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カテゴリ:鉄道(電機、貨電、貨車)( 53 )
弘南鉄道弘南線 ED333
除雪車の試運転~出動のシーズンとなりましたね。
ということで本日のお題は雪国の電鉄から
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・弘南鉄道弘南線 ED333 1994年2月 黒石

 弘南鉄道弘南線の除雪用に残る電気機関車、ED333です。
その外観からわかるように、米国のウェスティングハウス(電機)+ボールドウィン(車体)製の凸型電機で1923年製造。もとは武蔵野鉄道デキカ10形13→西武鉄道10形13で、弘南鉄道は1951年10月に入線しています。
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・弘南鉄道弘南線 ED333 1995年8月 平賀

 日本国内の鉄道事業者がWHから購入した凸型電機は合計14両(秩父=5、武蔵野=3、信濃=3、愛電=2、宮城=1).
その中でも、武蔵野鉄道が右側運転台を採用していたため、他の輸入車とはボンネットの位置が左右逆になっているのが特徴です。最も、米国のインタアーバンは右側運転台なので、これが正統派のスタイルということになります。
自重は、信濃・愛電等あるいは日車でコピーした車両が24~28t級なのに対して、こちらは少々重めの33t。一方で最大長はそれらが9100mm台なのに対して逆に若干短い8800mmとなっています。
主電動機も愛電や宮城が端子電圧750V・出力48.5kwのWH-550-JF6なのに対して、こちらは端子電圧600V・出力74.6kwで出力が高めです。

 弘南鉄道には架線電圧の昇圧に伴い入線。大きな改造もなく貨物輸送用として使用されていましたが、1984年の貨物廃止後は除雪が主な用途となっています。それ以外でも上記の写真のように、平賀の車庫で入替に使用されることもあります。撮影時は、丁度3600形の廃車と、1521形の入線に伴う作業がいろいろと行われていました。

 さて、武蔵野デキカ10形→西武10形は合計3両(11~13)ありましたが、弘南鉄道に譲渡された他の2両はE11、12になります。その後、E11は1969年に越後交通に譲渡されED261になるものの1971年に廃車、残りのE12は1973年に廃車になったあと保谷車両管理所の乗務員養成施設に保存されました。
 西武池袋線の電車から見ると検車庫の反対側、さらに敷地の外を回っても塀の外からは見ることもできず、長らく幻の車両でした。しかし、車両管理所の廃止により建屋がなくなりカバーはかけられているものの姿を確認できる状態に。そして補修の上で武蔵野鉄道100周年を記念して2012年に公開されました。
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・西武鉄道 E12(保存) 2012年5月 保谷

今年で製造から95年。
ふたたびその姿を見てみたいものです。

・参考文献
澤内 一晃「凸型電気機関車の系譜」 鉄道ピクトリアル859号(2012年2月) 
後藤 文男『西武の赤い電機』 交友社 2001年

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by hiro_hrkz | 2018-11-24 23:02 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
富山地方鉄道 モテ10001
架線検測車というと、JRか大手私鉄の専売特許と思われがちですが、
かつてはこんな事例がありました。
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・富山地方鉄道 モテ10001 1993年3月(上)・1994年9月 稲荷町

富山地方鉄道が保有したモテ10001です。最も、1980年に廃車になったものを改造しているので、この時点では無車籍でした。したがって、この姿になってからは鉄道誌では取り上げらたことは殆どありませんし、いつどんな改造が行われ、そしていつ廃棄されたのかは正確には不明です。

