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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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カテゴリ:鉄道(その他)( 19 )
それぞれの理
それぞれの理_e0030537_00441515.jpg
・1990年6月 国分寺~一橋学園

 SNSを追っていて、ふと西武最後の吊り掛け電車 351系が引退してから30年であることに気が付かされた。1954年に登場した戦後初の西武の新車である。それよりも後に製造された車両が続々と廃車になる中で残されたのは、多摩湖線国分寺駅の有効長の関係で、例外的に17m級車の3連を残さざるを得なかったからである。しかし、それが駅を移転させることで20m級4連の運転が可能になり、1990年6月23日をもって運用を外れた。これにより、西武鉄道は冷房化率100%を達成したが、この車両の存在で冷房化率が99.9%で足踏みしているうちに、小田急に冷房化率100%追い越された曰くがある。当時の私は、向ヶ丘遊園のモノレールも含めて計算しろと思ったとか思わなかったとか。

 さて、西武351系の写真を見ながら、少々思ったことがあるので、ここに書き連ねてみたい。
今は故人であるが、特撮で有名な監督氏が、その晩年に電車に関する読み物を著した。関東地方の様々な私鉄の車両もとりあげらていたが、中身を一瞥して「西武はやはり蚊帳の外か」とガッカリしたことを覚えている。

 だいぶ前に、このブログで「国鉄中心史観」をヤリ玉にあげたことがあるが、一方で「私鉄高性能車・特急車史観」というものも見え隠れすることがあるように思う。

 各社の1950~60年代の名車といえば、東武はDRC、小田急はロマンスカー、京王帝都は5000系と3000系、東急はアオガエル、京浜急行は600、京成は初代開運号、営団は丸ノ内線300、相鉄は5000系・・・でも西武は???

 私鉄電車といえば、華やかな特急車、あるいは国鉄に先んじて各社に登場した高性能車が注目し称賛される存在であり、これらが実質的に昭和44年の西武秩父線開業まで存在しなかった西武は無視される・・という展開は、鉄道関係の著作でもいくつか見られた。そういえば、何かにつけて西武にはケチをつけたがる某鉄道趣味誌に連載を持っていたかたもおられた・・・そういう反応には、西武の社主であった堤一族のダークな面も影響しているようにも思うが・・・・、。
 
 閑話休題。そんな華やかな面だけが正義ではない、ということが平成の30年で漸く浸透したように感じる。
351系は車体は新造であるが、電気機器類は国鉄の払い下げ品を使ったもので、そうした姿勢は1960年代後半の411系まで続いた。そして、戦後混乱期には国鉄から戦災車などを大量に譲り受けた事実がある。主たる観光地もなく特急車とは無縁の存在・・・当時の同業他社のような華やかさや革新的なことは車両面では何一つなかったと言ってもいいだろう。
 しかし、西武が新技術の導入には目もくれず、こうした車両を増備したのは、急増した旅客に応えるのが理由の一つである。幹線である池袋線の複線区間はは戦前の段階で池袋~保谷のみであり、それが所沢まで達したのは1960年のことである。施設の面でも輸送量が急増したことが窺える。その一方で、私鉄初の10連運転が始まったのは1963年で、国鉄山手線よりも早かった。また、戦災国電を導入したことから車体幅・長さの制限が緩くなったことを活用し、国鉄と同じ幅2800mm・長さ20mの車両をいち早く揃えて行った(最も、その過程で20m級3扉を標準としたことや、ライバルの東急系企業が前身だった故に地下鉄乗り入れから距離を置いていたなどのポイントもあるが)。もちろん堤氏の節約精神も考慮されるべきだが、西武はまず絶対的な輸送力を確保することを目指していたことが読みとれる。
 似たような面があるのは東武で、特急車はともかく、普通電車に対して著しく低い評価しか与えられていなかった。こちらは63形導入後それに範をとった78系を1960年代初頭まで導入していたためである。こちらも輸送力の確保を第一に考えていたのであろう。実はCS1形制御器やMT15形主電動機といった大正〜昭和初期の技術で走らせる西武の吊り掛け車とは異なり、主電動機(HS267/TDK544)・制御器(MMC)などは最新のものを採用していたのだが、見た目重視の鉄道マニアからの評価は宜しくなかった。そもそも気が付いていなかったのだと思う。余談だが、その後継の8000系も車両数があまりに多いために私鉄の103系と揶揄されるなど、バーニヤ制御にエアサスかつミンデン式の台車、奥行きのあるロングシートの採用などの点がきちんと見られてこなかったと思う。

