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2022年 04月 24日
日立電鉄の車両の中でも、とりわけ曰くつきの車両がモハ11形の2両でした。
1948年7月に親会社の日立製作所で作られたとされるものの、実際には営団地下鉄の発注車でした。 比較的知られている話ですが、大甕~鮎川の新線開業などで車両が必要となった電鉄に、親会社が無理矢理車両を回したというのが実情のようです。ようは契約不履行であり、戦後混乱期とはいえ随分と大胆なことをしたのだと思います。詳細は、参考文献をご覧ください。 ![]() ![]() ![]() 画像はいずれも晩年のもので、窓配置はdD5D5Ddとなっています。これは1971年8月のワンマン化改造の頃に改造されたもので、それまではd1D4D4D1dでした。営団(銀座線)の1400形以前に登場した各車は、扉間中央の窓柱が太いd1D22D22D1dでしたので、営団入線が実現していれば異端車となったはずです。 また、この車両は電装についても日立製作所に発注されています。日立製の電装品を搭載した東京高速鉄道引継の100に合わせたものと考えられます。もっとも制御器については100形は電動カム軸式のMCH200を搭載していますが、こちらはそれよりも古い電空カム軸式のPB200でした。モハ9形共々、不可解な点ではあります。 台車についてもモハ9形と同じ弓型イコライザの日立H1をはいています。営団銀座線の台車は住友製ですから、この点にも違和感を感じます。軌間が異なることも理由だと思いますが、結局のところ日立製作所では車体しか完成せず、電装品は在庫のものを取り付けて電鉄に入線させたという推測も成り立つかと思います。主電動機もモハ9と同じく日立HS-253(50kw)を1両に2機搭載でした。 なお、東京地下鉄道~営団地下鉄銀座線の車両は電装品は三菱製が標準で、100形は異端児扱いされていたことを考えると、所定の電装品を取り付けて営団地下鉄に入線しても早晩使いづらい車両になっていたと予想されます。 モハ11は鮎川側、モハ12は常北太田側に貫通路があるのはラッシュ時に2両編成を組むことを考慮したものでしょう。ブレーキは諸元ではAMMですが釣り合い空気ダメが運転室下に見えることから、実際には元空気溜め管式のAMM-Rであったと思われます。 また、1970年代後半~1980年代初頭にかけて、前面窓・戸袋窓のHゴム支持化、その他の窓のアルミサッシ化、および車体のノーシル化などが徐々に行われます。その結果、非貫通側の前面はモハ12は扉が残されたのに対して、モハ11はそれが撤去されてHゴム支持の窓が3枚並ぶ形状となり窓の大きさも異なるものになりました。また尾灯もモハ12は埋め込み式、モハ11は所謂ガイコツ型であり、2両の雰囲気はそれなりに異なるものになりました・・・簡単に言えば、モハ11のほうが不細工ですね。 1990年代に入ると、日立電鉄には正真正銘のもと営団銀座線の2000・3000形が入線しますが、その代替でモハ12は1993年11月、モハ11は1994年4月に廃車になりました。 ・参考文献 白土 貞夫『RM LIBRARY64 日立電鉄の75年』ネコ・パブリッシング 2004年 澤内 一晃「戦前型銀座線車両の技術史」鉄道ピクトリアル939号(2017年12月) #
by hiro_hrkz
| 2022-04-24 03:25
| 鉄道(旧形電車)
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Comments(2)
2022年 03月 30日
ただいま、こんなものを製作中です。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 実は25年ぶりの作製になるのですが、どちらも先はまだまだ長そうです。 #
by hiro_hrkz
| 2022-03-30 22:45
| 模型・神奈電・架空の鉄道
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2022年 03月 20日
那覇交通は、沖縄本島の乗合4社の中では那覇市内線担当という性格が強かったですが、郊外線も那覇から糸満、西原、琉大、石川方面へ運行していました。市内線は2扉車でしたが、郊外線は他社と同じトップドア車で塗装も異なっていました。