もとは、地鉄の前身、富山電気鉄道のモハ500形501~503で1936年日本車両製。2扉で車内はクロスシートでした。18m級車で、乗務員扉が引戸である点(これは地鉄の電車には数多くみられましたが)や前面の上半分が長手方向にも傾斜しており流線形に近い形をしていたことが特徴です。最大寸法は18440×2700×4160または4176mm(長・幅・高 1968年当時)。
 1945年にモハ503が衝突事故を起こした際にモハ521に改番。その後、主電動機出力が基準の形式に改番した際に、芝浦の56kw主電動機(SE-119?)を搭載したモハ501と502がモハ7540形7541~7542に、芝浦の75kw主電動機(SE-132?)を搭載したモハ521がモハ10040形10043になりました。台車は日車TR25と書かれているものもありますが、詳細は不明。国鉄TR23 系ということだけは確かです。

 先述したように1980年8月に廃車になり、7542と10043は太閤山ランドに富山電鉄モハ500に復元されて保存されました(1990年代前半に解体済み)。しかし、7541は屋上にドーム2つと投光器を取り付けて架線検測車に改造されました。この時点では富山地鉄一般車塗装(当時)のクリームと朱色だったのですが、その後片方の側面中央に大型の両開き扉を設け塗装は茶色一色になりました。モテ10001になったのもこの頃だと記憶しています。テは「電気検測車」の意味でしょうね。その後、前面に大型扉を設置。これで国鉄の救援電車(クエ28002等)のようなスタイルになりました。
 上の画像はその時のもの。前面の開き戸が斜めになっていることから、前面上部が傾斜している独特の形状であることがわかると思います。なお、大型扉がある反対側の側面(稲荷町基準で北側)は見ることができませんでした。
 この車両に関する疑問といえば、車番が10001ということ。この車番は100PS=75kwの主電動機を装備していたことになりますが、台車は旅客車当時と変わっていません。つまりは、1980年の廃車時にモハ10043と既に振り替えていたと考えるのが妥当なのではないかと思うのですが、真相は??
 このあと、1996年9月にも富山地鉄の稲荷町を通っていますが、その時には見かけませんでした。

・参考文献
飯島巌・西脇恵・諸河久 『私鉄の車両10 富山地方鉄道』 保育社 1985年
秋山隆・杉山武史 「私鉄車両めぐり76 富山地方鉄道[終]」 鉄道ピクトリアル214号(1968年9月) 電気車研究会
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by hiro_hrkz | 2018-07-22 00:33 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
福井鉄道 デキ3
福井鉄道には凸型電気機関車が3両在籍していました。
そのうち、最後に入線したのがデキ3です。
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・福井鉄道 デキ3 1999年6月 西武生
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・福井鉄道 デキ3(+デキ11) 1999年10月 三十八社

もとは名古屋鉄道デキ111(東洋紡所有)→遠州鉄道ED213。
南越線で貨物代用として使われていたモハ111が事故で大破し、福武電鉄時代の発注車・デキ1が同線に転属、その穴埋めとして1975年3月借り受け・同年8月譲渡成立したものです。
メーカーは板台枠の台車(NTJ25)から解るように、車体・機械は日本鉄道自動車製です。

最大寸法(長×幅×高)は11430×2425×4013mmの25t機。
宇部鉄道デキ11→国鉄ED251→上田丸子電鉄ED251(三井三池→)弘南鉄道ED301といった、それまでの日鉄自型に比べるとボンネットの高さが増し、その分キャブの窓も位置が上昇したため、ごつくなった印象を与えます。一方で、キャブの側面などは、それまでの車両とあまり変わりませんね。

一方、電装は東洋電機製で主電動機はTDK516-A(端子電圧600V・出力59.6kw)、主制御器は電動カム軸式です。
同社はそれまでの日鉄自製凸電とは無縁でしたが、この車両および同年に製造された若松市電201から搭載され、1953年には同社の傘下に入っています。私鉄電機といえば電空単位スイッチ式が多い中での電動カム軸式の採用も東洋電機らしいところだと思います。
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・1993年3月 西武生

