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函館バス 三菱ふそうP-MP618K・P-MP618M +三菱
函館バスのエアロスターMから、
中距離線向けの車両を3題ほど。
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・函館バス 三菱ふそうP-MP618K +三菱 2003年9月 北海道函館市
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・函館バス 三菱ふそうP-MP618K +三菱 2003年9月 北海道桧山郡江差町

まずはもと東急バスの車両から。どちらも1987年式で、目黒営業所の「東急バス新交通システム」用(いわゆる都市新バス)として投入されたもの。ほかには美鉄バス、上電バスへの移籍例があります。同年式は4台あり、いずれも中距離線用となりました。

もとよりエアサスでハイバックシートという装備でしたが、座席は貸切車用のものに交換し、さらにグレードを上げています。その中でも江差に配置されていた社番3357(函館200か20)は、中扉も埋めてトップドア車になっていました。扉を埋めた場所は、窓回りが黒く塗られているためあまり目立ちませんが、窓が上半分ありません。果たして、車内から見たらどのようになっていたのやら。

さて、函館バスは2001年より函館市交通局から順次路線が委譲され、あわせて車両も移管されました。
これらもと函館市営の車両は、当然ながらもと函館市営の路線を走る例が大半だったわけですが、中には中距離線に転じたものがありました。
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・函館バス 三菱ふそうP-MP618M +三菱 2003年9月 北海道函館市

画像は1990年式のエアロスターM。
車内はやはり座席を貸切タイプに載せ替えていますが、前中引戸で2段窓というありふれた仕様の路線車がベースというこちらのほうが、車両の経歴を含めてインパクトがあるものでした。

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by hiro_hrkz | 2018-03-31 01:36 | バス(三菱/呉羽) | Trackback | Comments(0)
佐久鉄道 キホハニ56
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戦前の私鉄の発注車というと、高速電車についてはだいぶ減ったものの各地で保存車を見ることができます。
しかし、一方で気動車となると、その寿命が電車に比べて短いこともあり非常に少なくなります。
客車化・電車化されたものを含めても、全国に15両程度ではないでしょうか。
その中で、戦前の姿に復した事例が長野県佐久市の中込学校に保存されている、佐久鉄道(現在のJR小海線小諸~小海)のキホハニ56です。

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佐久鉄道が1930年に日本車輌本店で製造したガソリンカーがキホハニ51~56で、手荷物合造車でした。翌年には手荷物室のないキハ57、58を増備しています。日車本店が手掛けたサブロク向けの気動車としては、初期のボギー車になります。同系車が丸子鉄道、飯山鉄道、秋田鉄道(いずれも日車支店製)に存在しました。

単体で見るとあまり感じませんが、車体幅は2200mm、車体長も11290mmという小ささ。路面電車の中でも特に小柄であることで知られる北陸鉄道モハ2300→豊橋鉄道モ3300あたりと、あまり変わらないということですね。

佐久鉄道の買収後は、キホハニ51~56がキハニ40600~40605→キハニ40701~40706に、キハ57~58がキハ40500~40501→キハ40305~40306に改番。一部は紀勢中線(新宮~紀伊勝浦 旧・新宮鉄道)に転じたようです。いずれも燃料統制が厳しくなった1940年代に廃車になり、各地の私鉄へと払い下げられました。

このキホハニ56→国鉄キハニ40605→キハ40706は1942年に廃車、1943年に三岐鉄道に入線しキハニ6→キハ6となります。三岐在籍中に前後に荷台が取り付けられました。1954年には別府鉄道に譲渡され、キハ3となり1984年の廃線まで在籍します。

そこで終焉となるのが通常なのですが、別府の車両は保存されたものが多く、この車両も佐久平に戻ることになりました。マイナーな中小私鉄に地元の車両が残っていることを、いかなる縁で知ったのか気になるところではあります。そういえば、相鉄には客車(ハ24)が里帰りして復元されていますね。

