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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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カテゴリ:路面電車・低床電車( 79 )
平和島の都電杉並線
もと都電2000形の長崎電気軌道700形最後の1両が、このたび廃車になります。
その2000形には都内で保存された車両もあったことを思い出し記す次第です。
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大田区は平和島にある小学校の校庭に保存されていた2011です。
都電2000形は唯一の1067mm軌間である杉並線向けに、1951~1955年に合計24両が製造されました。が、製造時期による差が大きく、長崎に渡った最終増備車(2018~2024)が7000形に準じた車体を持つ完全な新車なのに対し、このグループ(2011・2012)は1952年日鉄自製で3000形に準じた車体を持つ半鋼製車、また木造車を鋼体化したものです。

最大寸法は11700×2155×3400mm(長×幅×高)で6000形などよりも55mmほど狭いうえに、車体の前後を絞っているためにより細身の印象を持ちます。1963年に杉並線が廃止になったあとは1965年になって改軌の上で三田車庫や広尾車庫に転属、しかし都電の撤去計画の進展により1968~1969年に廃車になりました。

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電車に取り付けられていた説明板によれば、1968年に設置されたとのこと。撮影時に車体の塗装は荒川線を意識したのかクリームに青帯となっていましたが、これでは横浜市電ですね。平和島にあるゆえか「平和号」という愛称が付けられていたようです。
ビューゲルはついていましたが、台車など床下機器は無く、コンクリートの台座の上に置かれていました。なお、台車はもともとD10(東京都交通局での型式、いわゆる日車C系)を履いていました。
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車内も室内灯やつり革と言った部品は無くなっており、座席も袖仕切り以外は新たに作られた木製のものとなっていました。ニス塗りの部分は現役時代のままなのでしょう。

撮影の数年後、撤去されたようです。

・いずれも1995年7月 撮影
by hiro_hrkz | 2019-03-30 02:02 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
己亥
あけましておめでとうございます / 새해 복 많이 받으세요 / 新年快樂 / Frohes Neues Jahr!
Happy new year! / Voorspoedige nuwejaar! / YENİ YILINIZ KUTLU OLSUN!
今年もよろしくお願いいたします。

2019年/平成31年。つちのとゐ(己亥)年。
平成最後となる今年。1月のバスの表紙は、元号から佐賀市営のK-U31Kとしました。中4枚折戸の富士3Eというあまり類例のない車両(ほかには日立電鉄等があるくらい)です。
そして総合の表紙は・・・・「亥」が付くところが思いつかない。一方「猪」も猪苗代とか私鉄とは無縁なところばかり(三セク含めるなら猪谷がありますが)。そこで、今回は十二支ではなく、十干のほうから選びました。
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・広島電鉄 772 2000年9月 十日市町~土橋

己斐ゆきの広島電鉄です。
・・・というか、「己亥」と出すのに「己斐 辛亥」と打ち込んで真ん中を消していたりしたわけです(笑)。己斐ゆきは何形式かにおいて撮影していましたが、表紙は自社発注の350形としたので、こちらではもと大阪市電の750形をとりあげたいと思います。

750形はもと大阪市電の1601、1651、1801形で1965~1968年に合計22両が譲渡され、一躍広島電鉄市内線の主力車両となりました。最大長×最大幅は13700×2480もしくは13710×2488mmですから、地方都市の路面電車にはかなり大きなサイズといえます。これが導入可能な道路状況に改良されていたことは、広島電鉄市内線の存続に有利だったと思います。
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・広島電鉄 760 1992年3月 本社前
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・広島電鉄 769 2000年9月 紙屋町

 今回とりあげる4両のうち、760、769、772がもと1801形で1950年。旧番はそれれぞれ大阪市電1832、1828、1831です。製造メーカーは広電では全て富士車両ということになっていますが、これは大阪市電のデータとは矛盾が生じるようです。
 一方762はもと1581形→1651形で1940年木南車輛製。つまりは被爆電車として知られる650形と同じ時期に同じメーカーで製造されたもので、車両の形としても大阪市電を短くすると広電650になります。なお762の旧番号は1582→1652。大阪大空襲で被災し復旧されたという経緯があります。
 広島電鉄が京阪神三市から導入した電車の中では製造年が旧いこともあり、1979年から廃車がはじまりましたが、それでも761~763、768、769、772の6両が冷房改造されています。今回とりあげる中では760のみが非冷房で廃車になった車両で、ほかにも、前面の方向幕が小さな手動式で両終端を表示したものでした(己斐←→宇品と書いてありますが、読みにくい)。中扉も木製のままです。一方、冷房改造された各車は電動の大型の方向幕になり、中扉も窓がHゴム支持のものに交換されています。
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・広島電鉄 762 2015年5月 袋町

