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カテゴリ:鉄道(近代形電車)( 100 )
西日本鉄道宮地岳線 モ320形326・327
部分廃線前の西鉄宮地岳線の電車から、本日はこの電車を。
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・西日本鉄道宮地岳線 モ326 1997年3月 貝塚

 300形は以前、303形・308形の前面非貫通車を取りあげたことがありますが、今回のお題はスタンディウィンドウの中間車、320形です。
 この車両については、まず1951年近畿車両製の大牟田線初代600形を説明しなくてはなりません。国鉄52形電車なみの流線形を持つ2扉車で、編成がMc-M-Tcの3連2本がありました。しかし1961年に編成を解除され、中間M車はロングシート化の上で300形と編成を組むことになりました。これが320形のモ324・325です。一方、先頭車はMcを電装解除の上で新造の中間電動車2両と編成を組んで1300形4連2本となります。このときに発生した台車・電装品等を流用して1961年に川崎車両で製造されたのが、このモ326・327です。従って、320形は機器は同一ですが車体が全く異なる2つのタイプが存在しました。
 なお、326・327の窓配置は京王2700、小田急2200等の新関東型と同じですが、車体長はそれらよりも若干長めの18000mm(最大長18500mm)、車体幅は最大2740mmです。

 その後、300形は改軌の上で2回にわけて宮地岳線に順次転属しますが、2扉の324・325は対象から外れ大牟田線で終焉を迎えます。同じく元600形の1300形は3扉化・冷房改造共に不可能ということで廃車になっているので、これは仕方がなかったのでしょう。
 一方326、327は1986年6月で宮地岳線に転入。国鉄DT14・TR47と同系の新扶桑FS-8台車に三菱の主電動機MB-249-AFR(出力82kw×4)から、釣合梁式の国鉄TR22台車に国鉄MT15-Cになります。なおMT-15は国鉄でのスペックは端子電圧675V・出力100kwですが、西鉄では104kwにしていたようです。理由は不明。主制御器は三菱ABFのまま変わっていません。
 転入した年の10月にはワンマン化、そして1989年には冷房化改造(8500kcal/hの冷房機を3台搭載)が行われています。300形はいくら車体更新したとはいえ運輸省規格型を冷改したあたりに、非常に唖然としたのを思い出しますが、その中でこの2両は全金属製の車体を持つので違和感がありませんでし・・・今見ると、スタンディーウィンドウと冷房機の組み合わせは若干アンバランスな感もしますが。
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・西日本鉄道宮地岳線 モ327 1998年9月 香椎花園

 さらに1993年にはモ327は西武701系の廃車発生品を使って、台車はFS-342(国鉄DT21)、主電動機はHS-836Frb(国鉄MT54)、制御器は日立HT-20Aに変更。津屋崎側先頭車のモ307と2両ユニットの電動車構成となりました。ただし、ブレーキは終始自動ブレーキのAMAでした。

・参考文献
出口 正則・諸岡 雅宏「私鉄車両めぐり162 西日本鉄道」 鉄道ピクトリアル688号(1999年4月増)慶応義塾大学鉄道研究会『私鉄電車のアルバム 1』 交友社 1980年
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by hiro_hrkz | 2018-12-01 23:51 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
相模鉄道 新6000系
 相模鉄道の高性能車の機構的な変遷は、少々独特の展開であったと感じます。

 まず、1955~1960年に高性能車5000系を投入します。車体・電装ともに日立製作所製の17~18m級の3扉車で、全電動車・2両ユニット(1C8M)の制御方式を採用しました。主電動機(日立HS-509またはHS-510)は端子電圧375V・出力65または75kw、ブレーキは発電制動付きの日立式電磁直通式という内容です。これは、ブレーキを除けば当時の私鉄各社が導入した高性能車では標準的な仕様と言えるでしょう。
 1961年になると、急増する輸送量に応えるため、20m級4扉車の6000系が登場します。この頃になると私鉄各社は高性能車でも経済性を重視し、編成内のM車の数を減らすようになります。それは相鉄でも例外ではありませんが、特徴的なのは単に主電動機の出力を上げてMT比を1:1にするのみならず、2両ユニットを捨てて1両単位(1C4M)の制御方式を採用したことでしょう。すなわち、主電動機(日立HS-514)は端子電圧750V・出力110kwとなります。また、発電制動は省略されます。これは、平坦線ゆえのコストカット方式であるだけではなく、日立式の電磁直通ブレーキは一般的なHSCと異なり空制と電制の連携が複雑化したことも理由かと思います(逆に言うと、発電制動を省略したことで1C4Mで直並列制御を採用できたと言える)。