この車両は、ラッセルヘッドを取り付けており、冬場の除雪用としても使われていました。
しかし、1993年に見たときは使用されなくなった貨車と保線機材に挟まれており、デキ2よりもむしろ状態が悪く感じたものです。その後1998年にデキ2は廃車になる一方でデキ3は整備され車体も美しくなりました。特に、翌1999年10月には廃車になるホサ1形(もと浅野セメント私有貨車)を従えてイベント運行し、注目されました。
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・1999年10月 家久~西鯖江 

しかし経営体が代わったあとの2012年に除籍されました。
西武生・・・いまは北府ですが・・・に留置されているのは変わらないようですが。

御周知のとおり今年の北陸地方・・・とりわけ福井県・石川県は大雪で大変な状況となり、福井鉄道も連日運休になるなど例外ではありません。一日も早く通常を取り戻せるよう願っております。

・参考文献 
澤内 一晃「凸型電気機関車の系譜」鉄道ピクトリアル859号(2012年2月) 電気車研究会
岸 由一郎「私鉄車両めぐり155 福井鉄道」鉄道ピクトリアル626号(1996年9月) 電気車研究会
清水 武『RM LIBRARY 207 福井鉄道(下)』ネコ・パブリッシング 2016  

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by hiro_hrkz | 2018-02-13 00:25 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
京阪電気鉄道 寝屋川車庫構内入換車
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私鉄でよく見られた車庫・工場等の入替用車籍無し車 (機械扱)というのも、アントなど本物の?機械に押されて随分減ったように感じます。そんな中で、現在でも生きのこるのが京阪寝屋川車庫の車両。もと70形72です。
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公式サイトにも掲載されている有名案件なので、細かい説明は不要かと思います。
70形は京阪本線から京津線に転属した木造車の100形を新製車体に載せ替えたもの。72は1948年に竣工したもので、滋賀県の石山にある東洋レーヨン滋賀工場(の子会社)製の車体というのも珍しいもの。同社はこの頃、国鉄の戦災復旧車(70系客車)、私有貨車のタキ400、あるいは京福電鉄福井支社の車両鋼体化にも関わっていますね。工場自体が軍需転換されていたものの、終戦により職を失い、鉄道車両を手掛けることになった・・というパターンです。

70形は10両ありましたが、製造後まもなく1949年に発生した四宮車庫火災で大半を焼失。この車両だけ事故復旧で東レに入場していたために助かったというのは、幡生工場に入場したために原爆を逃れた広浜の買収国電(のちの熊本電鉄70形)を思い出すところです。

80形の増備で京津線の旅客車から寝屋川車庫の入替車になったのは1967年。それから、既に50年が経過しているわけです。
車両の長さ、あるいは操作のしやすさなどというのがあるとしても、よく今まで残っているものだと思います。
特に、最大の危機であった京阪線の昇圧すら、車内に電動発電機と整流器等を搭載して600V用の電機類に供給するという交流電化黎明期の車両を思わせるアクロバットな手法で乗り切ったことを思うと、どこか意地で残しているものすら感じます。
これは、70の種車となった100は、もともと京阪創業期の車両を改造したもので、その台車を今も使っているのが理由なのかと邪推するところです。

車体も側面の窓間こそ昇圧時にHゴム支持の窓とガラリになり、また片方の側面には大きな開口部と外吊り戸が設けられたため雰囲気が変わりましたが、運転席と扉まわりは随分原形を保っているものと思います。戸は木造、ドアの下にはホールディングステップ。入替車になったときに付けた自連がやはり重々しく感じるところですが、これはこれでかつての雄勝電車などを想起させますね。

・いずれも2004年10月撮影


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by hiro_hrkz | 2017-10-16 23:03 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
住友大阪セメント いぶき500形
貨物の専用線が日本中にあった頃でも、電化されているところは、本当に数えるほどでした。しかもその多くは凸型電機で、箱型電機はさらなる少数派。そのうちのひとつが、東海道本線の近江長岡から分岐していた(大阪窯業セメント→)大阪セメント伊吹工場でした。

