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高松琴平電気鉄道600・700に関する簡単な資料集

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カテゴリ:鉄道(旧形電車)( 94 )
銚子電気鉄道 デハ702+デハ1001
銚子電鉄のデハ702とは、どうも巡り合わせが悪く、何時も大抵車庫でお寝んね。
伊予鉄道から車両を導入する旨が発表され、やきもきしながら銚子を訪ねたところ、漸く動いている姿を見ることができました。
e0030537_22401145.jpg
・銚子電気鉄道 デハ702+デハ1001 2009年9月 西海鹿島~海鹿島

この日は702を貸切り、車内で演劇を行うとのことで、午後の便の銚子駅側に連結されました。
沿線で数少ない開けた場所である海鹿島の直線で待つこと暫し、
某ゲームの広告車である1001と連結されてやってきました。
水色の電車同士であるため違和感も少なく、なかなかよい感じ。

総括制御など出来るはずも無く各車に運転士が乗ったアナログな協調運転、
カプラーも1001側はアダプターを介しての連結と
他所では、見られないことばかりなのも、この重連運転の面白さです。
そういえば、25年以上前の時点で既に「国内では数少なくなった協調運転」として紹介されていたのを思い出します。当時は、301-101-501の3連が名物でしたね。
by hiro_hrkz | 2009-10-19 23:00 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(2)
高松琴平電気鉄道長尾線 870
なにか、この車輌の絡みで大勢いらっしゃったようなので^^)。

コトデンで琴平線から長尾・志度線に転属した制御車の一つが860形870です。
もと西武鉄道(初代)のモハ204で1941年 梅鉢鉄工所製。いわゆる関東窓配置の電車です。のち武蔵野鉄道に吸収(つまり現在の西武鉄道)成立後にモハ254→モハ224→クハ1224を経て、1960年に再度の電装(架線電圧は直流600V)と両運転台化改造を受けて山形交通に譲渡され、同社三山線のモハ112となりました。
同線の廃止後、1975年にコトデンに譲渡。昇圧・改軌などの改造を経て当初は両運転台のまま琴平線に配置、790となりました。その後、1983年に重量制限の関係で電装解除の上で長志線に転属し870となり、1998年まで使用されました。
e0030537_231638.jpg
・高松琴平電気鉄道長尾線 870 1998年7月 池戸~農学部前

さて、この車輌、山形交通譲渡時の改造で全面を2枚窓に改造しているのが特徴です。
湘南形という誤解もあるようですが、ただの3枚窓の丸妻を2枚窓にしただけ。
特徴はそこではなく、上辺が国鉄101系電車の如く、斜めに取り付けられていること。
つまり丸妻でありながら、ガラスの位置だけ湘南形になっているようなものなのです。
e0030537_22194712.jpg

前面窓周りをアップしてみましたが、解りますでしょうか?
特徴ある形状の雨どいや、屋根前頭部の塗り分けにも注目してみてください。

さて、870の長尾・琴平側と遼車860は、コトデン入線後の改造で貫通扉付に改造されていました。
しかし、長尾・志度線の両運転台制御車は、実際には長尾側の運転台機器は撤去され実質片運転台となっており、晩年、870の貫通扉側が先頭に立つことはありませんでした。
従って、こんな写真しかありませんが、貫通路付側も紹介したいと思います。
e0030537_22284818.jpg

860も同じですが、窓の部分だけ外板も平面になっているため、段差が生じています。
もし860・870を模型で作られるときには、このあたりに拘ってみると、よりらしく見えるのではないかと思います。
by hiro_hrkz | 2009-09-13 22:30 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(1)
野上電気鉄道 モハ24
野上の電車で、おそらく一番人気だったのが、この24でしょう。
大正末期の電車らしい、半円形5枚窓の前面を持つこの車両は、もと阪神電気鉄道600形604で1924年藤永田造船製です。
・・・といっても、これは車体だけのお話。もともとは1958年に入線した阪急電車開業時の1形3の車体に南海中古の下回りを組み合わせた車両で、1961年に車体を振り替えたものでした。しかも車籍としては、どうも八日市鉄道→近江鉄道のガソリンカー カハニ102を譲り受け、1950年に電装の上竣工した初代のものを継いでいるとの話もあり、ややこしいことこの上なし・・・。
実は、近江並ではないにしても、野上も車籍は結構複雑なのです。

なお、同様の改造を受けていた23と異なり当車だけが車体振り替えになったのは、24はダブルルーフのままだったで車体が老朽化していたのが原因と言われています。まあ、のちに23も喫茶店の車体に振り替えようとしたのですが・・・。
e0030537_22451843.jpg
・野上電気鉄道 モハ24 1989年7月 日方