 そして、1970年に6000系はいわゆる「新6000系」と呼ばれるタイプにモデルチェンジします。これが本日のメインのお題です。
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・相模鉄道 クハ6705 2003年8月 上星川

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・相模鉄道 モハ6306 2003年8月 上星川

 実質的には従来の6000系と全く違う車両になります。外観では、車体幅が2800mmから2930mmに広がり、前面の高運転台でヘッドライトが窓下にある形状になりました。窓配置も運転台付き車両を基準とした前後で非対称のものから、一般的な前後で対称なものに変わっています。
 機器類も大きく変わっています。編成の長大化が現実になったためか、再び制御方式は1C8Mとなり、主電動機(日立HS-515)は端子電圧375V・出力130kwに増強されています。モハの車輪径は一般的な860mmから国鉄103系などと同じ910mmに、そして歯車比も5.44から4.9に小さくなっています。
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・モハ6300形の台車 KH-59B ディスクブレーキが目につくが、パイオニア台車と違い、ウィングばね式の軸ばねと、上下揺れ枕式で枕ばねがエアサスというオーソドックスな機構である

 ただし発電制動は復活せず、これは抵抗制御方式を止めるまで変わりませんでした(機器流用車を除く)。また他社ではすぐに廃れた直角カルダンドライブを1990年代中頃まで採用し続け、6000系の途中からはじまった台車の外側につけられたディスクブレーキとともに、相鉄の電車は私鉄電車界のガラパゴス的な存在となります。ともあれ新6000系の装備でひとまず完成形となったようで、後継車のアルミカー・7000系でも機器類の構成はほぼ踏襲されました。

 さて、相鉄新6000系は1974年までに70両が製造されましたが、実に様々な塗装があったことが印象に残る車両であったとも思います・・・最も、相鉄は電車の塗装をコロコロと変えておりなかなか印象が定まらなかったのも事実ですが。
引退間近の2003年8月に撮影したものを並べてみます。
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・相模鉄道 クハ6717(上)、クハ6541 2003年8月 上星川
 柳原良平氏によるイラストの「緑園都市号」 1987年から運行
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・相模鉄道 クハ6713(上)、クハ6542 2003年8月 上星川
 池田満寿夫氏によるイラストの「アートギャラリー号」 1989年から運行
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・相模鉄道 クハ6707 2003年9月 星川
 引退記念に旧塗装に復刻されたもの。既に運用から外れ、星川駅の側線に留置中の時の撮影。

・参考文献
高島 修一「私鉄車両めぐり163 相模鉄道」 鉄道ピクトリアル672号(1999年7月増)
三沢 孝・田口 博「私鉄車両めぐり107 相模鉄道」 鉄道ピクトリアル320号(1976年5月)
相模鉄道技術部車輌科「相模鉄道 300両突破~相鉄電車1980ナウ~」 鉄道ファン235号(1980年11月)
 
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by hiro_hrkz | 2018-09-12 01:42 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
近畿日本鉄道名古屋線 1600系
 近鉄の主要線区(奈良、大阪、名古屋、南大阪)では、1955年の奈良線800系を皮切りに、各線にWNドライブの電車が投入されてゆきます(試作要素の強い1450系は除く)。その中で名古屋線だけは、若干遅れて1959年12月の伊勢湾台風復旧および改軌完了時に投入された1600系が第一陣となりました。これは改軌計画があったため新しい駆動方式の車両投入をためらっていたというのが実情でしょうか。
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・近畿日本鉄道名古屋線 モ1612 1993年3月 近鉄富田

 近鉄の戦後の電車は、1957年に登場の大阪線1460形で20m車体に屋根肩のRが大きい断面を持つスタイルが確立されますが、この車両は、スイス譲りの一段下降窓ではあるものの3扉車でした。しかし、同年に登場した南大阪線6800系(ラビットカー)では4扉車となり、以降はこちらが標準となります。
 従って名古屋線の1600系も20m車体・4扉で登場しました。なお、名古屋線は1956年の四日市付近の急カーブ解消で、20m車の運用が可能となっていました。

 主電動機は近鉄の各車に搭載された三菱のMB-3020系ですが、その中でもこの車両は10100系(ビスタII世)と同じMB-3020D(端子電圧340V・125kw)です。また制御器は日立製のVMC-HTB10-Cで、バーニヤ制御を日本国内ではじめて本格採用しました。ブレーキは発電制動付き電磁直通制動(HSC-D)です。

