9月 北越谷
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・東武鉄道 クハ24413 2020年3月 栃木

なによりこの両者、車体幅(注・最大幅ではない)が異なるのです。2号線(日比谷線)の乗り入れ規格に準じる東武20000系は2776mm。これに対して伊予鉄は2700mmと狭くなっています。ほかにも貫通路幅が東武は850mmですが、伊予鉄は1000mm。
これらの事実から、せいぜい「部材や大まかな設計は流用した可能性がある」と表現できる程度であり、同型ましてや見込み生産などとは決して言えないでしょう。

そんなことよりも前面向かって右側、あるいは側面の方向幕の隣にある小さな窓。個人的には、これらは何のために設けられたのか気になるところです。

なお、伊予鉄は700や3000は車体幅が2800mmありますが、車体裾の寸法は地方鉄道建設規定の2744mmに収まっています。口さがないマニアは「似た様な電車があるんだから20000系を買ったら?」などと口にしますが、そのためにはホーム等の対応が必要になると思われます。

・参考文献
「車輛の視点 伊予鉄道 610系電車」取材:前里 孝  とれいん242号(1995年2月)
東武20000系の寸法は、鉄道ファン324号(1988年4月)の附図「東武鉄道 制御客車 形式クハ21800」による。
# by hiro_hrkz | 2020-04-11 00:00 | 鉄道(その後の電車) | Comments(0)
北海道中央バス 日野K-RU225AA +日野車体
あまりよい写真ではありませんが、一ネタ。

日野最初のスケルトンボディの大型路線車、K-RT/RU。
この事業者にも配置されていました。
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北海道中央バス 日野K-RU225AA +日野車体_e0030537_20212839.jpg
・北海道中央バス 日野K-RU225AA +日野車体 1997年8月 小樽駅前

道内最大のバス会社、北海道中央バスです。
同車は日野の路線車を多数導入していましたが、RUを見たのは小樽で一度きりでした。
小樽の車両なので、軸距5.2m(標準尺)です。他所に軸距5.67m(長尺)は存在していたのかどうか。
なお、中央バスはP-になるとRU22ではなくHU22を採用しています。

# by hiro_hrkz | 2020-04-05 20:31 | バス(日野車体) | Comments(0)
近江鉄道 モハ100形
 昭和のローカル私鉄ファンであれば、日車標準型という言葉は多くの方が知っているのではないかと思います。しかし、このタイプを採用したのは三つの事業者のみ、中には汽車会社製のものもあり、実のところは「日車」の「標準型」は誇大表現であるように思います。
 さておき、その日車標準型を採用した事業者の一つが岳南鉄道。モハ1101~1106(1104は欠番)の5両が1959~63年に製造されました。このうち、1102・1105が汽車会社で、特に後者はステンレスカーで有名でした。一方1102は1969年に廃車になっています。いずれも、在来の木造車の機器を流用しており、車籍も種車のものを継いでいます。
  
 モハ1101(1959年製造):もとモハ201←国鉄←伊那電気鉄道デ204←8 1923年汽車製造製
 モハ1102(1960年製造):もとモハ601←富士山麓電鉄モハ601←モハ20←国鉄モヤ4001※
             ←デヤ33100←デロハ6139 1914年新橋工場製
 モハ1103(1961年製造):もとモハ101←駿豆鉄道モハ101←国鉄モニ3012
             ←デニ6461←デハ6372←デロハ6138 1914年新橋工場製
 モハ1105(1960年製造):もとモハ106←西武鉄道モハ106←武蔵野鉄道デハ106←サハ106
             1923年梅鉢鉄工所製
 モハ1106(1963年製造):もとモハ38←駿豆鉄道モハ38(←戦災木造省電) 1951年製

 岳南鉄道が駿豆鉄道(伊豆箱根鉄道)の傍系として開業し、その後富士山麓電鉄(富士急行)系列に移ったことを反映した車歴となっています。車体はのちに前照灯を2灯化、貫通幌(枠)の取り付けを行っています。一方、走行機器は1971~1974年に主制御器をHLから国鉄CS5に交換しており、また台車・主電動機もTR14・MT15と旧型国電系の機器に換装されていました。

 岳南鉄道は1981年に東急5000系を譲り受け、当時在籍していた全旅客車を置き換えます。日車標準型も当然、置き換えられましたが、モハ1105は大井川鉄道へ、他の3両は近江鉄道が引き取りました。どちらの事業者も単行運転可能な車両を求め、そして旧型国電系の機器の使用実績があったことが決め手になったのだと思います。モハ1103と1106は車歴上は西武鉄道系から岳南を経て、また西武鉄道系の事業者に譲渡されたことになります。
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・近江鉄道モハ102 1993年8月 八日市

 近江鉄道では、1983年にモハ1101、1103、1106の順にモハ100形101~103として竣工。
ワンマン運転対応改造、そしてブレーキを全電気指令式に変更しています。後者は近江鉄道のツリカケ車で特徴的な点でしたが、その第一号となったのがこの3両です。この影響(ブレーキ弁が巨大)なのか、1987年頃に運転席の奥行を拡げ、乗務員扉の位置が後退。その影響で乗務員扉前方には幅の狭い窓が新設された一方、運転席直後の窓が固定式になり幅が狭くなっています。
 近江の在来車と同様の床下機器ではありましたが、連結運転等は無かったと思います。
1993~1994年に車籍上はモハ220形224~226に改造されていますが、実際には200形の台枠等を流用したようで、車両そのものは彦根の側線にほったらかしにされていました。
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・近江鉄道モハ101(廃車) 1995年8月 彦根

※名義上はモヤ4002として譲渡。
 井上 幹治・今城 光英・加藤 新一「富士急行[2]」 鉄道ピクトリアル208号(1968年4月)による。

・参考文献
亀井 秀夫「岳南鉄道車両ガイド」 鉄道ファン244号(1981年8月)
白水 剛「近江鉄道」 鉄道ピクトリアル445号(1985年3月増)
沢柳 健一・高砂 雍郎『旧型国電車両台帳 院電編』ジェイ・アール・アール 2006年

# by hiro_hrkz | 2020-03-29 16:29 | 鉄道(近代形電車) | Comments(0)