資料館本館
本サイト
創作鉄道資料館 特別企画 高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集 ※現在、コメントとトラックバックは管理者の承認後の掲載となっています。従って、書き込み後暫く時間がかかることを、ご承知ください。 ※当ブログに対するご意見、ご要望などは こちらから、お願いいたします。 なお、リンクフリーです。 ※当サイト内の画像、文章等の無断転載を禁止します。 エキサイトブログ以外へのリンク カテゴリ
全体 鉄道(旧形電車) 鉄道(近代形電車) 鉄道(その後の電車) 鉄道(電機、貨電、貨車) 鉄道(非電化) 鉄道(海外) 鉄道施設 鉄道(その他) 路面電車・低床電車 バス(日野車体) バス(富士重工) バス(三菱/呉羽) バス(川重/IK/IBUS) バス(北村、西工、東特) バス(その他) バスのある風景 模型・神奈電・架空の鉄道 言いたい放題 そのほか おしらせなど 未分類 以前の記事
2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 最新のコメント
最新のトラックバック
フォロー中のブログ
ATB MODELS バ... 愛甲の架空鉄道あれこれ 妄想れいる・・・私の妄想... 準各停な日々 きままな鉄道模型制作記 FB=Favorite Bus ベルリン中央駅 鉄道&バス紹介 三岐&近... うましか亭 へぼへぼえにっき 一応、、、技工士の寄り道な気分 世界の大学めぐり 始終車庫(仮) 外部リンク
検索
ブログジャンル
画像一覧
|
2018年 12月 15日
![]() 「新しい電車」と認識しているものは、そうなりやすいですね。 5000形は東山線初の冷房車として1980年に試作の第一編成が登場。1982~1990年に量産車が投入され、6両編成23本138両がありました。1977年に最初の区間が開通した鶴舞線では既に冷房車が投入されていたわけですが、20m級の大型車を使用する同線と異なり、国内でも特に小型の車両(車体長:15000mm、幅:2508mm、最大高:3450mm)を使う東山線への冷房車を投入は難題であったと思います。 ![]() ![]() 東山線(名城線の電車もそうですが)は、それまで全車両がM車で主制御器も各車にあり(1C4M)、1両の中で完結する方式でした(補器類はその限りではありませんが)。しかし5000形は両先頭車が制御車となり、主制御器は2両に一つ(1C8M 日立CFM-138RHまたは三菱CH-MR-124)となりました。主回路チョッパ方式を採用しているのは、この頃に製造された各地下鉄の冷房車に共通した特徴ですね。主電動機は日立HS-14531または三菱MB-3255で、いずれも出力95kw。従来の車両が48~55kwでしたから随分と出力増強されていることがわかります。 車体は日車および日立が担当しアルミ製。窓配置は従来の300形等を踏襲していますが、開閉可能な窓の数は減っています。前面は切妻ですが傾いているのが特徴。そして冷房装置は12500kcal/hの三菱CU-75を1両に2台、その電源はSIVを使用し、コンプレッサと共に両先頭車に搭載ています。このように編成で機器は分散され小型化されているものの、床下機器の配置図を見ると各車両スペースの余裕は殆どないことがわかります。 ![]() これは藤が丘工場の公開の際に撮影した連結面。この配管覆い?が気になるところですが、冷房の排水関係なのでしょうか・・・大阪市交の10系等でも見られますね。 ・参考文献 近藤 三郎「名古屋地下鉄東山線に冷房車 5000系登場」 鉄道ファン231号(1980年7月) 交友社 大須賀廣郷・田川輝紀・小川金治「日本の私鉄20 名古屋市営地下鉄」保育社
▲
by hiro_hrkz
| 2018-12-15 17:55
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
2018年 04月 24日