 さて、1600系は登場時は、制御電動車のモ1600形と制御車のク1600形の2連で、電動車が奇数・制御車が偶数となっていました(モ1601~ク1618の9編成18両)。しかし、1963年度の増備車は末尾が編成単位で揃い、編成は2連の他に制御電動車をもう1両加えた3連が登場します。制御車はク1700形に形式変更(1710~1715)、制御電動車はモ1610~1615とモ1651~1655でした。これに合わせて、従来の車両も改番が実施されモ1601~1609(順不同)と、ク1701~1709となります。
最終的には1966年までにモ1601~1615、モ1651~1659、ク1701~1715、ク1751~1752(貫通路が狭幅)の41両および大阪線ク1581~1583を編入した1781~1783の3両が揃います。

 その後、1973年にク1781~1783は付随車のサ1781~1783に改造。モ1601~1603は中間電動車に改造されました。
さらにモ1651~1654は増結用として京都線に転出し、のちに電動貨車等に転用されています。
冷房改造は名古屋線残留の1963年度製以降の車両にのみ1982年以降に実施され、方向幕もこの頃に取り付けられています。
その後、10両が養老線に転用され600系の一部となったほかは、1997年までに廃車されています。

・参考文献
藤井信夫「私鉄車両めぐり[119] 近畿日本鉄道」鉄道ピクトリアル398号(1981年12月増) 電気車研究会
三好好三『近鉄電車』JTBパブリッシング 2016年


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by hiro_hrkz | 2018-06-03 01:37 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
高松琴平電気鉄道琴平線 1050形
かつて、様々な場所から電車を集めていたコトデン。
同社にもと阪神電鉄のジェットカー試作車の5001・5002が1051・1052として入線したのは、1977年のことでした。
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・高松琴平電気鉄道琴平線 1051+1052 1997年3月 仏生山
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・高松琴平電気鉄道琴平線 1052+1051(後ろは1015+1016) 1997年3月 仏生山

1958年、日本車両(5001→1051)、川崎車両(5002→1052)製。当時車齢19年ですから、よい物件だったのかもしれませんが、試作要素が強いものによく手を出したものだと思います。

最も購入したのは車体のみ。当時の瓦町駅は急カーブ上にホームがあり、その安全対策のため武庫川車両の手で2扉に改造されました。下回りは当時のコトデンの定番であるHL制御・電磁SME制動となり、台車と主電動機は京浜急行230形の発生品である汽車製造2HE、三菱MB-115AF(93.3kw)×4となっています。
これは、琴平線の中型車向けに大量に購入され、1020形(1035を除く)・1060形・1010形・1013形に使用され、同線の主電動機・台車の統一に大きく貢献しました。

なお230形といえば、1050形と同じ1977年から1979年にかけて長尾・志度線の(3代目)30形となっていますが、こちらにはもと阪神881形の2代目30形の台車・主電動機を取り付けています。この2代目30形の台車・主電動機も車両数以上に購入されコトデンの機器統一に貢献しています。実は、車体よりも床下機器のほうの統一がコトデンでは進んでいたのですね。

この後、阪神ではジェットカー量産車の5101・5201形合計30両の廃車が続きますが、1981年に2両が1060形となっただけで終わりました(ほかに2両が京福福井に譲渡)。長尾・志度線の車両増備・統一が急務だったためでしょうが、その後、5231形(→コトデン1053形1053+1054)の購入時に種車が尽きて2編成目が実現しなかったことを思うと、車両の譲渡というのはタイミングが合わないとなんとも難しいものであると感じるところです。

1051・1052は、その後、1984年に台車・主電動機を取り換えてWNドライブ化されます。
台車は枕ばねがインダイレクトマウント式でコイルバネ、軸ばねが緩衝ゴム式の住友FS-526(制御者はFS-026) で、主電動機は三菱MB-3239A(110kw×4)となっています。

2003年3月、1200形の入線に伴い、廃車となりました。

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by hiro_hrkz | 2018-03-11 01:43 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
北陸鉄道浅野川線 モハ3011・モハ3301
北陸鉄道が昭和30年代に日本車輌で製造した15m級電車については何度か取り上げてきましたが、
今回のお題は、1958年(昭和33年)製のモハ3011とモハ3301です。