さて、余り語られることのない下回りですが、台車は、もと南海電2形(→附8形)用のブリル27-E1 1/2、主電動機はゼネラルエレクトリックのGE218-B(52kw)を1台車に一つづつ取り付けていました。この程度の軽い電車しか入線できなかったのですね。
そして、制御装置は、阪神中古の間接非自動式・MK-50で、GEのMコントロールを最後まで使用していたことになります。車体のみならず、その装備までクラシカルだったわけです。


※2014.6.26 画像を交換しました。
by hiro_hrkz | 2009-07-05 02:03 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
北陸鉄道浅野川線 モハ3563
昇圧前の北陸鉄道浅野川線の最晩年は、昭和30年代に製造された自社発注車で固められていましたが、その中にあって、唯一の戦前製が、温泉電軌(のちの北陸鉄道加南線 1971年までに廃線)出身のモハ3563でした。
いつもは内灘駅の奥に押し込められ、除雪のときだけ出動する感じでした。
ところが、昇圧を目前にして、離脱した車両に代わり、毎日動き回ったのです。
ある意味、奇跡的だったといえましょう。

それなのにこんな写真しか撮影していない自分のバカ・・・・。
e0030537_2355364.jpg
・北陸鉄道浅野川線 モハ3563 1996年10月 粟ヶ崎~蚊爪

温泉電軌は、1941年11月に発生した車庫火災により大半の車両を焼失しました。
その機器を流用するなどして、1942年に木南車両で新製(車籍は流用)された10両のうち一つ。
戦後、近畿車輛で鋼体化した1両が加わり、非常に複雑な変遷を経て残っていたのがこの1両。
なお、この一族については、山本宏之「温泉電軌車両史」(鉄道ピクトリアル701号 2001年5月増刊)に詳しく掲載されています。

昇圧に際し、ホームの改築・嵩上げ工事が行われたため、ステップが応急的に埋められています。
それにより客用扉の高さが不足したため、ドア上部がゼブラ塗りになっています。
台車は、いつのまにか同社3000形の発生品である日本車両ND-7に履き替えていたようです。
e0030537_2395559.jpg

e0030537_2392075.jpg
・北陸鉄道浅野川線 モハ3563 1997年10月 内灘

その後、1996年12月に昇圧を実施し、もと京王帝都3000系に置き換えられますが、旧型車2両が1年だけ残存していました。その1両がモハ3563だったのは、なんとも強運といいますか。
緊急用とされていましたが、実際には、近代化補助と代替車両の入線時期の関係で、残さざるを得なかったのでしょう。

ところで、わが「神奈電」には、この車両を譲り受けて改造した・・という車両があるのですが、
なんだか設定が気に入らなくなってしまい、サイトのほうには載せていません・・・どうしたものか。
by hiro_hrkz | 2009-06-05 23:30 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(4)
ことでん 2009年5月
高松に行くとすれば、当然その目的は・・・・でして。
e0030537_1545626.jpg
・井戸駅に入線する120+500の2連。ここでの撮影は15m級2連が限界となった。

高松琴平電気鉄道(ことでん)の旧型電車特別走行に行ってまいりました。
・・・それは表向きの理由で、本当はうどん屋の女将に逢うことがいちばんの目的という話も・・。
なにはともあれ、17年連続の高松訪問です。
e0030537_202540.jpg
・水田駅附近の高架線を走行する旧型車。

今回の運転は120+500の2連。
現在、ことでんでは基本的に旧型車は臨時のスジを使って走らせるため、
長尾線で朝のあいだ数往復したあと、琴平線を1往復半するのが、ほぼお決まりとなっています。
e0030537_23842.jpg
ことでんの旧型車120、300、500は経産省の近代化産業遺産に認定されました。
これはそれを表すために、あらたに設けられたプレート類。
まだ、制度がはじまって3年程度で今後は未知数ですが、これら旧型電車や滝宮の駅舎などに
価値を感じてくれる人が増えれば、うれしいことですね。
http://www.kotoden.co.jp/publichtm/kotoden/new/2009/090225_heritage_of_industrial/index.htm
e0030537_282494.jpg
・琴平線の復路 一宮~空港通り にて。

余談ですが、雑誌「とれいん」で昨年8月号より連載された、Nゲージで作成したコトデンの記事が、今号で完結いたしました。
読者の皆様、ありがとうございました。そして編集部の皆様、おせわになりました。
また、雑誌「RM MODELS」には、新発売のTOMIXの16番、コトデン3000の改造記事が掲載されています。こちらもお読みいただければ幸いです。
どちらも大好きな500を使ったのは偶然です・・・。