 これは華やかな特急車と新技術の導入に積極的だった小田急とは対照的な点である。小田急は戦中に国鉄型車両の入線が可能であることが実証されたにもかかわらず、それは63形の割り当てと特急車の一部くらいにしか活用されなかった。それどころか、通勤車は2700mm幅の中型車に逆戻りしてしまう。これが克服されるのは1964年の2600形導入まで待たねばならず、10連運転の開始も1977年と遅かった。小田急は新技術で客を捌けると思っていたフシがある。
 また、初期高性能車そのものの評価も考えてみたい。外面的には横浜の比較的規模の小さな事業者であった相鉄が、大手私鉄ばりに高性能車の5000形を1955年に導入し、以降5年で20両を揃えたことは快挙ではあると思う。が、ボディーマウント構造が保守の面で嫌われたことや、車体そのものの劣化、また18m級では輸送量に耐えられなくなったために、新造後20年持たずに車体を載せ替えかえた点からは、別の査定があって当然であろう。これは京成750形にも共通している面があるし、名車と言われる東急5000系も台車の補強など各部に手を入れて延命させていたことに触れる必要があろう。

 こんな点を考えた場合、たとえば京王帝都の名車は何になるのだろうか。それに対して初代5000形を思い出す人は多いだろう。1963年の京王線の昇圧に際して登場し、それまでの車両と一線を画すアイボリーに赤帯の外装を採用したこの車両は、特急運転の開始やロングシートの冷房車を全国でも戦後初採用した点が評価され、そしてその外見から未だに根強いファンが多い。しかし機構的な面からは、その前に登場した2010形を踏襲したもので目新しいものは少なかった。京王の戦後約15年にわたる改良の集大成として、主に運用面で評価された車両であるといえよう。しからば、その改良の端緒に登場した2600形も同様にエポックメイキングとしてもっと評価されてよいのではないかと思う。

さて、冒頭に戻ろう。
昭和20年代後半から30年代に登場した大手私鉄の華やかな電車の中に、西武からは351系若しくはその次に登場した20m級の501系を代表として並べたい。
華やかさも新技術もないが、輸送という一番の使命に応える電車として、何も遜色に思うことはないであろう。
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・1990年6月 国分寺


by hiro_hrkz | 2020-06-20 02:33 | 鉄道(その他) | Comments(0)
ローカル私鉄は211系を夢見ているのか?
ローカル私鉄は211系を夢見ているのか?_e0030537_23360128.jpg
今年1月に新形式車の投入と在来車の211系・213系・313系の置き換えを発表したJR東海。
このうち213系と211系の一部が1M1Tの2両編成であることから、マニアの一部からは「これはたくさんのローカル私鉄に譲渡されるのでは?」という反応が見られた。さらに「〇〇鉄道は新車じゃなくてこれ買えばいいのに」とか「××系を導入した△△電鉄は悔しがっているんじゃ?」といった随分勝手な意見・憶測もあった。
たしかに、製造から30年少々で2~3両編成というスペック「だけ」を見れば、そのように感じるだろう。だが、軌間と電圧が合っていれば電車はどこでも走れるというものではない。

気になったのが、長さ・幅といった点をあまりに無視しているという点である。
ローカル私鉄を見てきたマニアからは、「あんなの買ったところで・・・」という反応が多かった。それは多くのローカル私鉄の車両限界が小さいことを知っているためであろう。