![]() 前回、保原にある福島交通軌道線の保存車を取り上げましたが、もとはといえば今回とりあげる第3セクターの電車を見に行くのが目的でした・・・が、気が付いたらいつもの通りバスやらなんやらに主眼を置いてしまったというオチ。 その第3セクターとは阿武隈急行。もとは国鉄丸森線(槻木~丸森 非電化)で、国鉄の特定地方交通線を引き継いだ3セクでは珍しく民間主導型(福島交通が51.0%の株式を保有し残りを福島・宮城両県および沿線自治体で分担)で発足しました。1986年7月1日より運行を開始、1988年7月1日には丸森~福島が延長されて全線開業します。このときに交流電化を採用したため、それまでに類例のない国鉄・JR以外の交流電車の誕生となりました。 これが今回とり上げる8100系で、日本車輌で2連9編成18両が製造されました。最も、この車両の第一編成が落成した1987年12月時点で生まれがらの交流専用の電車は、日本国内では新幹線を除けば北海道の711系と781系、それに九州に713系が若干しかありませんでしたが。 ![]() ![]() ![]() 福島側が電動車のAM8100で末尾が奇数、槻木側が制御車のAT8100で偶数となっています。 国鉄713系電車をベースに設計されており、床下機器の配置あるいは運転台には共通性がみられます。車体そのものも国鉄の近郊電車に順じた寸法であり、窓枠などの各部品もそれのものを流用しているようです。 しかし、ワンマン運転を考慮し運転台と客用扉を近接させるために客用扉は両開と片開が混在したものとなり、また便所が運転台側に設けられるといった独特のものとなりました。このあたり、国鉄形をベースとしながらも、独自の前面と窓配置で異なる印象となっているのは、富士急行5000形との共通性が感じられます。 制御方式はサイリスタ位相制御で、主整流器機は日立製、主制御器は三菱製(MU-6-211)、主電動機は713系以降の国鉄・JR各車で使われたMT-61(120kw)×4です・・・民間向けの型式となっていない理由は解りませんが。ただし、電気制動あるいは713系で実用化された(電車用の)交流回生制動は搭載されておらず、空制のみとなっています。713系など交流電車では端子電圧500V・150kwで使用されるMT-61が、スペック上、界磁添加励磁制御の直流電車と同じ120kwとなっているのは、このあたりが絡んでいるのでしょうか? 台車は日車製でボルスタレス式のND707(制御車はND707T)をはいています。台車枠の形状など日車製の特徴がでており、国鉄のDT50系とは少々異なる雰囲気となっています。 ![]() ![]() 車内はボックスシートなどは、いかにも国鉄形という感じですが、特徴は、このキノコ型の貫通路。 こんなところに、同じ日車で製造された遠州鉄道1000形との共通項を感じるところです。 全線開業以来ほぼ陣容に変化はなく、車両の外観も行き先表示のLED化等などの小さな変化しかありません。 一時、JR東日本から417系電車を購入して朝だけ走らせていましたが、構造が大きく異なる交直流電車の取り扱いは厄介だったのではないかと思います。 この電車も置き換えが発表されていますので、訪問は早めのほうがよいかもしれませんね。 ・参考文献 平林幹崇・貴志田一郎「阿武隈急行」鉄道ピクトリアル636号(1997年4月増) 電気車研究会 「阿武隈急行近郊型電車完成」鉄道ファン322号(1988年2月) 交友社 ▲
by hiro_hrkz
| 2018-04-24 01:32
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
2017年 12月 17日
![]() ![]() ![]() ![]() 神戸市交通局1000形は、西神線の開業に際し1976年に製造が開始されました。 以降、路線の延長にあわせて、1989年まで増備が続けられ現在は6連18本108両が在籍しています。 メーカーは全て川崎重工業で、主要電装品は日立製作所が担当しています。 19m級3扉、アルミ合金製の車体に市電由来の塗装、客用窓は一段下降式で日除けはアルミ製の鎧戸。さらに台車がSミンデン式の軸箱支持でダイレクトマウント式の枕バネを持つ住友FS393という各所からは、地下鉄というよりは関西民鉄の電車・・とりわけメーカーが同じ神戸電鉄3000系や、神鉄の主要株主である阪急の電車の大きな影響を感じるところです。西神線が地下鉄というよりニュータウンを走る郊外電車(・・・実際に西神延伸線はニュータウン新線ですが)であることも、その一因でしょうか。 一方で走行機器は地下鉄らしいもので、制御方式は電機子チョッパ(1C8M)を採用。信号方式・保安方式もATCとなっています。 製造当初は4連で全て電動車。中間車(1201、1501)にパンタグラフを2機・さらに主制御器を搭載し、電動発電機やコンプレッサを搭載する先頭車(1101、1601)と2両ユニットとなっています。後に中間に附随車(1301、1401)を追加して5連そして6連と変化しました。 更に、1997年からチョッパ制御からVVVFインバータ制御への変更が進められて2012年までには完了しています。全国的に見ると、1996~1997年に営団7000、福岡市交1000でも同様の変更が開始されており、保守面での同方式の限界が見え始めた頃なのかもしれません。 最初の車両の登場から40年が経過し、置き換えが発表されています。 実際に乗ってみた感覚としては、車内はだいぶ疲れているように感じました。 最近は、意外な路線でも置き換え直前になるとやたらと人が殺到するので、記録はお早めに・・といったところでしょうか。 ▲