さて、己斐とは現在でこそ広島中心市街の西の端にあたりますが、もともとは己斐村→己斐町と独立した自治体で1929年に広島市に編入されています。広電は長い間、宮島線が西広島駅、市内線が己斐電停と名称が異なっていましたが、2001年11月に西広島に統合され、己斐は副名称となっています。
この手の名前は鉄道では行き先表示にないことが多いのですが、広電ではきっちりと書かれていますね。

by hiro_hrkz | 2019-01-01 18:31 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
土佐電気鉄道 鴨部電停あたり
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土佐電気鉄道~とさでん交通の路面電車は御免方面は国分川、伊野方面は鏡川を過ぎると道路の路肩を走るようになります。その中でも、特に鉄道マニア諸氏に注目されているのが、朝倉附近でしょう。路肩区間の大半は専用の軌道敷となっていますが、ここは単線で車道共用、しかも道幅が狭く、1960年代までに全国から多くが消えていった地方都市郊外の電気軌道の雰囲気を感じることができます。

私もここで過去に数度撮影したことがあります。
今回は、その東端の鴨部電停あたりから朝倉方面を見た写真を幾つか並べてみます。
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上は1993年8月、下は2013年4月 つまりこの間に約20年の時が流れています。
 比較すると、商店の類が減っていることがわかります。特に画面の右側(道路の北側)は一番手前の病院をはじめ数軒が無くなっており歯が抜けたような感じになっています。その分、画面の左側にある酒屋が激安にシフトし看板が派手になっていることが目を引きますね。
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 電車のダイヤもこの間に大きく変わりました。もともと鏡川橋より西の日中は21分間隔の伊野ゆきの間に朝倉折り返しが設定されていました。しかし、この朝倉折り返しが2012年11月に廃止されたため本数が半減しました。これにより鴨部電停の伊野側にある市場前信号所での列車交換も激減しています。
 この写真は2001年12月に撮影したもの。既に信号所には朝倉始発のはりまや橋方面の電車が入線。一方、伊野ゆきの電車はようやく鴨部電停に到着するところ。朝倉どまりの電車はすぐ折り返してくるなかなかタイトなダイヤでした。このあたりのダイヤに余裕を持たせる意味も減便にはあったのかもしれません。
 そういえば、この写真と上の2枚を比べると、画面右側の建物、あるいは酒屋やハイヤーの看板が1993年とあまり変わっていないことがわかります。21世紀になってからの変化が激しいんですね。
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鴨部電停そのものは、安全地帯もなく電停を示すのは路上の白線と電柱に取り付けられた電停名と時刻表くらいのもの。
1993年の訪問時は乗客はみな薬局などの店先に列を作って待っていました。それにしても、この頃は全盛期よりはだいぶ減っているのでしょうけど、乗客が多かったように感じます・・・もっとも、これだけ平日朝ラッシュ時の撮影というの違いがあるのですが。

1、3枚目:2013年4月
2、5枚目:1993年8月
4枚目:2001年12月 撮影


by hiro_hrkz | 2018-10-06 01:05 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
名古屋鉄道岐阜市内線 モ550形
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・名古屋鉄道岐阜市内線 モ556 1994年8月 新岐阜駅前

 既に何度か書いていることですが、日本の純然たる市内電車においてボギー車の普及は、旧六大都市(と京城、大連)を除くと大半は戦中~戦後のことになります。これは輸送力の増強が求められたことに加え、戦災からの復旧で道幅が拡がったことが後押しをしたのかもしれません。
 しかし、空襲を受けなかった金沢(北陸鉄道)では、特に小さめの電車となりました。1950年に近畿車両で製造された初のボギー車2000形モハ2001~2010は、最大幅は2200mmと他の都市でもよくある数値(たとえば都電、仙台市電、長崎電軌)ですが、最大長は10500mmと特に短め、さらに前後を絞っているため、よりコンパクトな印象となりました。最も長さは、1951年に製造された2100形は11000mm、1957年以降に製造された2200形は11200mmと徐々に伸びてゆきましたが。