このうち、長さについては20m級車の入線が不可能で中型車以下しか入線できないところが多数存在することはご存知の方が多いと思う。一方で幅についても、そもそも私鉄は「地方鉄道建設規程」で国鉄よりも一回り小さい2744mm(9フィート)と定められている。これに準拠していれば、当然それよりも幅の広い車両は長さには問題がなくても入線できない。車体幅2800mmの17m級旧型国電を入手したローカル私鉄が少ない理由の一つはこれである。

最も、ローカル私鉄で人気がある日比谷線直通車は車体幅2800mmあるし、標準軌のコトデンが購入した阪神ジェットカーや京浜急行1000も車体幅が2750mm以上ある。いずれの事業者もどこかの時点で車体幅2800mmに拡げるきっかけがあったためである(たとえばコトデンや福島交通は自社発注車が2800mmだった)。しかし、それよりも幅広の車両が入線するとなれば、話は違ってくる。

もとJRのしなの鉄道ともとより国鉄直通を念頭に置いて建設された伊豆急行は置いておくとして、伊豆箱根駿豆線、富士急行、富山地方鉄道、秩父鉄道、長野電鉄は、国鉄の急行型・近郊型が走行した実績があるため、幅2950mm・長さ20000mmの国鉄車が入線しても問題はない。だがそれ以外の路線は、20m級車が入線していても、2950mm幅の実績はないのだから導入可能なのかは判らない。また、国鉄準拠の電車が乗り入れていたとしても、それを自社の車両にするとなれば別の問題が浮上する。たとえば留置線の間隔や有効長が対応できるのかといった点である。そして、過去に直通していたからと言って、その後の建造物が抵触しないかどうかは当然不明である。
これらを一つ一つ考えてゆくと、現時点でJR東海の電車が物理的に入線できると言えるのは6~7路線くらいだろう。

よしんば入線できたとしても、次の問題、補助電源が存在する。
現在、MGもしくはSIVから三相交流を給電する方法が一般的である。しかし、このJR東海の電車は211系の一部を除きDC-DCコンバータから直流600Vを給電する。これは、1990年前後に流行った方式で、JR西日本、営団地下鉄、京成、南海などで採用されている。その動機は、インバータ制御の冷房を使用することにあった。しかし、この方式の流行は一時的なものに終わり、JR東海でも313系はSIVによる三相交流給電になっている。

 互換性のない方式は保守や運転取り扱い上の問題が生じる。SIVに交換するといっても電線の引き直しは必須、補器の一部は交換が必要だろう。ましてや機器類全交換となれば、補助金をかなりの額自治体から引っ張ってくるか、そもそもの基礎体力がある事業者でなければ不可能である
(直流600V線であれば、架線電圧をそのまま給電するという方法も考えられなくはないだろうが、その場合は、そもそも1C4Mで界磁添加励磁式の制御方式のほうに問題が生じ制御器・主電動機等を全面交換することになろう)。

これらの壁を乗り越えてでも購入するところは出てくるだろうか。
私は、買ううまみがないと感じる。
最も、18m級以下の車両しか走っていなかった熊本電鉄が20m級・2800mm幅の都営6000を買ったときには本当に驚いた。だから、今回もひょっとしたら意外なところが名乗りをあげるかもしれない。
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by hiro_hrkz | 2020-02-21 23:51 | 鉄道(その他) | Comments(2)
八栗のケーブルカー
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今年は、第二の故郷(?)高松への里帰りは、11月となりました。
時間がとれず、夜行日帰りの強行スケジュールでしたが、今回はコトデンの旧型車が走る前に、八栗山のケーブルカーに乗車してきました。

八栗山のケーブルカーは四国八十八ヶ所霊場の85番目、五剣山八栗寺への足として、1930年に八栗登山鉄道によって開通しました。第2次大戦中は御多聞に漏れず、鉄材供出の為に休止。戦後、廃止となったあと八栗ケーブルの手で1964年に再開業したものです。これは、神奈川県の大山のケーブルカー(1965年再開)に次いで遅い復活でした。
なお、八栗ケーブルは後に、徳島県内で複数のロープウェイを開業しており、社名を現在の四国ケーブルに改名しています。