by hiro_hrkz
| 2017-12-17 02:01
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
2017年 08月 20日
長期にわたって製造された、遠州鉄道の30形電車ですが、最終編成である1980年製のモハ51・クハ61は、他の編成との差がいろいろとあり、実質的に別の形式として考えても差し支えない存在です。
![]() ![]() 基本的には、1978年に製造されたモハ25・クハ85を踏襲していますが、同じなのは窓配置くらいのもの。前面は大きく変わり、湘南型をベースに当時の流行だった?窓ガラスまわりが一段凹んだ造形で、前照灯・尾灯は窓下へ。 車体側面の裾のRも大きく取られています。そして、連結面は客室断面ほぼそのままの超広幅貫通路を止めて、幅1000㎜のごくノーマルなタイプになっています。これは冷房効果を考えてのこと。なお冷房機そのものは、25・85と同じく三菱CU124(能力 10500kcal/h)×3です。 下回りも大きく変わっています。 吊り掛け駆動から中空軸平行ドライブになり、主電動機は日車NE90(定格出力112kw)×4から東洋TDK8095-A(端子電圧375V・定格出力120kw)×4になりました。 30形の台車は、円筒案内式の軸箱支持にトーションバー(ねじり棒)式の枕バネを持つ日車ND-507から、ペデスタル式の軸箱支持にインダイレクトマウント方式の空気バネを枕バネを持つND-306(ND-306T)に一部が移行しています。この編成は、さらにダイレクトマウント方式に変化したND-309(ND-309T)となりました。 主制御器は電動カム軸式ですが、日車NC-188Aから東洋ACDF-M4120-777Bに変わりました。ただし、制動方式は電空併用の自動ブレーキ(AMAR-D)で、ジャンパーも共通なので在来車との併結は可能です。 ![]() このタイプは1編成で終わり、3年後の増備は新形式の1000形になりました。 1000形は車体造形と塗装が大幅に変わっていますが、台車、主電動機、主制御器、冷房機などはこの51+61と共通となっています。ただしブレーキが全電気指令式のHRD-1-Dになったため、こちらとの併結ができません。 51+61は、30形と1000形の橋渡しのような存在といえそうですね。 ・参考文献 鉄道ファン239号(1981年3月号)、274号(1984年2月号) ▲
by hiro_hrkz
| 2017-08-20 15:45
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
2016年 09月 22日
そろそろ代わりとなる車両ができあがりつつあるようなので
今回は、この福岡都市圏の通勤車で一つ。 ![]() ![]() ![]() 西鉄天神大牟田線の通勤電車の主力、5000形は1975~1991年の17年にわたり40編成136両が製造されました。 それまでに製造された600形は編成の自由度を高めるためか、基本全車両運転台付きで、動力車は1Mでしたが、1編成だけ製造された700形を挟んで、漸く3両もしくは4両の固定編成・2Mユニット(1C8M制御)となりました。 メーカは川崎重工で電装品が三菱なのは、600形以降6000形まで西鉄大牟田線の電車全てと同じです。 画像はすべて4連ですが、5506(1977年製)、5033(1986年製)は製造当初より4連で中間2両がM車、先頭車がT車なのに対し、5140(1988年製・最終編成)は当初3連で登場したものの、1991年に中間T車を追加し4連となっています。従って大牟田側の2両がM車となっています。パンタグラフの位置が異なるのはそのため。 また、5506の編成がパンタグラフ1基なのに、他が2基装備しているのは、補助電源が異なるのが理由で、5506はMGなのに対し他はSIVとなっています。離線対策で増設されました。 さて、西鉄の通勤電車というと独特のアクの強さが感じられますが、それはこの5000形で確立されたものと言えましょう。 前面が左右非対称で、運転席側だけ曲面ガラスを用いたいわゆるパノラマミックウィンドウになっているのは特に目立つ点ですが、前面そのものにはRがない切妻で、車体角のRが大きくとられているだけというのは、気が付きにくい点かもしれません。そして、前照灯と尾灯を一つに収めたライトケース。