 1967年に金沢市内線が廃止になったあと、親会社の名鉄が岐阜市内線の単車追放のために購入しモ550形550~559になるのは御周知のとおり。岐阜も道幅が狭いことで知られますが、こちらは戦災からの復興が思いのほか早く進み、当時の感覚で道は「広くなった」程度にしかならなかったのが原因と言われます。
 ともあれ、ボギー車が入れなかった長良北町方面を中心に走り始めます。それにしてもこのとき2000形10両と2200形6両(名鉄モ560形)は全車が譲渡されたのに、その間に挟まれた2100形は12両中1両だけしか譲渡されず(名鉄モ530形)、1977年と早くに廃車になりました。これは、それまでの岐阜の電車が前後扉であった(・・大半が単車だから当然ではありますが)ため、前中扉の2100形よりも2000形が好まれたのかと邪推するところです。
 550形は、岐阜に来てからビューゲルをZパンタに変更、ワンマン運転化(1973年)、扉の交換、窓枠のアルミサッシ化等が行われました。前面向かって左側の窓上にHゴム支持のパーツが取り付けられていますが、これは一体なんだったのでしょうか・・550に限らず、岐阜市内線専用車にはだいたい取り付けられていましたが。そのほか、主電動機は37.3kw(50PS)×2という日本の路面電車としては標準的なものですが、もとは三菱MB172-NRから約半数の車両で神鋼MT-60Aに交換されています。
 1988年の徹明町~長良北町の廃車の際には、新しかった560形のほうが廃車になっています。これも扉配置さらには主電動機が22.4kw×4というスペックが嫌われたゆえかどうか。結局550は数を減らしながらも1997年のモ870形投入まで一部が生き残りました。
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・名古屋鉄道岐阜市内線 モ558 1994年8月 徹明町

・参考文献
清水 武 『RMライブラリ 130 名鉄岐阜線の電車(下)』 ネコ・パブリッシング 2010年

by hiro_hrkz | 2018-07-14 01:39 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(2)
福島交通飯坂東線 1116
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福島交通飯坂東線の電車は拙サイトのかなり古いコンテンツでもとりあげていますが、かつては7個所で電車が保存されていました。しかし、時が経つたびに少しずつ減り、状態も悪化してゆきました。
その中にあり、保原で保存されている1116が修復されて非常に綺麗な状態になっているということで、23年ぶりに行ってみました。
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「今にも走り出しそう」とはよく言いますが、
サビも傷も一つもない・・・落成当初を思わせるような車体には感動を覚えました。
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こちらは23年前。1995年の4月に訪れたときのもの。公民館の裏手に置かれ、色褪せてレンズ類もありませんでしたが、他の車両に比べればマシなほうでした。その後、状態は極度に悪化し解体の危機にあったようです。
それを、まず地元のボランティア(外部リンク)の方が保守に着手し、そして、東日本大震災後に保原ロータリークラブ(外部リンク)が主体となり修復が完了したとのこと。いずれにしても頭が下がる思いです。
保存場所も変わり、表通りに面した駐車場の一角に堂々と展示されています。
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前面窓から覗いてみたところ、車内も美しく整備されています。座席が半減しているのは、車体内幅が中距離電車ボックスシートのシートピッチなみの1450mmであるため、収容力を増やすための措置です。
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さて、この1116は、飯坂東線初の半鋼車である1114(1949年製)に続いて、同型の1115と共に日本車輌東京支店で製造されました。竣工図では1953年製となっていますが、実際には1950年製である模様。同型に1120、1121があり、これは正真正銘の1953年製造でした。
車体長11000mm×幅1650mmの細身であるのは飯坂東線共通の特徴ですが、花巻電鉄のデハ3のように車端の幅を絞ってないので、ウマヅラ感には乏しいですね。台車は都電中古のKB27、主電動機はAEG製の60kw×2でした。

・4枚目:1995年4月
・1~3、5、6枚目:2018年3月 いずれも保原中央公民館(福島県伊達市)にて撮影

※参考文献 
川上幸義「私鉄車両めぐり[58] 福島交通(鉄道線)」鉄道ピクトリアル147号(1963年7月) 電気車研究会
高井薫平『RM LIBRARY162 福島交通軌道線(下) 』ネコ・パブリッシング 2013年

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・旧 保原駅(現在の保原バス停)の周囲には「駅前食堂」が健在でした。

by hiro_hrkz | 2018-04-16 22:51 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
熊本市交通局 1050形・1060形
熊本市電にボギー車が登場するのは、国内の多くの地方都市の市内電車と同様に戦後のこと。
1948年に120形・130形を導入し、続いて1950年に150形151~154、1951年に160形161~163を導入します。

150形と160形は製造年が異なるだけで他は同一。130形と同じく大阪は堺にあった廣瀬車両で製造されました。
車体は3扉ですが、120・130形が中扉が両開きなのに対してこちらは片開き。最大寸法(長・幅・高)は12800×2322×3805mmで、これよりもあとに作られる180形以降の前中扉で製造された電車よりも800mmほど長くなっています。そのためか、運転台部分より前側に幅がすぼまる形状となっています。
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・熊本市交通局 1054(廃車体) 1993年8月 大江車庫
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・熊本市交通局 1063 1993年8月 大江車庫