同工場は1952年に操業を開始。専用線は当初非電化でしたが、1956年に電化されています。その際に、日立製作所で、2両の電気機関車を製造しました。
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・住友大阪セメント いぶき501 1996年10月 近江長岡

全般的には、当時、日立製作所が私鉄向け(秩父鉄道、東武鉄道、松尾鉱業ほか)に製造した箱型電気機関車と共通で、
国鉄EF15形電機を縮小したような車体・機器配置になっています。
自重50t、主電動機は秩父・松尾と同じく日立HS277系ですが、両者が定格出力200kwのHS-277Arなのに対し、こちらは150kwのHS-277Br-16を4機搭載。また、松尾と同じく発電ブレーキを装備していました。

引張力は9000kgで、これも松尾の8800kgに近似した値となっています。ちなみに秩父鉄道のデキ102~106が7700kg、東武のED5010が5280kgですから、本線走行を考慮せず、とにかく多くを牽引できるようにセッティングされているといえましょう。

大阪セメントは、1994年に住友セメントと合併し、住友大阪セメントになります。
上の画像はその2年後に撮影したもの。大阪セメントはライオンの商標を使用しており、この車両も側面の中央にそれが描かれていましたが、合併後なので消されています。
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・三岐鉄道 ED501 2002年5月 山城

その後1999年6月をもって専用線は廃止されました。なお、2003年には伊吹工場そのものが閉鎖されています。
この2両の機関車は、類形機を保有する大井川鉄道が譲り受け2000年3月からED501・502として使用開始します。
しかし同年、中部国際空港の埋め立て工事用の土砂運搬で輸送力の増強が必要になった三岐鉄道に急遽・貸出(501)、譲渡(502)されました。
三岐鉄道では、重連総括制御化の上で2両固定で使用。このときにヘッドライトを三岐標準の2灯にしています。

上の画像がその時の写真。先頭の501には、大井川鉄道で復活させたライオンの商標がついていますが
502にはそれが無く、代わりに車番とメーカー名の間に三岐鉄道の社章が取り付けられています。
501のパンタグラフが下がっている理由は不明。

2002年10月に土砂輸送の終了に伴い、501は大井川に返却、502は廃車になりました。
502は、その後西藤原で展示されていましたが、2015年に解体。
大井川の501も、西武鉄道から購入したE31形の整備に手を付けた現在、いつまで残るのか気になるところです。


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by hiro_hrkz | 2017-06-18 20:54 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
十和田観光電鉄 ED301
十和田観光電鉄は、電化以降廃線までの間に2両の電気機関車を保有しました。
一つは、1962年川崎製のED402。そしてもう1両は、改軌・電化時の1951年5月に製造されたED301です。
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・十和田観光電鉄 ED301 2002年6月 (上) 工業高校前 (下)七百

製造したのは日立製作所(水戸工場)。これは、電化に際して、電気関係の一切を日立が受注したためです。
同時に入線した、やはり日立製のモハ2400形と主電動機(HS-266Cr20 端子電圧750V/定格90.0kw)や制動装置(AMM-C)は共通化されています。ただし制御装置は、さすがに電車用のMMCというわけではなく、オーソドックスに電空単位スイッチ式となっています。
自重は30.0t・・・形式の「30」がここからきているのは、(旧)東北運輸局管内らしいところです。
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車体は、日立製の凸型電機の標準的なスタイルをしており、凹凸のないキャブの側面にやや小さめの窓は、たとえば、京福電鉄テキ521→えちぜん鉄道ML521や、住友別子ED104にもみられる特徴です。
ただし、車体幅が広い(京福テキ521が最大2171mmなのに対し、本機は2515mm)ことから、前面の窓が、他は2枚窓なのに対し3枚窓なのが特徴でした。運転台は前後に1つづつあります。