このパーツは特に重要なようで、構成は異なるものの全面改造後の600・700、さらには宮地岳線に転出した300、果ては西鉄の工場で改造した熊本電鉄の200形まで、有無を言わさず「西鉄の顔」という印象を与えることになりました。 側面に目を転じれば、独特の大きさの方向幕(・・といっても国電サイズとは思いますが)が、外枠含めて無塗装のユニットサッシ、取っ手の凹みが下部ではなく窓のあたりにある客用ドアといった点があげられます。 車体寸法も独特で、最大長は20mにわずかに満たない19.5m、そして車体幅は2670mm(最大寸法2740mm)。これは、地方私鉄建設規程の車体幅2744mm以内に収めた結果ですが、それでも他社(南海10000系等=最大2744mm、名鉄各車=2730~2740mm、京阪8000=2720mm)に比べて狭めの寸法で、これよりも狭いのは神戸電鉄の2600mm程度になります。 最後に車体の塗装。このパステルカラー調のアイスグリーンは、2年前に登場した特急電車 2000系とのバランスを考えての新塗装だったと思いますが、当時、他者の電車にはない色調だったので、より印象強いものになったのだと思います。 帯の色は、落成当初は黄色だったようですが、営業運転開始時までに赤色になりました。視認性を考えると妥当なところでしょうか。この帯の色を緑色に変えた5540ほかの「三井グリーンランド号」を最後に紹介しておきます。 この頃は、JR九州にも同様に811系の帯の色を変えた編成がありましたね。 ![]() ▲
by hiro_hrkz
| 2016-09-22 18:36
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(2)
2016年 04月 20日
えちぜん鉄道ができて今年で早くも13年。
京福福井から引き継いだ車両は電気機関車を除き粗方姿を消しました。 「阪神ジェットカーなんて新しいじゃん!」って思っても50年前の車両。歳はとりたくないものです(謎)。 さて、えち鉄は、最初はもと愛知環状鉄道の車両を導入していましたが、これが尽きた後、暫く代替の動きが止まりました。 ふたたび動きだすのは2012年度のこと。残る阪神車追放の為に導入されたのは、JR東海の119系電車となり、2014年までに2連6編成12両が揃いました。最初に、導入の噂を聞いたときは、もと愛環車に倣い両運転台改造されたヤツかな・・などと思ったものです。 ![]() ![]() えち鉄が譲り受けたのは、全てJR化後にインバータ制御の冷房装置(C-AU711D-G3、16000kcal/h ×2台)を搭載したグループ。入線にあたって、阪神車両メンテナンスおよび大阪車輌工業で大幅に手を入れられています。 外見では運転台の高さを変更したことに伴い、前面の窓・ライト類の位置が改造・変更されて、もと愛環車(MC6000など)に近くなり雰囲気が変わりました。またパンタグラフはシングルアーム式2機に増設されています。 そして、なにより大幅に変わったのは、その機器構成。 119系は国鉄の1M車らしく、端子電圧375VのMT55A(定格出力110kw)4機を永久直列制御するものでした。しかし、えちぜん鉄道は架線電圧が600V。制御器を直並列制御できるもに変更でもしない限り、主電動機にかかる電圧は半分以下となりまともに走ることができません。同じシステムを持つもと愛環車では、手を殆ど加えずに入線させたため、力行時に主電動機を一つカットしたりするなど苦心しています。 7000は、そのあたりを三菱電機製の三相交流誘導電動機(MB-5148-A 90kw)・VVVF制御器(MAP-084-60VD252)に全面交換することで、一気に解決しています。駆動方式も中空軸平行ドライブからWNドライブに変わりましたが、台車はM車がDT33、T車がTR21Tのまま。国鉄の台車でWNという珍しいものになりました。 さて、国鉄の電車というと「長い、広い、重い」に部品規格がJISでなくJRSということで、新性能車をローカル私鉄が中古導入する事例は、秩父鉄道と伊豆急を除き殆どありませんでした。えち鉄の場合、もともと南海から譲り受けたヒゲ新が20.5m車で、愛環車で幅も克服されていたことが、入線を可能にしたのでしょう。 一方、クモハ119の自重はJR末期の時点では45tありました。私鉄の20m通勤車が軒並み41t以下であることを考えるとやはり重たいですね。しかし、これが改造により40.7tにまでダイエットしています。 そんなに直流電動機を使ったシステムは重いのか・・・と思ってしまうところですが、一方で、クハのほうは31.5tから33.9tに増加。これは、クモハに搭載していたMGと冷房用のDC-DCコンバータ?を、あわせてSIVにしてクハに搭載したゆえと思われます。差し引き編成単位では1.9tほど減っているわけですが。 ![]() 座席はモケットが張り替えられて、床材も交換されていますが、一方で、ボックスシートの枕カバー用のマジックテープはそのままになっていました。 ![]() 参考 http://www.echizen-tetudo.co.jp/company/image/safety12.pdf ※2015.05.22 モニタとスピーカについて、記述を修正しました。 ▲