前後の荷台を撤去し、佐久鉄道の時代に近い雰囲気となって国鉄形蒸機とともに保存されています。
戦後混乱期に端を発する細かいガラス割りがそのままだったり、窓の周囲に保護の枠が取り付けられてはいますが、戦前の私鉄気動車が残っていることだけで、ありがたいですね。屋根付き保存であるのも状態が比較的よい理由なのだと思います。
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・カタカナの「サ」が9つで、「サク」となる佐久鉄道の社章

・1枚目:2016年1月
・2~4枚目:1996年3月 いずれも旧・中込学校(長野県佐久市)にて撮影

・参考文献 
湯口 徹『内燃動車発達史〈上巻〉戦前私鉄編』ネコ・パブリッシング 2004年
湯口 徹『内燃動車発達史〈下巻〉戦前メーカー編 』ネコ・パブリッシング 2005年
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by hiro_hrkz | 2018-03-26 22:10 | 鉄道(非電化) | Trackback | Comments(0)
富士7E 30周年
富士重工7Eが誕生してから30年となりました。
いまでも、7Eというのは新しいイメージなのですが、それだけ自分も年を取ったということなのでしょう。

さて、10年前には富士7E 20周年ということで量産先行車である東京都交通局の日デP-UA33Kと、もとサンプルカーの宮城交通P-U33Kを取り上げていますが、今回は、その都営P-UA33Kのその後を記してみたいと思います。

都営のP-UA33Kは1987年度後期導入車として、1988年初頭に15台が製造され江東営業所に配置されました。
車両のレベルを上げバス停なども一新した都市新バス用で、都04系統(東京駅丸の内南口~豊海水産埠頭)で使用されました。
廃車は1998年度でしたが、エアサス(初期の車両を除く)にハイバックシートという都市新バスの仕様は地方のバス事業者から人気が高く、とりわけ従来から設備のレベルが高い車両が多かった西日本の事業者への移籍事例が多数存在しました。
このP-UA33Kの移籍先はすべて西日本です。
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・広島バス 日デP-UA33K +富士7E 2002年8月 八丁堀(広島市中区)
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・サンデン交通 日デP-UA33K +富士7E 上:2005年8月 下:2002年8月 下関駅付近(山口県下関市)
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・佐賀市交通局 日デP-UA33K +富士7E 2001年9月 佐賀駅バスセンター

移籍先は、広島バス、サンデン交通、佐賀市交通局、熊本市交通局の4社局でした。各社局とも、当時都営から移籍車を積極的に導入していたところです。
このうち、熊本市交通局は1台のみで、廃車になるのも比較的早かったため、結局大雨の朝早くに一度見たきりで撮ることができませんでした。
残りのうち大所帯だったのは広島バスとサンデン交通。特に、サンデンは都市新バス仕様を多く導入しており、この後1988年度導入車のP-LV214K+富士7E(都05系統用)のほとんどが移籍することになります。

いずれの事業者も中乗り前降りなので、スピーカーの移設などの改造を受けており、サンデン交通は窓を入れ替えて中扉直前に方向幕を持ってきています。また日差しの強い西日本らしく、広島バスとサンデン交通はロール式カーテンを設置しています・・・佐賀市はどうだったのか記憶にありません。

さて、10年前の記事では、このようなことを書いていました。

 7EでもP-の車両は、車種によってはだいぶ数が少なくなってきました。
 消える直前で騒ぎ出すより、普段から撮影しておきたいものです。

そして今年、大都市圏では新7E架装車が相次いで各事業者から消滅し、そのたびに盛り上がりを見せたようです。
事業者によっては最後の運転を自ら告知するなど、過去では考えられない対応、そして沿線に集まったマニアの数も、やはり過去には考えられなかった数でした。
そうしたことに、隔世の感すら抱くのですが、一方でバス趣味が最近の鉄道趣味と同様に、どこかで提示されたものと同一方向でしか楽しめなくなっていのなら、なにか寂しさを感じます。そして、普段から記録しておくことの重要性は変わらないということを、改めて記しておきたいと思います。
 たとえば、新7Eが残り少ないといわれて何処かに出向いても、それしか目に入らないのは勿体ないと思います。新7Eの後ろに止まってた西工架装の日デRPが他所ではあまり見られない車両だったりするのですから。