さて、八栗ケーブルは少々乗車の難度が高い路線であります。
それは、他の公共交通機関との連絡が全くない、文字通りの孤立路線であるためです。
結局、ことでん志度線の琴電八栗駅より約1.5km片勾配の道を歩いて向かうことにしました。
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本当に この先に駅があるんだろうか?と思うような沿道風景でしたが、20分少々歩いて麓側の八栗登山口駅に到着しました。駅の周辺には大きな駐車場が整備されており、大半はクルマを使う世の観光客には特に問題ないのだろうと思います。
 駅舎は、それなりに古そうですが、幕で覆っているため建築年代は戦前のものか復活時のものか等は解らず。ホームの屋根は鉄骨つくりなのは、よくある風景といいましょうか。駅舎の中は土産物等の売店で占められています。いわゆる「昭和レトロ」という感じですね。
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さて、八栗ケーブルの運行間隔は朝の7:00(日祭)または7:30(平日)から17:15まで、きっかり15分ヘッドを維持しています。正直、半信半疑だったのですが、実際に乗ると、朝からお遍路さんがそれなりにいるので、納得した次第。
山の上までクルマで入ることができないのも影響しているのでしょう。
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この路線で使用されている車両は、再開業時から変わらないもので1964年日立製作所製。神戸は六甲ケーブルの先代の車両と同系で、窓下が突き出た独特のスタイルが目を引きます。鉄道車両なら国鉄151系あるいは南海2代目「こうや」を連想するところで、高度成長期の「夢の乗り物」を具現化したものなのでしょう。
側面は3扉の折戸で、大きさは国内では中サイズといえます。
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近年、塗装が変更されたようで、1は前面を朱色に、2は青色に塗っています。ケーブルカーでは、各車両に個別の愛称が振られることが多いのですが、ここの場合はどちらの車両も「YAKURI」とだけ書かれています。
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高低差167m、全長660mと短い路線で、眺望がよいのは、山麓側のほんのわずかな区間だけ。
ここでは屋島とその先の高松市街を一望することができます。
路線の施設は整備が行き届いていると感じました・・・最もそれは、廃止になったお隣りの屋島のケーブルカーの印象があまりにも・・・というのもあるのでしょうが。

およそ4分程度で山頂側の八栗山上駅へ。
山の上(・・・実際には中腹ですが)には数軒の土産物屋のほかは、八栗寺があるだけです。ケーブルカーでアクセスすると、裏手から境内に入ることになります。
八栗のケーブルカー_e0030537_00181461.jpg
画像は、八栗寺の鳥居と二天門。
寺なのに鳥居があるのは、神仏習合の名残というよりは、
仏教の守護神である歓喜天(聖天)が祀られているからであるようです。
やはりケーブルカーが存在する、奈良県は生駒山の宝山寺と同様ですね。

※2016年11月 撮影


by hiro_hrkz | 2016-12-22 01:17 | 鉄道(その他) | Comments(0)
丙申
あけましておめでとうございます / 새해 복 많이 받으세요 / 新年快樂 / Frohes Neues Jahr!
Happy new year! / Voorspoedige nuwejaar! / YENİ YILINIZ KUTLU OLSUN!
今年もよろしくお願いいたします。

2016年/平成28年。さる年。
今年1月のバスの表紙は、ここ数年の傾向の通り、当然ながら「16型E」・・・6Eで。
車種は、これまで見て来た富士重工製路線バスの中でも、一二を争う謎のクルマ、群馬中央バスのP-LR312Jです。中央に4枚折戸があったのを後ろ扉に改造したのは、実写の痕跡から確実。かつ車体の製造番号と年式が合致しないなど、実に不思議な車両であります。

一方、鉄道のほうですが、サルが関わる鉄道関連のモノ・・・特に車両となれば、思い浮かぶものは、幾つかに絞られるのではないかと思います。ということで、選んだのがこちら。
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いまはなき、犬山の「サル山」に行くモノレール・・・名鉄モンキーパークモノレールのMRM100形です。日立―アルウェーグ式モノレールの始祖ですね。1962年製造。メーカーは当然ながら日立で、車体はアルミ製です。