次は、いよいよ最後の大物に着手しようと、構想を練っているところです。
by hiro_hrkz | 2009-05-30 02:16 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
伊豆箱根鉄道大雄山線 モハ151形モハ165
17m級旧型国電系の車輌各種を大量に譲り受けて使用していた伊豆箱根鉄道。
しかし、その魑魅魍魎の時代は私は聴くだけで、間に合ったのはコデと、このもと相模鉄道の車輌くらいでした。まあ、大雄山線は社型がぞろぞろいた昇圧前という、暗黒の魑魅魍魎があるんですが・・・。
e0030537_2343535.jpg
・伊豆箱根鉄道大雄山線 モハ165 1991年3月

相模鉄道は輸送量が急増した昭和30年代に、日立製作所製の高性能車と並行して、国鉄から17m級旧型国電17両を譲り受け、東急車輛で更新の上で使用しました。モハ2017~26・クハ2509~15が該当します。後々まで日立と東急の2社体制となるのは、この頃の名残なのでしょう。
種車は、もとモハ30、31、50とバラバラでしたが、車体は全て統一されたスタイルになりました。一見モハ31に見えますが、実際には窓の寸法や位置などはモハ30の見付に近い模様。この経緯から類推するに台枠だけを利用した車体新造車だったとも考えられます。なお、昭和20年代に入線した省線の戦災復旧車などのうち8両も東横車輌で同じスタイルに改められています。

このような大掛かりな改造を実施したにもかかわらず、時代の急激な変化は輸送力の更なる増強を求め、相鉄は2000系の下回りを流用して2100系を新造します。これにより抜け殻になった車輌の一部が、例によって西武所沢工場に引き取られ、1974~76年に伊豆箱根鉄道に9両(一部は自社大場工場で施工)、三岐鉄道に2両ほどがばら撒かれました。床下機器は、同じ戦前型国電がルーツの西武クモハ311形の部品を使って復元されているのは面白いところ。当時、中古電車の総合商社?だった西武ですが、自分のところの主力だった焼電の再生車はさっぱり売れず、旧型国電サイズの車輌が入線できるところでも、わざわざ他社の車輌を再生して納入したというのも、興味深い話ではあります。

伊豆箱根ではモハ161~166(偶数車は中間車)、クハ185~187として、大雄山線でMc-M-Tcの3連で使用しました。1996年秋に消滅しましたが、うち1両は今でも工事用車輌として残っているのはマニアとして嬉しい話ですね。
e0030537_34637.jpg
・伊豆箱根鉄道大雄山線 クハ185の車内 1991年3月

※2011.1.19 修正 2014.6.26 画像を交換しました。
by hiro_hrkz | 2009-04-18 03:06 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
山形交通三山線 モハ103
だいぶ前に書きましたが、学生時代の夏に山形交通三山線の廃線跡を歩いたことがあります。
真夏の炎天下の中をヘトヘトになりながらも、なんとか羽前高松~間沢の11.4kmを辿りました。

山形交通の廃線跡歩きの楽しみは、当時は各線沿線に保存車があったこと。
三山線の場合は、開業時に製造された電車が、旧睦合駅近くにある月山酒造株式会社(設楽酒造店 月山の酒造資料館)に残されています。
e0030537_253714.jpg
・山形交通三山線 モハ103(保存) 1994年8月 月山の酒造資料館(山形県西村山郡西川町)

1926年日本車両製の木造単車で、開業時にモハ101~103の3両が製造されました。
貨車牽引等を考慮したため、日本の単車としては主電動機の出力が48.5kw×2と大きめなのが特徴です。
モハ101と103は廃線まで残り、工事用もしくは終点の間沢駅構内で入替用として使用されました。
廃線後暫くしてから、ここに搬入されたようですが、その間に荒廃が進んでいたようで、
展示にあたり、相当の手入れを行ったことがわかります。
撮影時も大変美しい状態でした。雪の降る地方での屋外展示ですから、頭が下がります。

久しぶりに検索をかけてみたところ、今はこのアングルでの撮影はできなくなった模様ですが、相変わらず美しさを保っている模様。
今は山形自動車道が開通し、その西川インターチェンジの近くになったようです。
木造の田舎電車としては、羽後交通雄勝線デハ3、日ノ丸自動車法勝寺鉄道デハ203と共に現存する貴重な個体ですね。
e0030537_2222715.jpg
・羽前宮内駅跡にあった、変電所の跡。
 今は、どうなっているのでしょうか。
by hiro_hrkz | 2009-03-02 02:29 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
福島交通飯坂線 モハ1210・1211
これまでも何度か取り上げている、昇圧前の飯坂電車の車両。
今回のお題は、1200形の中でも最もオーソドックスな扉の間に13枚の窓がズラーっとならぶタイプです。