上の画像は、貸切運転会の際に撮影したもの。
この車両は、入線当初は制御車を牽引して走行していたようで、たとえば前面のテールライト外側には給電用のジャンパ栓が備えられています。そのときの再現というわけだったのか、前面に電車用の行先板をつけています。
・・・・ところで、この特徴ある編成の写真、どこかに残っていないものでしょうか?
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・十和田観光電鉄 ED301+トラ301+ED402  2011年9月 七百附近

十和田観光は貨物輸送が遅くまで残っていたほうで、国鉄分割民営化直前の1986年10月まで一般貨物を取り扱っていました。その後も、積雪に備えてED402共々、2012年の廃線まで生き残っていました。
こうして、イベントで駆り出されることも何度かありましたね。

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by hiro_hrkz | 2017-02-17 02:01 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
黒部峡谷鉄道 EDS13
一般的な知名度は比較的高いものの、鉄道マニアからの注目度はさして高くないと思われるのが、富山県の黒部峡谷鉄道。その理由を考えると、特殊すぎる規格、乗車システム、駅または沿線での撮影が難しい、一方で産業用ナローとしては近代化されすぎ・・・といった点でしょうか。しかし、「産業の為に鉄道がある」という原始的かつ根本的な姿を、非常に生き生きとした状態で感じることができるのは確か。雄大な景色と、一方で、発電所等に吸い込まれてゆく謎めいたレールなど、確実に乗って楽しい路線だと思います・・・とはいえ、私も乗ったのは20年以上前の一度きりなのですが。
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・黒部峡谷鉄道 EDS13 1994年9月 宇奈月

さて、黒部峡谷鉄道の車両は幅は1660mm、高さは2420mm(パンタグラフを除く)で、日本国内の一般的な鉄道はおろか、ナローゲージの車両(例・もと近鉄特殊狭軌線で、幅2100mm、高さ3200mm)よりもさらに小さい程です。通常の写真を見ている分にはあまり感じませんが、実際に、ここの機関車を目にすると、機械の塊に車輪がついている・・といった印象を受けます。

その電気機関車は、1966年に製造されたED18以降、4軸の箱型が主力となっています。
それ以前は、専用線時代を含め、2軸機もしくは4軸の凸型機を導入していました。
画像のEDS13は、車歴上は戦後初の新製機である1957年日立製作所製のED13を1993年に改造したものとなっています。が、実態はややこしく、1959年にやはり日立で製造されたED17を1993年に箱型車体に変更した際、流用したのは主電動機程度であったため、残った同車の車体・台車等にED13の主電動機を組み合わせたものとなっています。

主電動機は日立HS102-Grb(端子電圧300V・35kw)×4で、箱型機の42kw×4に比べて、若干出力が小さいものになっています。制御器は半間接式(・・と公式サイト等にはあるものの、一体どういうものなのか)東洋電機製DB2-DC564Aで、運転台は進行報告に対し横向き配置となっています。普段は、宇奈月での入替用なので、これでもよいのでしょう。

なお、黒部峡谷鉄道は列車が完全指定制であることから駅への入場は制限があり、ホームから車両を撮影するのが難しい状況でした。アングルが中途半端なのはそのため・・・おそらくこれは今も変わっていないと思います。

・参考文献
澤内一晃「凸型電気機関車の系譜」 鉄道ピクトリアル859号(2012年2月)電気車研究会

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by hiro_hrkz | 2016-10-23 23:04 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
西武鉄道 ホキフ71形・ホキ81形
国鉄の貨車の中で、無蓋のホッパー車と言って思いつくものは幾つかあると思いますが、その中でも特にメジャーなのがホキ800でしょうか。バラスト散布用・・・つまりは事業用ゆえに全国各地に配置されていたこと、そして特徴ある外観は、印象に残りやすいと思います。
直線主体で構成されているため、近代的な印象を受けますが、その製造初年は1958年と60年近く前で、それなりに昔の設計の車両ということになります。