by hiro_hrkz
| 2016-04-20 01:33
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
2015年 11月 22日
![]() 上信電鉄は昭和50年代に入り、新車を2回にわたり導入しています。 このうち、1981年に導入されたのが両運転台の250形2両です。 ![]() 1976年に製造された3連の1000形および同時に製造された2連冷房付の6000形と同じく新潟鉄工所製の20m級車。車体も基本的なつくりは同じで、側面は3扉・窓間に3枚のユニット窓が並びます。 屋根の肩部分が斜めにカットされているのが少々珍しい構造ですね。 しかし、1000形・6000形が固定編成なのに対し、こちらは在来車の200形と混用して使うことが前提となっており、機器構成は異なっています。 この年代に製造された車両としては珍しい中継弁付自動空気ブレーキ(AMAR)を装備し、発電制動はありません。当然ながらマスコンも1000・6000のワンハンドル式に対して、通常の主幹制御器とブレーキ弁が別々のタイプになっています。 主電動機は200形と同じ、国鉄MT46と同じ系譜に属するTDK-806/4D(定格出力100kw)ですが、1M車で直並列制御を行うため、端子電圧が750Vになっているのが特徴。制御器も200形と同系統の東洋電機のACF-H-4100-781Aですが、こちらは加速度の変更ができる(通常時2.4km/h/s、高加速時3.0km/h/s)のが特徴で、ここは1000・6000に合わせています。 前面は1000・6000と異なり、貫通式となっています。バンパーがついているのは同様ですが、貫通路使用時には、その部分が左右にスライドする構造です。また、フロントガラスは、増結時の操作性を考慮して若干下に向けて傾斜しています。 250形は、群馬県の中小私鉄整備近代化事業資金を利用した、線形改良・信号所増設などの近代化策の一環として投入されました。しかし、それほどの効果はなく、むしろ1984年の列車衝突事故発生以降はトーンダウンしていったように感じます。 (登場当時としては)奇抜な斜線多用の塗装(・・・そういえば、両運転台に改造されたデハ204もこの塗装になっていた時代がありますね。)も、1994年末にサーモンピンク一色に塗り替えられています。 上の画像は1994年6月の撮影ですが、よく見ると塗装はくたびれていたのがわかります。 ![]() ![]() その後、デハ251はいわゆる「バス用の冷房機」を取り付けて冷房改造が行われました。 屋上には熱交換器?を、また高崎側の運転室後は窓が1枚分つぶされて機器(室外機?)が搭載されています。 同じ方式で冷房化された200形の制御車、クハ303と実質的に固定編成となっており、 ながらく人形店の広告車となっていましたが、近年解除され、アイボリーに緑の新標準色?になっています。 ![]() 一方、デハ252のほうは、1000を3連から2連にした際に編成から外れたクハ1301(2001年改造)と編成を組むようになります。こちらは、通常の鉄道車両用の冷房装置(三菱CU-191P 能力10500kcal/h 泉北高速鉄道の廃車発生品)が、4機取り付けられました。 こちらはアイボリーに水色でしたが、長いこと、こんにゃくメーカーの広告車になっています。 デハ251・252ともにバンパーが外され、前面はスッキリした印象になりました。 ▲
by hiro_hrkz
| 2015-11-22 00:05
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
2015年 03月 12日
拙ブログでは珍しい系統の車両の話題でも。