その前に、ここで一度これら15m級車の全容を再確認しておきます。
 最初に登場したのが、1956年製のサハ1000形1001・1002。両端とも丸妻・非貫通の附随車で、1966年5月に電装・貫通路取り付けが行われてモハ3730形3731・3732となります。配置は終始、石川総線でした。
続いて1957年8月製のモハ3201、クハ1001が製造され加南線に配置されます。モハ3201は両運転台で片側が非貫通の丸妻・もう一方が貫通の平妻。クハ1001は片運転台で、運転台がある側は丸妻の非貫通、連結面が平妻となります。
ここまでの4両はウィンドウシル・ヘッダーつきの外観です。
 1958年は11月にモハ3011が、12月にモハ3301が製造され、それぞれが石川総線と金石線に配置されます。
どちらも片側が非貫通の丸妻・もう一方が貫通の平妻なのは3201と同じですが、カーブの曲率や屋根の深さ等が変更されて浅くなり、またドアが開く方向が車体中央向きとなりました。詳細は後程。
そして、1961年8月にモハ3501が、1962年7月にモハ3551が製造され、浅野川線に配置されます。
こちらはどちらも平妻の貫通路付となりました。
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・北陸鉄道浅野川線 モハ3301 1990年8月 内灘
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・北陸鉄道浅野川線 モハ3301+モハ3501 1996年10月 粟ヶ崎
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・北陸鉄道浅野川線 モハ3011 1996年10月 内灘
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・北陸鉄道浅野川線 モハ3011 1994年9月 内灘

モハ3011は車体寸法が幅2600×長14650×3495mmで、窓幅850mm・扉幅1100mmというのはモハ3501等と同じで、15m級車の基本的な寸法です。これに対してモハ3301は窓一つ分短く、最大長が3011の15600mmに対して、15000mmと短くなっています・・・窓の寸法と合わない気がしますが、3301だけ違っていたのでしょうか。これは金石線が軌道線であったため2両連結にした際に軌道法での編成長上限である30mを超えないようにするため・・・と言われています。
 集電装置は、3011はZパンタ(「日車の図面集」による)、3301はポールと異なっていました。台車は上下揺れ枕式で枕バネがコイルバネ+オイルダンパ―、軸バネがウィングばねの日車ND-4Bで、これは3201、1001、3501と同系です。軸受けがコロではなくプレーンですね。

3301は1964年に金石線から加南線に転属。一方3011は石川総線から金石線に転属します。
ここで3301が600mm短かったことは一体なんなのか?と思うわけです・・・同線で編成を組んでいたモハ3000形は全長14820mmですから。なお、3011はモーターを外し制御車代用となっています。

1969年に3301が、1970年には3011が再電装の上で浅野川線に転属します。
このときに非貫通側にも貫通路を取り付けています。また、前面窓はサッシからHゴム支持に変わった模様です。
それぞれパンタグラフがある側がもと非貫通側で、よく見るとこちらは丸みを帯びているのに対し、非パンタ側は平妻であることが上の写真でもお分かりいただけるかと思います。
なお、両車でパンタグラフのある向きが逆となっています。

主要機器は3301は新品で、主電動機が日車NE-40(40.5kw)×4、主制御器が日車の電動カム軸式・自動加速のNCAです。一方3011は、モハ3051(→クハ1101)から外した日車NE-4B(出力不肖)と日立の電動カム軸式・MMC-L5を使用しています。時期的に1952年のモハ3051の鋼体化の際に取り付けたものでしょうか?
一方、モハ3011の再電装後は三菱MB-172R(37.3kw)×4ですが、これは本来なら路面電車用で金沢市内線あたりから転用したものかと邪推するところです。また、制御装置は3011、3301ともに浅野川線転属の頃に手動加速式のHL-74に変更しています。

さて、上の写真は、1990年以降に撮影したもの。
従って、本来埋め込み式のヘッドライトが単独のシールドビームとなり、また、戸袋以外の客用窓がアルミサッシに取り換えられて天地寸法が小さくなるなど、全般的に不格好(失礼)になっていた時期です。この中でも3301は廃車まで鋼製で側面のチグハグ感がありませんでした。

1996年撮影の2枚は、既に車両置き換えを目前とした頃で、ホームの扛上が行われてステップを暫定的に埋めた状態になっています。また、3011は内灘町のPR塗装となっていました。この車両は代替となる京王帝都3000系のうち1編成だけ入線が1年遅く、補助金の都合があったのか、昇圧後もしばらくは籍があり内灘に留置されていました。