ホキ800は、同系車が多くの私鉄で導入されたことでも知られます。特に、関東地方の大手私鉄では、東急と京成以外の各社が保有していました。うち京王ホキ280型は相模原線建設で使用した鉄建公団保有車を譲り受け、ブレーキをHSCに改造していたのが特徴。また京急ホ50形は当然ながら1435mm軌間、電車用の引き通しを備えた事実上の「サホ」でした。
そして、西武と小田急に在籍したのが、片方に車掌室を持つホキフでした。
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・西武鉄道 ホキフ72 1994年11月 横瀬
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・西武鉄道 ホキ88 1998年10月 横瀬

西武鉄道のホキ・ホキフは、1968年にホキフ71~74とホキ81~86、1973年にホキ87~90の合計14両が製造されました。メーカーが自社所沢工場である点も、当時の西武らしい特徴といえます。
また、私鉄のホキとしては珍しく国鉄に乗り入れる運用を行い、中央線の酒折駅からバラストを搬入していました。1980年代前半、この車両は飯能駅の南側にあった貨物用側線に留めてあることが多かったのですが、国鉄乗り入れの運用表が、車両の側面に直書きされていたのを覚えています。

その後、西武線内だけで完結するようになり、塗装もアイボリーに緑帯の爽やかなものになりました。折角の車掌室もこの頃には意味をなしておらず、ホキ・ホキフ特に区別なく運用されていたようです。

ところで、私鉄のバラスト用ホキの中でも特に印象に残ったのは、元来、電車がいちばんの好物の私には、やはり山陽電鉄と神戸電鉄に在籍していた制御室がついた「クホ」でした・・・・このあたりも近所の図書館がどういうわけか所蔵していた「私鉄車両のアルバム 別冊A」の悪影響(もしくは教育)の賜物かもしれません(笑)。それに比べるとホキフは、車端にハコがつき、ヘッドライト?もあるものの、どこか物足りない印象だったのも否めませんでした。

西武のホキフは1996年に廃車。ホキはその後21世紀になっても残っていましたが、2008年に廃車になったようです。関東大手私鉄では最後のホキでした。この世界は、今は保線機械が主流ですね。
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by hiro_hrkz | 2016-06-22 01:39 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)
小田急電鉄 ED1012
小田急が貨物輸送を止め、さらには工事輸送用の機関車がなくなったあとも、どういうわけか海老名の車庫の南端に1両の電機が置いてありました。電車からよく見える位置だったので、ご存じの方も多いと思います。
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・小田急電鉄 ED1012 1999年10月 海老名

1927年の小田急開業時に川崎造船で製造されたED1010型1012号機です。
製造時は1、2。大東急成立時に、もと小田急車=1000番台の法則に従ってデキ1010形1011・1012となり、戦後の独立時にデキをEDに変えました。

 自重は41t。同社初の電機である庄川水力電気の4両の流れを汲む、箱型に近い機械室に前後の小さなボンネットがある形態となっています。同型が武蔵野鉄道(デキカ21~22=西武鉄道E21~22)、上田温泉電鉄(デロ301、のちの名古屋鉄道デキ501→岳南鉄道ED501)に存在したことで知られます。
 主電動機は、川崎K7-1503-B(端子電圧750V 111.9kw)×4。西武E21と戦後、出力に関する諸元が異なったのは、架線電圧の違い(小田急、上田=1500V、武蔵野=1200V)から、端子電圧の異なる主電動機を搭載したゆえでしょう。武蔵野は端子電圧600VのK7-1903で出力は同じ111.9kw。これが、戦後の1500V昇圧で端子電圧750V、約140kwになったわけです。

 廃車は1984年。撮影時は、それから15年が経過していたわけですが、荒れた様子もなく、また外観上の部品の欠損もありませんでした。同型の1011が向ヶ丘遊園に保存されていたを考えると、その理由がよくわからなかったのも事実。
しかし、2005年ごろまでには解体。1011も、やはり2005年の向ヶ丘遊園の閉園に伴い、解体されました。