![]() ![]() ![]() 730でBU04を導入したあと暫く新車はなく、1988年以降P-LV系を再投入したのは市内線と同様です。いちばん上の沖縄22き41は1988年式で5両が投入されました。市内線が2段窓なのに対し、こちらは逆T字窓を採用しました。ただし窓柱は通常の形状です。塗装は郊外線用のレインボー塗りで、これは那覇バスに引き継がれました。車内はハイバックシートが中央通路より一段高い場所に取り付けられていたと記憶しています。当時の沖縄本島の郊外線の標準的な仕様ですね。 一方、沖縄22き115、119は1989年式で8両が投入されました。窓柱はヒドンピラー、窓そのものはブルーペン、窓回りは黒塗りとなり洗練された感じとなりました。 ![]() その次は、1992年式でU-LV系に移行します。仕様は1989年式を受け継いでいますが、前面はU-LVで加えられた方向幕部分まで一体化した仕様になっています。これは翌年に投入された市内線向け車両も同じです。 U-LVは1992年式3両、1993年式5両が投入されます。しかし、那覇交通の経営が悪化し乗合用の新車投入はここで終わります。 さて、那覇交通の郊外用のキュービックで最も有名だったのは、以下の車両かもしれません。 ![]() 1988年式のうち沖縄22き44は前面が日野の貸切車タイプのものに変えられていました、これに伴い、ドアも独特のものに変わっています。車体断面が異なるはずなのに、よく取り付けることができたと思います。 最も、沖縄本島の路線車はモノコックボディーを改造したバケルトンが結構な台数あった上、どういうわけかこれらの大半がもとの車体に関わらず日野の貸切車の前面を取り付けていたので、経験は充分だったのかもしれません。 ![]() ![]() ![]() 那覇交通のバケルトンといえば、この車両でした。 1980~81年に投入された川重車体の貸切車ですが、前面だけを後年変更しています。しかし屋根Rが深い点とはアンバランスで、よくもまあ取り付けたものだと感心してしまいます。 貸切車でありながら軸距は5200mmと短めで、そもそも路線用のシャーシに架装しているのが大きな特徴です。これも当時の沖縄のバスでは標準的な点でした。 末期は大半の車両が路線用に転用されていたようです。 ・参考文献 「バス会社訪問39 沖縄県のバス 1997」 バスラマインターナショナル43号(1997年9月) 「沖縄県のバス 2001年夏」 バスラマインターナショナル67号(2001年8月) #
by hiro_hrkz
| 2022-03-20 01:51
| バス(川重/IK/IBUS)
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2022年 03月 13日
![]() 今回とりあげるのは、富岡市内の西側にある上州一ノ宮駅です。 1897年に一ノ宮駅として開業、1921年に上州を冠し現在の駅名となっています。 このあたりは、1954年の昭和の大合併で富岡市になる前は北甘楽郡一ノ宮町で、それが駅名の由来です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 群馬県の出身であればだれもが知っている(らしい)「上毛かるた」の"ゆ"の札が出口の上に掲げられています。これは、他にも下仁田駅や吉井駅で見ることができます。 ![]() 「ゆかりは古し貫前神社」 駅名・地名のとおり、上野国一ノ宮である貫前神社が駅から約900mの場所にあります。 総門をくぐると尾根から下ったところに拝殿・社殿があるという少々変わった立地の神社で、街の中心から続く参道は尾根まで若干きつめの上り勾配となっています。 ![]() ![]() ・いずれも2019年6月 撮影 #
by hiro_hrkz
| 2022-03-13 16:18
| 鉄道施設
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2022年 02月 12日
いまはなき呉市交通局には、いくつか特徴のある車両を導入していました。
その一つが、貸切タイプの前面を持つ路線・貸切兼用車でしょう。局内では「準専車」と呼ばれていました。私が見たのは2000年代に入ってからでしたが、いずれもふそう+西工E型でした。 ![]() ![]() ![]() 上の2両は昭和58年排ガス規制車(P-)で、いずれも1990年度導入車です。 なぜか2両でサッシやライトベゼルの色が異なりますが、後天的なものなのかはわかりません。 いちばん下は平成元年排ガス規制車(U-)で1992年度導入車です。 西工E型は1990年に前面を変更しているため、この車両も前面が変わりました。P-車ではヘッドライト間に行き先表示がありましたが、U-車ではヘッドライトとフロントガラスの間にもうけられ、ヘッドライト間は事業者名を書いた行灯になっています。もともとは、ここに「イルメリ号」なる愛称が掲げられていたとのこと。なおU-車のサッシの色は全て黒でした。 呉市交通局は隣接する倉橋島や上蒲刈島に乗り入れる距離が長めの路線もありましたが、特に準専車が使われていたということもないようです。ただし、クレアライン経由の高速路線で広島バスセンターに乗り入れることはあったようです。 2008年に呉市営バスが江田島・能美島から撤退した際に、島内の路線を引き継いだ江田島バス(←能美バス)に平成元年規制の1両が移管されています。 ・参考文献 「バス事業者訪問60 呉市交通局」 バスラマインターナショナル62号(2000年11月) #
by hiro_hrkz
| 2022-02-12 22:22
| バス(北村、西工、東特)
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