最大長は先頭車が11000mm、中間車が8800mmで、2つの扉の間に窓が2枚というこじんまりとしたもの。
窓は上側が開くだけですから、ファンデリアを搭載しているとはいえ、夏はそれなりの暑さになったのではないかと思われます。

この車両。外観から想像がつかないのが車内の様子。
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扉間は4人掛けと6人掛けのボックスシートでしたが、車端部には大きなデッドスペースがあり、通路は片側にオフセットされていました。この部分には走行用の車輪が収められていました。2軸構造だったのか連節構造だったのか、少々不明。
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一方、運転台はこんな感じで普通の電車とあんまり変わりません。それもそのはずで、ブレーキはHSC-D(発電制動付電磁直通制動)、主制御器はMMC-HBM-5、主電動機はHS-510-Crb(端子電圧340V・定格70kw)で4機を永久直列制御と普通の電車と変わらない若しくはその応用を装備しているため。
(参考:製造時の日立論評(1962-8)

この路線・車両の「量産形」といえるのが、東京モノレール。
開業時に名鉄が同社の経営に関与していたのも頷けます。開業時に用意された100~300形も、前面形状は違えど、車体そのものはこの車両に扉間の窓を1枚追加したものになっていました。
但し、電圧が犬山モノレールが直流1500Vなのに対し、東京モノレールが750Vになったのは気になるところ。

昭和30年代の近未来感そのままに21世紀まで走り続けていましたが、2008年12月27日を最後に廃線。
現在は、犬山遊園側の先頭車(MRM101)と中間車(MRM201)が動物園駅に登場時の塗装に復して保存されています。

(上から)
・名古屋鉄道モンキーパークモノレール MRM102+MRM201+MRM101 2008年3月 成田山
・名古屋鉄道モンキーパークモノレール MRM101+MRM201+MRM102 2008年3月 成田山
・名古屋鉄道モンキーパークモノレール MRM201(手前)、MRM101(奥)車内 2008年3月
・名古屋鉄道モンキーパークモノレール MRM101 運転台 2008年3月

by hiro_hrkz | 2016-01-01 17:56 | 鉄道(その他) | Comments(2)
大山のケーブルカー
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10月の行楽日和のとある日、ふと思い立って新宿から小田急の快速急行に乗り、相模川の西側へと行ってきました。個人的に「神奈電」の都合などで、何度も足を運んでいる地域ですが、その中で未踏だった阿夫利神社への参詣、そして大山観光電鉄・・・つまりは大山のケーブルカーの乗車が目的となりました。

大山のケーブルカーは1931年に阿夫利神社への参詣客輸送を目的に大山鋼索鉄道により開業したもの。しかし、国内の多くのケーブルカーと同じように、戦時中の鉄材供出の為に廃止となり、戦後の1965年になって、小田急グループの大山観光電鉄により漸く再開したものです。
全長0.8km・高低差278mですから、国内のケーブルカーとしては丁度中間の路線規模といったところでしょう。
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ここで使われている車両は運転再開時の1965年に日立製作所で製造されたもの。同時期に国内各地に向けて製造された車輌と同じようなモノコック調のツルンとした車体ですが、側面の扉数は2つ・扉間の窓は4つと、若干小さめです。2005年に更新が行われ、1が緑色で「OYAMA」、2が赤色で「TANZAWA」という愛称が付けられています。

この路線に乗るためには、伊勢原駅から神奈中のバスに乗り、その終点から15分ほど歩くわけですが、
実際に辿ってみて疑問に思ったことが一つ。

一体、どうやって、この車輌を運び入れたのか?・・・と。
というのも、
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ここがバスの終点(大山ケーブル)で、ここまでの県道611号線は狭いものの、なんとか通れるのではないかと思います。
が、この先の道というのが
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こんな階段状の参道となっています。実は南側(鈴川側)に自動車が通れる狭い道があるものの、これは途中で途切れてしまいます。
そして、
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麓側の駅があるのは狭い階段を登った上で、この駅舎を撮るのも苦るしい狭さ。
鈴川の上に仮設の道路でも設けたのだろうか?と邪推するところですが・・・。
これが戦前となれば、県道はもっと狭かった(少なくとも大山駅バス停から北の2車線道路は無く社務所前や、とうふ坂を通る旧道になる)はずで、今以上に謎という感があります。
(伊勢原市のサイトに当時の車輌と施設の画像があります。)
果たして真相は???