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by hiro_hrkz | 2018-03-17 01:02 | バス(富士重工) | Trackback | Comments(0)
高松琴平電気鉄道琴平線 1050形
かつて、様々な場所から電車を集めていたコトデン。
同社にもと阪神電鉄のジェットカー試作車の5001・5002が1051・1052として入線したのは、1977年のことでした。
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・高松琴平電気鉄道琴平線 1051+1052 1997年3月 仏生山
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・高松琴平電気鉄道琴平線 1052+1051(後ろは1015+1016) 1997年3月 仏生山

1958年、日本車両(5001→1051)、川崎車両(5002→1052)製。当時車齢19年ですから、よい物件だったのかもしれませんが、試作要素が強いものによく手を出したものだと思います。

最も購入したのは車体のみ。当時の瓦町駅は急カーブ上にホームがあり、その安全対策のため武庫川車両の手で2扉に改造されました。下回りは当時のコトデンの定番であるHL制御・電磁SME制動となり、台車と主電動機は京浜急行230形の発生品である汽車製造2HE、三菱MB-115AF(93.3kw)×4となっています。
これは、琴平線の中型車向けに大量に購入され、1020形(1035を除く)・1060形・1010形・1013形に使用され、同線の主電動機・台車の統一に大きく貢献しました。

なお230形といえば、1050形と同じ1977年から1979年にかけて長尾・志度線の(3代目)30形となっていますが、こちらにはもと阪神881形の2代目30形の台車・主電動機を取り付けています。この2代目30形の台車・主電動機も車両数以上に購入されコトデンの機器統一に貢献しています。実は、車体よりも床下機器のほうの統一がコトデンでは進んでいたのですね。

この後、阪神ではジェットカー量産車の5101・5201形合計30両の廃車が続きますが、1981年に2両が1060形となっただけで終わりました(ほかに2両が京福福井に譲渡)。長尾・志度線の車両増備・統一が急務だったためでしょうが、その後、5231形(→コトデン1053形1053+1054)の購入時に種車が尽きて2編成目が実現しなかったことを思うと、車両の譲渡というのはタイミングが合わないとなんとも難しいものであると感じるところです。

1051・1052は、その後、1984年に台車・主電動機を取り換えてWNドライブ化されます。
台車は枕ばねがインダイレクトマウント式でコイルバネ、軸ばねが緩衝ゴム式の住友FS-526(制御者はFS-026) で、主電動機は三菱MB-3239A(110kw×4)となっています。

2003年3月、1200形の入線に伴い、廃車となりました。

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by hiro_hrkz | 2018-03-11 01:43 | 鉄道(近代形電車) | Trackback | Comments(0)
九州産業交通 日野K-RC321P +日野車体
バスに関して消滅してしまったものに、貸切車・長距離路線車の短距離路線向け格下げ改造というものがあげられると思います。現在でも改造なしで転用されるものはありますが、かつて各地で見られた中扉の増設などは、貸切車の高床化が進むと構造上無理が生じ、また燃費の悪さも目立つようになって消えてゆきました。おおむね、モノコックボディーの時代までで、その後は非常に数が少なくなっています。
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・九州産業交通 日野K-RC321P +日野車体 1998年9月 熊本県荒尾市

九州産交は、そんな格下げ改造が非常に多かった事業者です。地元のイズミ車体で各種車両が改造を受けました。
とはいえ、これらも多くは1990年代中盤までには過去帳入りしており、個人的に間に合ったのはこれ(と、スケルトンボディになってからの1台)のみでした。
1981年製造で、中扉に折戸を増設・フロントガラス下に行き先表示の増設を行っているのは、それまでの改造車に同じ。しかし、産交の格下げ改造で特徴的だったヘッドライトの丸目1×2灯への交換されておらず、改造前の雰囲気をあまり壊していません。

産交は県内外と熊本市を結ぶ長距離路線が多く存在し、一般路線もそれなりに距離のある路線が存在していたため、このような改造車が多発した理由だったと感じるところです。

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by hiro_hrkz | 2018-03-04 01:43 | バス(日野車体) | Trackback | Comments(0)