北陸新幹線の開業に伴い廃止される在来線特急の「はくたか」の話は、既にあちこちで語られていますし、このブログ主の手に負えるものでもありません。ただ、改めて感じるのは、北越急行の所属車輛「スノーラビット」に関する独特の人気です。 ![]() ![]() 地方の第3セクターが保有する特急電車、それも交直流車で160km/hという唯一無二の点が、魅力であったのだと思います。それは、普通の私鉄の特急電車と異なり、むしろ架空鉄道で妄想しがちなJRに伍する私鉄電車という、マニアの夢でもあるのでしょう・・・・最も、これを架空鉄道で展開すると、シラケがちではありますが。 現実には、この車両の保守はJR西日本に任せていて、北越急行では手におえないこともあり、北陸新幹線開業でJR西日本に移籍することになります。 個人的には、この車両を見ると、小林信夫氏がTMS1997年6月号(No.627)で発表したフリーの14m級特急電車を思い出します・・・シル・ヘッダー付の旧型車の前面だけICE風に変えたぶっ飛んだものがありまして、強烈な印象でした。ああいうのを見ると、私もたまにはフリーの特急電車のも作ってみたい・・・と思ったりしますが、前提をいろいろと考えずに、楽しくなれる作品というのも、いいものですね。 話がそれましたが、北越急行は何度も乗っていますが、その目的地が十日町(・・・EKK)やら直江津(・・・マルケー)なので、いつも普通ばかり。特急は4回くらいだったと思います。ゆえに、とくに沿線で写真を撮るということもなく、こんなのを湯沢で撮っているくらいでした(・・・これも、大概はEKKのバス撮影のついで)。 フラッグシップは無くなりますが、新たな目玉「超快速」で一味違う鉄道として健闘してほしいと思うところです。 ▲
by hiro_hrkz
| 2015-03-12 00:23
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
2014年 12月 20日
![]() ![]() 西武3000系が作られたのは1983~1987年。その投入計画を知ったのは、駅に置かれていた西武ニュースか何かが情報源だったと思います。お隣の東武東上線に有楽町線対応の9000系が登場した直後でもあり、「ついに西武も地下鉄直通車か!」と勝手に想像したのでした。 しかし、現実に出てきたのは、新101系の車体がちょっと変わっただけで、「なんだよこれ・・・」という状態。 それでも、前面に車番がつき、側面に方向幕がついた点には、「ほかの私鉄電車に近くなったんだあ」と感じました・・・最も、電動の方向幕になったことで、従来の電車には運転台上についていた方向幕の対照表が見られなくなったのが残念だったのですが。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() デビュー時は旅客車900両突破記念の乗車券でした。 (1枚目) クハ3013 1995年2月 新井薬師前~沼袋 (2枚目) クハ3001 2008年6月 所沢 (3枚目) クハ3010・3012 2008年12月 東長崎 (4枚目) クハ3005 2013年1月 小川 (5枚目) クハ3015 2012年5月 江古田~東長崎 (6枚目) クハ3011 2012年5月 江古田~東長崎 (7枚目) クハ3012 2009年8月 東長崎 ▲
by hiro_hrkz
| 2014-12-20 23:30
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
2013年 08月 15日
京王井の頭線の3000系のうち1975年以降に製造された14編成70両は、前面形状の変更などを含む更新工事を受けて引き続き同線で使われていましたが、これも20m級車の1000系に置き換えることとなりました。
18m級ステンレス車の出物なので、どこに行くのか?と注目していましが、結局のところ軽量車体となった1983・1987年製造の10編成が3両に短縮の上で伊予鉄道に譲渡されるのみでした。どうも、京王3000系の譲渡は出だしは良かったものの、その後は情勢が変化して譲渡数が伸びなかった印象があります。 譲渡にあたり、VVVFインバータ制御による1M2T編成となったのが特徴。 界磁チョッパー車を1500→600Vに降圧改造して、しかも1両を電装しなくてはならないのなら、これが最適解だったのでしょう。路面電車で既に多数のVVVFインバータ制御車を保有していたことも背景にあると思います。 ![]() ![]() 京王3000系といえば、7色の前面で知られますが、伊予鉄道ではアイボリーに統一されています。 ただし、クハ3508-モハ3108-クハ3308は、2012年3月から伊予鉄125周年記念の「だんだん125」として特別の外装となっています。この車両、1年経った2013年から、ドアの部分の意匠を変えたのですが、あまり話題になっておらず・・・。 http://www.iyotetsu.co.jp/125th/dandan125/design.html ▲
by hiro_hrkz
| 2013-08-15 21:33
| 鉄道(その後の電車)
|
Trackback
|
Comments(0)
|