ここで1200形についておさらいしておくと
1) モハ1204・05 1948年手塚製作所製の12m車。 もとモハ104・105。
2) モハ1208    1950年日車東京製 狭窓の15m車 もとモハ108
3) モハ1209・10 1952年宇都宮車両製 同上 もとモハ109・110
4) モハ1211    1952年日本車両製 同上 もとモハ111
5) モハ1201~03 1955年日本車両製 広窓の15m車 1942年日車製の木造車モハ101~103を鋼体化。

以上9両で構成されます。最後まで残ったのは1202、1203、1209~1211の5両でした。
e0030537_23112942.jpg
e0030537_23114771.jpg
・福島交通飯坂線 モハ1210(上) モハ1211  1991年3月 桜水

上は宇都宮製の1210と日車製の1211。
似たような車両ですが、よく見ると前面の裾の形状や、乗務員室の窓の形状などには差が認められます。
また、客用窓のアルミサッシ化などの点でも差があったのですね。

この狭窓車のグループは、書類上は新製車でしたが下回りは、全て中古品。
新製時は1208~1210は日鉄自NT-28を、1211はブリル27MCB2(もと宮城電鉄)を履いていました。
また、1209・1210の台枠は富山地鉄から譲り受けたものを使ったとのこと。主電動機なども地鉄譲りのものがあり、これは同社の佐伯宗義社長がかつて福島電鉄の社長を勤めていたことによる縁があったからと言われています(※。

で、文献を見ると晩年までNT28であったとする記述が多いのですが・・・
e0030537_1425422.jpg
実際には、1210・11は住友製のKS33L?を履いていました。
これまたどこの中古品だったのでしょう。

このモハ1200は、中間にサハをはさんだ3連で朝ラッシュ時に動くのみで、日曜にたずねたこの日は当然ながら全部おねんね。
ちなみにこの頃の飯坂線は単線ながら朝ラッシュ時は10分ヘッドで運行していました。

※ 瀬古龍雄「35年前の東北私鉄」 鉄道ピクトリアル477号 (電気車研究会 1987年3月増刊)による。
by hiro_hrkz | 2009-01-17 01:49 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
弘南鉄道大鰐線 モハ3403・3404
関東型窓配置の元祖といわれているのが、目黒蒲田電鉄のデハ500形501~505、のちの東京急行電鉄デハ3400形3401~3405です。
1928年川崎車両製で、深い屋根などは川造型との共通項が感じられます。
しかし、一族6両の少数派ゆえなのか、大増備されたモハ510の影に隠れ、大変に目立たない形式ではあります。

3400は1974~1975年にかけて廃車になりましたが、このうち2両は、青森県の弘南鉄道に譲渡されました。同時に入線し、その後も大量導入される3600、そして現在の6000・7000など、もと東急車の先駆けとなります。
1975年12月に認可。当初は弘南線に配置、後に大鰐線に転属しました。
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・弘南鉄道大鰐線 モハ3403 1995年8月 津軽石川
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・弘南鉄道大鰐線 モハ3404 1995年8月 津軽大沢

画像は1995年の夏に撮影したもの。
モハ3403は既に解体待ちで津軽石川駅の側線に、もと西武のクハ1266と共に押し込められていました。前照灯は既に、前後ともに無くなっていました。
一方、モハ3404は津軽大沢駅に留置中、数年後の1998年に廃車・解体されました。

どちらも、弘南独特の前面貫通扉埋め込み(冬季の防寒策)で、少々不細工な感じになっているのは残念なところ。
貫通扉がある側の乗務員扉がノーヘッダーなのは、1984年に両運転台に改造されたためで、
日中の単行運転用でも使われたそうです。

※ 2017.6.5 画像を交換し、本文を若干修正しました。
by hiro_hrkz | 2008-11-18 00:22 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(0)
銚子電気鉄道 デハ701 の、とある時代
いま注目の電鉄の車両なので、詳細はあちこちのサイトに載っていると思いますので
(・・・いちおうこのブログでも取り上げています)、そのあたりは省略。
過去には、こんな姿だったこともある、ということで取り上げる次第。
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銚子電気鉄道 デハ701 1994年8月 仲ノ町

テレビ番組の企画とタイアップし、このような黄色地に蟹と男女の絵が描かれました。
たしか、恋人同士が云々かんぬん・・・ということで、シルバーシートならぬカップル専用席を作り、その前のつり革はハート型に変えられていました。

こんなお遊びが許されるのも銚子電鉄ならでは、と思いますが、犬吠駅は国籍不明になるは、電車の色は変わるは・・で、結局、個人的に、その後足が遠のいたは事実です。

のちに、笠上黒生駅付近で発生した衝突事故で前面を大破。
復旧の際に標準色に戻されています。
by hiro_hrkz | 2008-10-20 01:09 | 鉄道(旧形電車) | Trackback | Comments(8)