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by hiro_hrkz | 2016-02-21 02:35 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(2)
京阪電気鉄道大津線 122
私がまだ小学生低学年だったころの話。
近所の図書館には、鉄道の本が幾つかあったのですが、その中に交友社の「私鉄電車のアルバム」・・それも1A、1Bとなぜか別冊A、別冊Bが置かれていました。ご存じの方も多いかと思いますが、別冊Aは荷電・貨電、別冊Bは電機という実に目の毒(!)なものが沢山のっている2冊で、私が人生を踏み外すきっかけの一つとなりました(苦笑)。
・・・余談ですが、国鉄関係では、誠文堂新光社の「電気機関車ガイドブック」や「国鉄電車ガイドブック 旧性能車篇」なんてものが置いてあり、同様に買収電機だのクモ「ニ・エ・ル・ヤ」などに目を奪われた結果が・・・今思えば、実に人を惑わす図書館でした・・・。

その中で、関西の様々な旧型の貨物電車が非常に印象に残りました。しかし、その殆どは、私が関西に電車を見に行ける頃には廃車になり、残っていた車両もなかなか見られるところには無い・・結局、実物をみることができたのは、わずかにこれだけでした。
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・京阪電気鉄道大津線 122 1994年8月 近江神宮前(錦織車庫)

京阪電車の122です。
留置場所の関係で、手前には架線柱のワイヤーそして、乗務員乗降用のステップがあってスッキリしない写真となっていますが、いま思うと、こんな状態であっても、撮っておいてよかったなあ・・・と思うところです。

車歴は非常にややこしいものです。
 もとは1934年11月竣工の有蓋電動貨車で旧車番は2002。製造は自社の守口工場でした。なお、実際の製造は1933年で当初車番は2004であったとも書かれています。1945年7月に天満橋駅で空襲に遭い全焼、1946年に復旧。
 1955年にこの車両の機器と、1936年製造・1949年廃車の無蓋電動貨車 3012の台枠を組み合わせて、上の写真のようなスタイルに改造の上で本線から大津線に転属・・・最も、そのころは三条で線路が繋がっており、またポールとパンタグラフを共に装備していたので、両線を行き来していたそうですが。
 1959年に3022、1970年に122に改番され、1997年の大津線昇圧で廃車になりました。

なお、2002と同型の2003は、3021→121と改番されて、1983年に京阪線が昇圧するまで守口工場の牽引車あるいは救援車として使用されました。ATSを装備するために車体の前後に張り出しを設ける改造が行われていました。
また3012と同型の3011は、103に改番されて、やはり1983年まで使用されました。1968年にクレーンの装備と、運転台の幅を狭める改造をうけています。

自重23.0t。最大寸法(長・幅・高)は14242×2378×3980mmで、「屋根付きの無蓋電動貨車」という非常に特徴あるスタイルになっています。柱が2本あるので、前後の運転室の部分と合わせて3っつに分割されていますが、それぞれの天井にはホイストが取り付けらています。運転室の幅が狭いことを含め、レールの運搬等に対応したものだったのでしょう。

台車はブリル27E-1 主電動機は東洋9C(出力45kw)を4台装備している点は、大津線急行の主力車だった260形と同じ。廃車後には、アメリカのトロリーミュージアムに譲渡されています。
制御器は260形・350形などと同じく電空カム軸式の日立PRから、自社製の電動カム軸式に交換されており、この車両はEC-100なるものを搭載していました。詳細は不明です。


この車両、京津線に配置されていたこともあり、「私鉄電車のアルバム」では別冊Aではなく、2Bのインタアーバンの項に載っています。ご注意を。

・参考文献
同志社大学鉄道同好会「私鉄車両めぐり(48)京阪電気鉄道」 鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション25に収録
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by hiro_hrkz | 2015-10-22 01:58 | 鉄道(電機、貨電、貨車) | Trackback | Comments(0)