・参考文献 
西脇恵「私鉄車両めぐり77 北陸鉄道[2] 」 鉄道ピクトリアル216号(1968 年11月)
西脇恵「私鉄車両めぐり77 北陸鉄道[終] 」 鉄道ピクトリアル218号(1968 年12月)
西脇恵「北陸鉄道」 鉄道ピクトリアル461号(1986年3月増)、
山本宏之「100周年を迎えた北陸鉄道石川線 1」 鉄道ピクトリアル918号(2016年6月)

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by hiro_hrkz | 2017-12-03 23:19 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
伊予鉄道 600形
伊予鉄道の鉄道線の電車は、1967年の横河原線電化で西武鉄道から川造形を購入するまでは、全て自社発注車でした。しかし、昭和30年代に投入されたのは600形1編成2両のみ。このあたりはコンスタントに新車が投入された市内電車とは対照的です。それは当時の車両構成を考えれば当然なのですが。

ともあれ、この600形は1958年ナニワ工機製。
自社発注車で唯一の張殻構造の車体を持つ新性能車でした。
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・伊予鉄道 モハ601 1990年8月 古町
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・伊予鉄道 モハ602 上:1993年8月 下:1996年10月 古町

車体寸法は長さ18000×幅2600mm(最大寸法は18800×2700mm)。私鉄中型車としては車体が細い一方で長いといえますね。
中央運転台で、前面は中央の窓が幅広の3枚窓構成。同じ時期にナニワ工機が作った地方私鉄向けの電車に当時の流行のせいか2枚窓(例1例2)が多いことを考えると特異な点です。これは伊予鉄が運転台の位置に拘ったゆえと思いますが、前面の見付けは、同時期に同じメーカーでつくられた路面電車との共通点を感じるところです。
客用扉の幅は1000mmと狭めで、落成当初はステップつき。また、連結面は幅広貫通路である一方、窓はありませんでした。

電気機器類は、それまでの伊予鉄の電車と同じく三菱製。従って、制御器は単位スイッチ式間接自動のABF-104-6ED、主電動機はMB-3032-C(端子電圧300V・定格出力75kw)を1両に2機搭載し、2両でMM´ユニット方式(1C4Mで直並列制御)となっています。制動方式は、発電制動・中継弁つき自動空気ブレーキ(AMAR-D)で、これも自動ブレーキの在来車との共通性を考えての選択でしょう。
台車は、軸バネがウィングバネ・枕バネが上下揺れ枕式でコイルばねの日車ND-104となっています。国鉄DT21に類似していますが、台車枠の側面に丸い穴が開いているの点に、この時期の日車製台車(例・NA-4)の特徴が表れていますね。
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さて、2両編成で落成した600形ですが、やがて伊予鉄は関東の私鉄から大量の車両を購入し3両編成が標準となっていきます。在来車も3連となりますが、その中で600形は併結できる車両がなく次第に運用しにくい存在になっていたようです。
そんな状況の中、1979年に長野電鉄から車両を購入・改造して3両固定編成となりました。
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・伊予鉄道 モハ603 1993年8月 古町

伊予鉄モハ603となったのは、もと長野電鉄1100形。木造車(モハ1、クハ61、クハ51 いずれももと信濃鉄道→国鉄)の機器を流用して1961年に日本車輛で3両が製造されました。長野市中心部の地下化に伴い廃車となり、モハ1101とクハ1151が豊橋鉄道に譲渡されモ1811+ク2811に、モハ1102が伊予鉄に譲渡されました。
車体の長さは600形と同じ18000mm(最大長1880mm)ですが、車体幅は100mm広い2700mm(最大2744mm)。前面はもともと貫通路付でしたが、改造されて601と同じようになっています。これは3両化にあたり運転台を撤去した602から移植したものなのか気になるところです。

機器類も、もとが釣り合い梁台車+吊り掛け駆動・HL制御・直通制動であったため、根こそぎ交換されています。
これには1977年に機器を交換したモハ303・304と共通するものが使われています。すなわち、制御装置は電動カム軸式の三菱ABFM-104-75MDA、主電動機は三菱MB-3054-D2(端子電圧375V・75kw)を4基搭載し、やはり1C4M制御となっています。制動装置は601・602に合わせてAR-D。台車はダイレクトマウント式で枕バネがコイルバネという住友FS504を履いてます。