通常は20分間隔ですが、この日は行楽客が多かったのかバス共々増発が行われ、10分間隔となっていました。
この路線の見所は中間駅(大山寺駅)が丁度、交換設備のところに設けられていること。
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跨線橋つきの立派なものですが、ケーブルカーは車輌によりどちらを通るかが決まっているので、乗り場案内も一工夫されています。ケーブルカーの分岐部を見学するには、もってこいですね。

約6分で山頂側の阿夫利神社駅に到着。
かつては下社駅といったことからわかるように、同神社の下社があります。
とはいえ、あるのはこの拝殿等と、若干の土産物屋だけ。
他の関東にある参詣用ケーブルカーと比較しても高尾のように山頂にいろいろ施設があるわけでもなければ、御嶽のように山頂に門前町が形勢されているわけでもありません。ケーブルカーの利用者は、江戸時代から続く大山詣の人々と、大山の山頂を目指すハイキング客ということで、車輌が小ぶりなのも納得できます。
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本当なら、その山頂にある本社を目指すのが道理なのですが、時間は遅く、山向きの格好というわけでもなかったので今回はこの下社で引き返しました。
ここからでも、相模平野そして太平洋が一望できます。

ちなみに、ここをたずねた理由の一つは、賢明な読者の皆様がご推測される通り、やはり「神奈電」絡みだったわけです。その成果はいずれまた・・・・。

・いずれも2013年10月 撮影
by hiro_hrkz | 2013-10-23 00:59 | 鉄道(その他) | Comments(2)
富山地鉄 2013年4月
富山の訪問回数は決して少なくはないと思うのですが、自分の中でバス趣味の比重が重くなったり、
あるいは、各路面電車線の新規開業・リニューアルが優先となり、富山地鉄の鉄道線を真剣に撮影した回数は
それほど多くありません。
ところが、気が付けば、あの丸い形をした日車高性能ロマンスカーの10020形・14720形も数がグンと減っており、それならば、なにかしらで騒がしくなる前に行っておこう、ということで、久々の出撃となりました。

そして、この10020は最近は上滝線の平日朝ラッシュ時にしか走らない・・ということで、
わざわざ、夜行バスで出向いたものの・・・
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・富山地方鉄道 モハ10025+モハ10026+クハ175 2013年4月 大庄~月岡

余程普段の行いが悪いらしく、強い風に雨が降るという最悪のコンディション。
なんとか撮影できたものの、うぬぬぬ・・・。

さて、上滝線の3両編成は、朝2往復(電鉄富山0615→0646岩峅寺0712→0747と電鉄富山0700→0733岩峅寺0738→0812)のみで、通常は前者に10020が、後者に14760が入るそうです。
しかし、この日は様々な事情があったらしく、後者でやってきたのは・・・
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・富山地方鉄道 モハ16014+クハ112+モハ16013  2013年4月 大庄~月岡

レッドアローもといALPS EXPRESSの16010形3連でした。
16010形は2連のほうの16011は兎も角、ALPS EXPRESSの上滝線走行は珍しいはず。
それに遭遇できたのは、マニアとしてはよかったのですが、雷鳥色の3連を期待していたので、内心は複雑でした。