150形は1968年8~11月に、160形は1969年1~11月にワンマン化改造され1050形1051~1054および1060形1061~1063となります。このときに、後扉を閉鎖して前中扉となっています。
前面は熊本市電標準タイプに改造されていますが、熊本市電の各形式の写真を並べると、かくも違う各車もパーツの位置と大きさでここまで同じ印象にできるのだなあ・・と関心してしまいます。

熊本では市電2系統の存続が決定し、1978年から車両の冷房化が実施されます。
1050・1060形は1063のみ1981年に実施。1051~1053は花電車用の無蓋電車の50形51~53に1979および1983年に改造されています。残る1061、1062、1054は非冷房のまま廃車となりました。

画像は1993年8月に大江車庫で撮影したもの。1054は既に廃車済でZパンタもなく窓枠も一部が欠落しています。この車両はクリーム色に緑帯となっています。
一方、1063はこの時点で最古参でした。台車は住友KS-40J、主電動機は熊本市電の旧型車共通のSS-50(路面電車標準の50馬力モータ=38.0kw)×2で、冷房は熊本市電標準の富士電機製直流駆動式です。

それから25年が経ち、これよりも後に製造された車両が続々と廃車になる中でも残っていることには驚きます。
塗装も標準塗装か旧塗装に戻りました・・・ところで、この旧塗装。現在は帯の色が濃紺ですが、もともとはもっと紫色に近い色だった記憶があります・・・単に経年劣化だったのかもしれませんが。


by hiro_hrkz | 2018-01-03 17:13 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
万葉線吉久あたりにて
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高岡とその隣町の新湊(射水市)を走る万葉線。
高岡駅前附近こそ、いかにも市内電車の風情ですが、そう大きくはない高岡の中心市街地。
やがて沿線風景はいかにも地方都市の郊外といった風情のところを進んでいくところに、この路線の特徴があると思います。
とりわけ、車庫のある米島口から庄川の橋梁の間・・・電停では吉久のあたりは、独特の雰囲気があります。
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それなりに旧そうな街中の路上に単線の線路が敷かれており、昭和30~40年代に消えて行ったインタールーラルな路線の生き残りという感じがします。実際に、この万葉線よりも一本南東側の道は高岡市観光協会(外部リンク)のサイトにも掲載されている旧い街並みが残っています。
しかし、それだけで終わらないのが「新産業都市」(死語)の高岡。 
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大きな工場あるいは変電所が存在し、そこに旧い人家が同居する一種独特の景観をつくりあげています。
かつては新吉久~能町口で国鉄鉄新湊駅から分岐する貨物線との平面交差も存在し、まるで工場内を走るような景観だったようです。いまは工場群もだいぶ縮小してますね。

1枚目:吉久
2枚~3枚目 吉久~新吉久
4枚目:新吉久 

いずれも2004年5月


by hiro_hrkz | 2017-10-07 01:08 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
岡山電気軌道 7900形
岡山電気軌道の電車は、現在、超低床電車と3000形を除き広告車となっていますが、それ以外も登場時は、オリジナルの塗装をまとっていました。
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・岡山電気軌道 7901 1990年8月 清輝橋

このうち、もと東武日光軌道線の3000形の主要機器を流用して製造された7900形のトップナンバー、7901(1989年 アルナ工機製)は、クリームの濃淡に緑色の帯という外装でした。これは7601、7701の塗装をベースに帯の色などを若干変えたものですが、なぜここで赤から緑に変えたのかは不明。
 なお、7601、7701とは同じ車体に見えますが、前面運転席横の窓を見るとわかるように、前面の傾斜がよりきつくなっていること(7度→11度に変更)がわかります。
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・岡山電気軌道 8301 1994年9月 東山
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・岡山電気軌道 8501 1995年8月 岡山駅前

その後に登場した、8101、8201、8301、8501は、マルーンに金色の縁取りのレトロ調となりました。
この新しめの車体にこの塗装は、少々場違いな感もありますが、社章や車番の文字色もちゃんと金色になっており、それなりに気合いが入っていることが伺えます。