なお、モハ602は運転台を撤去していますが、それだけにとどまらず、従来からの連結面と同様の切妻構造に変更しており、こちらもそれなりに大きな改造となっています。

それにしても、既に3扉が主力となっている状況での2扉車の購入、そして下回りの全面交換と前面の大改造などという大手術をしてよく導入したものだと思います。当時、大手私鉄でもこんな新しい車両は、まず放出されておらず(・・京成が他社に譲渡していれば別だったのでしょうが)、良好な案件ではあったのでしょう。

鉄道線用では600以来の自社発注となる610形に置き換えられ、1995年に廃車。
603は直ぐに解体されましたが、残る2両は保存する意図があったのか、その後も長い間、古町駅構内に留め置かれていました。

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by hiro_hrkz | 2017-09-10 00:57 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
弘南鉄道 3600形(全金属車)
弘南鉄道は、現在弘南・大鰐の両線ともに、旅客車はもと東京急行の電車がすべてを占めています。
現在の主力はオールステンレスカーの7000ですが、東急から弘南にはじめて車両が譲渡されたのは1975年のこと。
もと戦災省電の3600形で、番号もそのままに弘南で使われ始めました。
その直前に弘南線では、もと旧型国電を増備していたことを考えると、車体の大きさは納得のいく選択であります。

東急3600は、デハ3600(3601~3616)、クハ3670(3671~3679)、クハ3770(3771~3782)の3形式計37両からなるグループ。うち、デハ3601、3602、3607、3608、クハ3671~3675、クハ3771~3775の14両が、戦災車の鋼体を叩きなおしたもので、残り23両が戦災車の台枠を流用して車体を新造したものでした(以下、台枠流用車と表現)。前者は、クハ3771を除き、1960~1966年に東横車両製の全金属車体に交換されています(以下、全金属車と表現)。
定山渓鉄道に譲渡したモハ3両を除き、まず台枠流用車が1971~1975年に廃車、全金属車も1980~1982年に廃車になりました。

弘南には1975~1976年に台枠流用車のモハ4両、クハ6両が入線。続いて、全金属車が1980~1981年にやはりモハ4両、クハ6両入線し、合計20両の一大勢力となりました。
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・弘南鉄道弘南線 モハ3601 1995年8月 黒石
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・弘南鉄道弘南線 クハ3675 1995年8月 黒石
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・弘南鉄道弘南線 モハ3608 1995年8月 平賀
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・弘南鉄道弘南線 クハ3672 1997年8月 平賀

今回取り上げるのは、全金属車体のグループ。
1960年代に車体を新造した東急3000番台車の共通仕様で、スッキリした車体が持ち味です。
とはいえ、寒冷地を走る弘南鉄道でらしい改造も各所に施されています。

外観上でいちばん目につくのは、モハの貫通扉が塞がれたこと。
これは、弘南の他の車両でも見られますが、隙間風対策です。この改造で、どうも不細工になったものが多いのですが、この全金属車は綺麗な見た目をしていると思います。

また、客用扉は半自動式になり、手動開閉用の取っ手が取り付けられました。そして、片側の側面に3ヵ所、縦方向の雨どいが新設さてています。これで、側面が少々ゴツくなったようにも感じます。
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台車は、全車両が国鉄TR-11系で、日車や川車の釣り合い梁台車を多用していた東急の電車の中では、一番目につく差であったように思います。

線形が平坦な弘南線では、1M2Tの3両編成で使用されるのが基本で、3600もモハ+クハ+クハで組成され、朝ラッシュ時は2編成つなげた6連でも使用されました。一方で、後に昼間は乗客の減少から、Tを切り離して1M1Tの2連で走るようになります。

3600は、東急の3000番台車の中では、ずば抜けて高出力の主電動機、日立HS-269-Cr(定格出力142kw・・他に東武78系→5000系がこの系統の主電動機を使用)を搭載しており、こうした使用条件に合致していました。
それにしても、もともと3600が装備していた国鉄の100kw主電動機(MT-7、MT-10等)から、昭和40年代になぜこんな高出力なものに交換したのか興味があります。東急3000番台の主流・・すなわち3450、3500、3650は出力94kwの日立HS-267-*rを使用していたのですから・・・余談ですが、運輸省規格型の3700や、2両だけ製造された3800は出力110kwの東洋TDK-528-9Hを使用していました。

制御器は、戦後の東急3000番台の標準である、日立の電動カム軸・多段式のMMC-H-10系を登載しており、これも昭和40年ごろまでに交換されたもの。弘南線は電動車がすべて当形式になったため、自動的に日立MMCで統一。弘南線に残存した旧型国電2両と、もと阪和→国電→松尾の2両(いずれも制御車)は、従来のCS系からMMCに合うように手を加えられました・・・・といいたいところですが、これまた疑問が。