さて、その後、稲荷町に戻ったら、こんなのが走ってきました。
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以前とりあげたことがありますが、車籍を持つモーターカー、DL-1形DL-2(富士重工TMC100)でした。
側線に入って、暫く待機していましたが、その後、思いがけないシーンを目にすることに。
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車体を持ち上げてぐるっと回転。こんなふうにして、方向転換するのですね。
両方のレールの上にスタンプ状に足場を降ろしてジャッキアップしています。
このような方法は、古くは山鹿温泉鉄道のバス改造動車、最近なら伊予鉄道の坊ちゃん列車が知られていますね。
by hiro_hrkz | 2013-05-10 01:16 | 鉄道(その他) | Comments(0)
電車の向きに関する考察(改訂)
※2010年11月23日に記述した内容の改訂版です。

ひさびさに実物画像のないエントリーをば。
このところ、個人的に気になっていた話をまとめた次第。
たぶん、どなたか、既に発表されるている類の(もしくは纏めるまでもない)話だとは思うのですが。

以下、基本的にツリカケ駆動が主力だった頃の話です。
by hiro_hrkz | 2010-11-27 02:55 | 鉄道(その他) | Comments(0)
What is this?
今から15年前の9月。
別府鉄道土山線の廃線跡を、うだるような暑さの中、歩いていました。
途中、中野駅跡附近で、有蓋車(ワ124)の廃車体を見つけて、こんな写真を一枚、
撮影しています。
What is this?_e0030537_1292160.jpg
しかし、私の目はすぐに、貨車の左手奥にあった、「あるモノ」に釘付けになりました。

それは・・・・
by hiro_hrkz | 2009-11-25 01:38 | 鉄道(その他) | Comments(0)
まつりばやし
小中学校の夏休みも多くのところではじまり、いよいよ夏本番。
各地で祭りも開かれますが、このときは、地方私鉄の列車でも臨時輸送が見られたりするもの。
今年は秩父鉄道へ行ってみました。

秩父鉄道といえば、1000系電車を国鉄時代の塗装に戻したことで話題になりましたが、
「コクデンネタは記録するべき人が記録しているだろうし・・」と、何か腰が重く1年以上に渡り無視。
ところが、ここで個人的に馴染みのある旧塗装の復活というニュースが飛び込んできて、ようやく行く気になったというわけです。まあ、その車両は本日は登場しませんが・・。

さて、夏のはじまりには、祇園会が行われます。
京都・八坂神社の祇園祭、博多・櫛田神社の祇園山笠が有名ですが、そもそもは祇園信仰の神社に奉納される祭りですから、全国に存在します。
ここ秩父鉄道沿線でも祇園会があります。
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・(上)秩父鉄道 クハ6203ほか 
 (下)秩父鉄道 デキ201ほか いずれも2009年7月 桜沢~寄居

クハ6203を先頭とする急行電車は、秩父神社の「川瀬祭り」。
蒸気機関車の代役で客車を牽引するデキ201先頭の列車は、熊谷・八坂神社の「うちわ祭り」。
どちらも、丸い大きなヘッドマークでアピールしています。

特に後者はピンチヒッターで、沿線では蒸機を期待していた子供連れからは落胆の声が。一方で、鉄な人々のカメラが一斉に向けられていたのでした。個人的にはあまり撮影しない長さの列車なので、シャッターを切る位置に苦しみました(笑)。
秩父鉄道の電機は、パンタグラフは片方しか上げないようですが、この列車に関しては両方をあげるなど、ささやかながらファン向けサービスが行われているのも、嬉しいところです。

振り向けば祭囃子
by hiro_hrkz | 2009-07-22 01:09 | 鉄道(その他) | Comments(0)
ロマンスカー
窓の外を光る電車が 町並抜けて走った
夢を乗せたロマンスカーを何度も見てた 寄り添って
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2004年1月 開成~栢山

村下孝蔵さんが亡くなって、丁度10年が経ちました。
氏の作品をそう知っているわけではありませんが、何曲か大変気に入っている歌があります。
最近、ネット上で、アコースティクギター1本で弾き語りをするものを発見し見入っています。
もっと、アコギを前面に打ち出した歌を聴いてみたかった・・と。

夢がにじむ遠い夜空に 名もない星が流れた
君はいない

by hiro_hrkz | 2009-06-24 00:47 | 鉄道(その他) | Comments(0)