なお、冷房機はいずれも富士電機の直流駆動式ですが、8501のみ能力22000kcal/hに増強(ほかは20000kcal/h)されているため、その外観が異なっています。
また、3000の機器流用とは言うものの、台車は7401、7501、7601と同じく新造したもの(アルナNK-202)を履いており、制御器も西鉄北九州線600の日立DR-BC-447を取り付けて登場(もしくは後に交換)しています。
従って、東武時代のままなのは主電動機程度(東洋TDK532-B、端子電圧600V・定格出力45kw)となっています。他の形式が37.5kwの主電動機を登載しているため、若干出力が大きいことになりますね。

by hiro_hrkz | 2017-07-09 23:40 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
鹿児島市交通局 2100形 2101・2102
鹿児島の市電は、1985年に伊敷・上町の両線を廃止したものの
その後の近代化は目覚ましく、路線のセンターポール化、車両の全車冷房化などを推進してゆきます。
そして、1989年に26年ぶりの新車として投入されたのが、2100形でした。
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・鹿児島市交通局 2102 1994年9月 二軒茶屋~南鹿児島駅前
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・鹿児島市交通局 2101 1994年9月 二軒茶屋

2両それぞれ独自の塗装をまとい、2101は「しろやま」、2102の「さくらじま」の愛称をつけて登場しました。そのメーカーは地元、JR九州の鹿児島車両所だったことが特筆されます。
そのスタイルは、前面は1枚窓、側面の窓は逆T字と、当時他の事業者で投入されていた路面電車と同じ「最新スタイル」ではあるのですが、一方で丸みが多い車体そのものは、昭和30年代の印象。どこか中途半端な車体更新車という感じもしてきます。お手本になるものが在来車しかなく、それに合わせて作ったためこうなった・・・というところなのでしょう。

車内は、ロングシート主体であるものの、乗務員室の後ろは2人掛けの転換クロスシートとなっていました。
が、中乗り前降りでは乗客の流動性が悪くなるだけで、結局1995年にロングシートになりました。

一方、電装品は東洋電機製。直流電動機を用いた間接自動制御で発電制動付というのは、鉄道線の電車なら普通の方式ですが、日本国内の路面電車では1960年代以前は直接制御や間接非自動制御に比べてレスポンスが遅いことで嫌われ、一方、1980年代以降ではVVVF制御が主流になったことから、少数派となっています。型式は、主電動機がTDK8567-A(定格出力60kw×2)、制御器がAMD-M260-119B・・・(M:600V、2:1C2M、60:60kwモーターの意)です。
台車は、住友製のFS-90で、国内でも広電や熊本市電で既に実績のあった軸箱支持にシェブロンゴム式を採用しています。
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・鹿児島市交通局 2102 2012年5月 高見馬場

このあと、鹿児島市電は続々と新車を投入していきますが、機器類は交流モーター+VVVF制御に、車体も窓配置が整理され洗練されたものになりました。
2100形は愛称もなくなり、緑とオレンジに白線の標準塗装になりましたが、ずんぐりとした感じが強調される結果になりました。ほかには冷房機が交換されているようですね。

2両だけの少数派ということもあるのか、なんとなく見かけることが少ないような気がします。
自分で撮った写真を探しましたが、結局この3枚だけでした。

by hiro_hrkz | 2017-04-18 00:20 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)
函館市電の「新塗装」
全国の路面電車の中には、一部の低床電車を除き全面広告車が多勢を占めるようになって
オリジナルの塗装が、殆ど見当たらなくなった事例が幾つかあります。
そうなると、広告が解除されたときに、どの色に戻せばいいのかわからなくなる・・・なんてことはないと思いますが、結果として消えてしまった組み合わせというのが出てきます。
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・函館市交通局 812 2014年4月 五稜郭公園前

函館市電800形は1962~1965年に新潟鉄工所で製造された車両。
都電7000形や8000形がモデルになってると思しき車体なのは一つ前の710形と同じ。
函館市電の主力車種でしたが、8000形への車体更新が進められ間もなく形式消滅となる見込みです。
この最後まで残った812は、現在、凡そ1980年代までの標準塗装であった緑とクリームのツートーンになっています。

しかし、800形には、こんな塗装になっていた時期もありました・
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・函館市交通局 806 1995年9月 十字街

緑色が基調なのは同じですが、こちらは白地にライトグリーンという随分明るい感じのもの。
(実際には、画像よりももっとくすんだ色調なのですが)。
これは、1985年に国鉄五稜郭工場で車体を新造した711号車で採用されたもの。
その後、在来車にも波及し、最古参の500形も一部は塗り替えられました。
710形・800形は頭数が多かったので、それなりに存在した・・・ということはなく、この頃既に全面広告車が大半を占めていたので、あまり存在しなかったようです。私も、見たのはこの一両のみ・・・。

711は廃車前にこの塗装に戻ったようで、また8000形は現在も、この塗装が標準のようです。

by hiro_hrkz | 2017-01-07 02:29 | 路面電車・低床電車 | Trackback | Comments(0)