というのも、東急3000番台車のマスコンは国鉄MC1。当然、もと旧型国電の各車両とは同じはずです。
そもそも、東急3000番台でも3400あるいは、それより古くに廃車になった3200あたりは、制御器が旧型国電の標準である国鉄CS-5を使用していました。
はたして、一部文献(たとえば鉄道ジャーナル1981年8月号「ある戦前派ベテラン電車の半世紀」)で見られる4両を東急3600に合わせる工事とは、どのようなことだったのか・・・。

私が弘南鉄道を最初に訪れたのは1994年2月。
このとき、既に7000系への置き換えが一段落しており、3600は3編成しかありませんでした。
上の写真のうち、モハ3608は平賀構内で入替中のところで、この年の10月には廃車。
最後まで残ったのはモハ3601-クハ3773-クハ3672で、廃車は1999年でした。

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by hiro_hrkz | 2017-06-07 02:25 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
長野電鉄 0系「OSカー」
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・長野電鉄 クハ51 1994年3月 朝陽

OSというと、現代ならオペレーティングシステムというのが一般的なところですが、
やはり鉄道マニアとして思い出すのは、「Officemen & Students Car」であると思います。
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・長野電鉄 モハ1 1999年9月
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・長野電鉄 クハ51 1999年9月 須坂
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・長野電鉄 モハ2 1997年2月 須坂
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・長野電鉄 クハ52 1994年3月 朝陽

改めて説明するまでもない電車ですね。
長野電鉄0系電車は、1966年日本車輌で2連2編成が製造されました。
ローカル私鉄の自社発注車では大変珍しい20m級4扉車です。しかも朝には2本つなげて4連で使用したというのは、登場時は特にインパクトの強い話だったはずです。なにせ、20m級(以上)で4扉両開きは、当時の私鉄では、東武8000、小田急2600、相鉄6000、近鉄通勤車、および営団5000系しか存在していませんでした。そして車両形式の「0系」というのも、より印象的なものにしたことでしょう。

車体も鋼製ながら前面に強化プラスチックを使用しており、複雑な造形・・たとえば、運転席窓回りは傾斜がつけられ、前面方向幕上部がその両側よりも凹んでいる・・・も、当時としては斬新なものだったと思います。側面の方向幕も、まだ大手私鉄でも実用化されていなかった時代につけたことになります。こういうった点は、メーカーとして、実験的な部分もあったのではないかと推測されるところです。

電気機器類は、長野電鉄の伝統に従い三菱電機製で揃えられており、制御器はABFM、主電動機は135kw×4でWNドライブとなっています。日本国内で狭軌用のWNドライブが初採用されてから約10年で、随分と高出力になったことがわかります。ただし、それでも外形寸法が大きい為か車輪径がモハが910mm、クハが860mmと異なったものになったようです。
 この主電動機の出力は、40‰勾配が連続する山之内線で使用し、かつMT編成としたためですが、一方で在来車には多く装備されていた抑速制動もしくは発電制動はありませんでした。主電動機の熱容量といった技術的な理由なのかどうかはわかりませんが、このことは引退間近の頃の鉄道誌を読むと、この電車の寿命を縮めることに繋がったようです。
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台車は日車NA-18。
インダイレクトマウント式で枕ばねはコイルバネかつオイルダンパ付き、軸バネはペデスタル式となっています。

長野オリンピックを目前にした1997年に廃車。
うち、モハ1+クハ51は暫くの間、須坂駅に留置されていました。1999年の写真はそのときのもので、方向幕が「特急」になっているのはご愛嬌です。
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そして、自分が作った模型と並べて1枚ほど。今では鉄コレがありますが、そんなものの影も形も無かった当時。
側面はGMの西武451系を片側4か所の切り継ぎと戸袋窓を埋めて作り、前面は同じく京成3500系キット附属の京成3150用を改造、そして、台車はDT-20を履かせてあります。
「長野オリンピックを記念して~」と言いながらの大改造でしたが、あれからもう19年も流れているんだなあ・・・と、ふと思ったところです。

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by hiro_hrkz | 2017-03-10 01:10 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
福島交通飯坂線 サハ3000形
福島交通が、昭和30~40年代に日車に自社発注した飯坂線向けの車両は、過去に連節車のデハ5012+5013と、2両固定のモハ5114+クハ5215について取り上げましたが、本日は下2桁の番号順でその次の車両がお題です。
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・福島交通飯坂線 サハ3016 1991年3月 桜水

モハ5114+クハ5215と同じく1966年に製造されたのが、附随車のサハ3000形3016、3017の2両。
ローカル電鉄が附随車を自社発注した事例は珍しいものです。
しかも、両端に貫通扉付で固定編成の中間に入ることを意図したと思える設計なのに、
実際には在来車で15m級のモハ1200形に挟まれて使用されていました。
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・福島交通飯坂線 モハ1202+サハ3016+モハ1211 1991年3月 桜水

当初より在来車に挟むつもりだったのか、それとも3両編成新造の計画があって先行して登場したのかは、今となってはわかりません。この車両が、それよりも小さく外観も全く異なる電動車にサンドイッチされた編成は、飯坂電車の名物ともいえるものでした。

車体はクハ5215の運転台をなくした形状で、最大寸法(長×幅×高)も全く同じ18700×2866×3886mm。
台車も同じペデスタル式の軸箱保持のNA-19Tでした。
車体はこれといった特徴もありませんが、福島駅側の連結面のうち、片側にしか窓がないのは、その部分の室内に配電盤が設置されていたためです。

昇圧後、サハ3017の車体が桜水駅構内で倉庫として使われていました。
当初は、塗装もそのままでしたが、後に窓ガラスを含めて茶色一色に塗りつぶされました。
そして、今年秋、東急から1000形電車を導入するのに伴い、その搬入スペース等を確保するために解体されたようです。
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・1997年3月 桜水



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by hiro_hrkz | 2016-12-11 01:15 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
広島電鉄宮島線 1090形1094
広島カープが25年ぶりに優勝しましたね。
おめでとうございます。

ということで、今回は、24年前の広島のネタから一つ。
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・広島電鉄宮島線 1094 1992年3月 荒手車庫

広島電鉄宮島線は、かつては線内専用の高床車を走らせていましたが、これの最終運用は、それこそ25年前・・・1991年8月のことでした。私はわずかに間に合わず、荒手車庫に留置されていた1090形1094を遠くから見るだけでした。

1090形は、もともとは京阪電鉄の木造車200形229・230と100形109・111で、大戦中の合併で阪急となっていた1947年に広島電鉄に譲渡され1050形1051~1054になりました。その後、1953年にナニワ工機で車体を新造。前面2枚窓で側面はスタンディウィンドウというスタイルは、その後、同社で作られた栗原電鉄M15形などに受け継がれていると思います。
前面上部の通風孔と路面電車のような扉配置に特徴がありました。

主電動機はいずれも東洋電機の50馬力・TDK-9C(出力37.3kw)×4でした。が、制御器はそもそも100形の制御器を交換して総括制御可能になったものが200形ということもあり、もと200形の1051~1052が日立の電空カム軸式・自動進段のPR-100なのに対し、もと100形の1053~1054はイングリッシュエレクトリックの直接式・Q2Dと異なっており、こちらは鋼体化時に同じEE製の電動カム軸式 M15-Aに交換しています。台車はブリル27E1でした。

さて、時は流れて1979年、1053・1054を改造して2両固定編成に改造。このときに下回りは交換され、制御器は東洋電機の電動カム軸式・ES-762A、台車はボールドウィン78-25-AA、主電動機は東芝SE-180(出力90kw)×4になっています。
これらは、阪急電鉄の電動貨車4200形が1967~1969年の神宝線昇圧に際して交換した機器である模様・・・4207が1977年、4209が1979年に廃車になっているので時期的にも合致します。
車体は前面の通風孔を埋めて大型方向幕を設置、車掌台は引違い窓に改装されています。

1053・1054は1982年に1091・1092に改番。1980年に一旦廃車になった1051・1052も、この年に1053・1054と同様の改造を経て、1093・1094として復活しています。
そして、1984年に路面電車と同じ手法で三菱製の冷房機を登載、ただし能力は若干高いCU-77NH(26000kcal/h)となっています。

廃車は1053・1054が1990年、1051・1052が1991年で、冷房機は当時製造中だった3900形に転用されています。
上の写真で屋上がスッカラカンなのはそのため。
その後、2002年に米国のトロリーミュージアムに台車を譲渡するために、解体されました。
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・1995年8月 荒手車庫


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by hiro_hrkz | 2016-09-11 18:27 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)